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連載:賀川豊彦の著作ー序文など(第144回)

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「姫路城西御屋敷跡庭園<活水軒にて>」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)


  賀川豊彦の著作―序文など

     わが蔵書棚より刊行順に並べる
        
             第144回


   『賀川豊彦全集7』(第7回配本「月報7」)


  
 『賀川豊彦全集』の第7回配本は、昭和38年3月10日に「神・キリスト・聖書・教育」として分類されている第7巻が刊行されました。

 今回の「月報7」には、「天才的な学者」と題して白山源三郎氏(関東学院大学学長)、「いくども脱した危篤状態」と題して内田三千太郎氏(前中野組合病院院長)などが寄稿しています。

 いずれも、貴重な文章ですので、前回と同じく月報の前記二つを取り出して置きます。





             『賀川豊彦全集7』第7回配本「月報7」

                  天才的な学者 

                  白山源三郎


 賀川先生が、普通の意味における教育者として、学校などに関係を持って、普通の意味における教育に従事されたというようなことは殆どないようである。それには余りに活動的で、また学校といういわば象牙の塔に閉ぢ籠ることなく、実際社会の生々しい実際生活に突込んで行って、身を挺して働かれたことの方が多いからであると思う。

 先生の経歴を一通り目を通して見ても、多少ともいわゆる教育、または学校と名のつくものに関するものは少ない。一九二六年自ら起された農民福音学校、一九三三年に始められた日本協同組合学校の二つが学校と銘打って教育機関となっているが、之とていわゆる学校というより、極めて特殊な教育機関で、各々その運動に従事する人を養成するためのものであり、目的は他にあったといえる。

その他、或は明治学院や若干の他の学校の理事などをして、教育のために、その意見を述べられた事もあろうし、一九四五年には日本教育者組合を組織してその会長になり、教育のために間接ながら努力されている。このような、普通の教育のための脇からの尽力というものは少くないであろうと思う。しかしこれらはそのために賀川先生が教育者であったというのには十分でないと思う。

 賀川先生は、祈りとキリスト伝道にその生涯の最も多くの時間と精力とを捧げられた方であると私は思っている。色々とその他の運動をされたのはいうまでもないが、どれもがこれと連り、これが元になっていたと私は受取っている。その意味では不出生の伝道者であるのか賀川先生である。このことは何人も否定することはできないと思う。それはそれとして強いていうなら、先生に教育者としての資質と、またその一生においてその実践と業績があったといえないこともない。それには私は二つの点を挙げて見たい。一つは、先生は多くの人々のことに青年の心をユサブリ、少なからずこれに影響を与えたということである。

 明治、大正から昭和にかけでの日本の変動期に、無産者の地位向上のために主としての戦いを、単に理念としてだけでなく、実践を通して戦い抜くその勇敢な行動は、特に多くの青年の心を動かしたものである。

 「死線を越えて」は著書の題目であったけれども、自ら生死を割切つだ先生の行動は、哲学的な深いものを青年の心に植え付けるものがあった。果せるかな多くの人がこれに動かされ、影饗されたのである。そしてその実践を唯実践だけにとどめず、著書、論文、講演、説教を通して、広く人々に解説し、説得されたのであって、ここに、先生の教育者として、いわば社会教育者というのがよいかも知れないが、大きな業蹟があったと思う。此意味で賀川先生は偉大なる教育者の一人であったといってもよいのでないか。私の如きも、特に青年時代、このような意味では、賀川豊彦通信大学の学生として可なり勉強させられた一人である。

 次に、教育者は常に自らの研究、学習を怠ってはならないのであっで、優れた教育者は優れた学者でもなければならない。賀川先生が非常な読書家であり、勉強家であったことは知るところで、一日二時間の読書を欠かされなかったとも聞いている。

 直接キリスト伝道に関するもののみならず、文学、社会科学、人文科学、自然科学に亘って研究され、それが、また著書にもなって著れていることも驚くべきものである。このことは全集刊行のこの際私が申述べる必要もないが、私は学生時代賀川先生が「顔の研究」について二時間以上の講演をされたのを聞いで驚いた記憶が未だ残っている。科学的研究の真摯な態度に驚いたのである。あれだけの忙しい社会運動実践の傍であれだけの研究がこともなげに出来る先生は、学者としても十分の資質を具えていられるのであって、先生は天才的な学者である、のみならずその表現力も十分具えていられる。従ってまた立派な教育者であったと断定出来ると思う。
                                  
                                〔関東学院大学学長〕





                いくども脱した危篤状態

                  内田三千太郎


 賀川先生が底知れぬ強い精神力をお持ちの方だったことは周知のことであるが、それは病床の上でもよく読みとられた。

 ずいぶんお苦しい時でもわれわれには一度も苦痛を訴えられたことがなく、また治療に対する不満を口にされたことがなかった。それどころか回診の時にはいつも笑顔で「ありがとう」といわれるか、握手または手を挙げて感謝の意を表されるのが常であった。また私の方からおすすめしない限り、ほかの医師にみてもらいたいとは一度もいわれなかった。  

 体力が弱って起きあがるのも無理と思われるようになってからでも、たいていは人手を借りて床から離れ、椅子に寄って食事をされた。

 二階の病室から階下へ降りることは無理と思われるようになったある日、「こから神戸へ行くからすぐ仕度をするように」といって、奥様やご令息を困らせたこともあった。

 待望の伊豆長岡温泉療養所が竣工した時は非常に喜ばれて、どうしても長岡へ行くといってきかなかった。その時私が奥様に「自動車で静かに行かれるとして必らず途中で危篤に陥るとはいいきれない。或はそのままの状態でまたお帰りになれるかも知れないが、しかしそれは危険を覚悟のうえでなければ」と申しあげたら、奥様はこの私の言葉に大いに力を得られたとて「それならあれほど行きたがっているのだから」と昭和三十四年の九月二十八曰ついに奥様とお嬢さん(女医さん)とお孫さんをつれ、箱根を一越えて長岡まで行かれた。先生にとってはこれがご家族との最後のドライプとなったのである。

 後に萱沼孝文氏からだったか「行く人も行く人だが、行かせる医者も医者だ」という声があるときいた。ところがどういう理由からか長岡療養所には一泊されただけで、翌日電車で帰京されたのには驚いた。私が翌日うかがったらさすがに疲労の色が見えたが、とにかく先生の身心と行動には普通に考えられないものがあった。

 先生は医学的知識も豊富であり、特に水治療法には強い自信と執着があったようだ。長岡温泉療養所の建設も水治療法の功徳を大衆にも及ぼしたいというお考えから出発したもののようである。

 「病床を遭場として」という先生の著書には精神面のことばかりでなく、具体的な医療法までくわしく書かれてある。私はその全部に賛成するものではないが、精神身体医学の特に注目されつつある今日、以前に先生が精神の疾病治療に如何に大きな影響を及ぼすかを身をもって体験せられ、これを病者に教えられたことは大きな意義がある。

 先生の病状については別に詳記したいが、私が知ってからでも、先生は幾度か危機を脱していられる。昭和三十四年一月六日高松市への船中での心筋梗塞症の発作、三月二十三日帰京後流感にかかって肺炎を併発した時、その他呼吸困難、呼吸停止、意識混濁、記憶喪失、心臓衰弱、肝臓肥大、全身の水腫等の症状が見られたことはしばしばで、われわれからみると死線をさまよう日の連続とも思われる時期が長かったにもかかわらず、不思議に危機を脱してはわれわれを驚かせ、われわれに一縷の望みをもたせたのであった。

 しかし如何に強籾なる精神も肉体の支えなくしではその偉力を発揮することは不可能で、食欲不振による体力滅退とそれに基く心臓衰弱により昭和三十五年四月二十三日午後九時十分、ついに偉大なる生命の終焉を告げたのである。

 私は先生の恩顧を受けて四年あまり、おなくなりになるまでに医師としてお傍にうかがったことも数十回に及んだが、果して治療の万全を果し得たかを疑い(大家数氏の御協力を得たが)苦悩を未だに解消し得ないと同時に、私は医師としてまたは一人の人間として先生を見る明があったとは思わないので、折角命題をいただいたが、単にいくつかの事実と印象的なことだけを記してお許しを乞う次第である。
                                    
                           〔前中野組合病院院長〕
                                     














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