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連載:賀川豊彦の著作ー序文など(第158回)

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「映画<一粒の麦>」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)


        賀川豊彦の著作―序文など

       わが蔵書棚より刊行順に並べる

             第158回


     『賀川豊彦全集10』(第21回配本「月報21」)


  
 『賀川豊彦全集』の第21回配本は、昭和39年5月10日に「哲学・経済・社会学」として分類されている第22巻が刊行されました。

 今回の「月報21」には、「“世界連邦運動”生みの親、育ての親」と題して小塩完次氏(国際平和協会常務理事)、「尻のやぶれたズボン」と題して山崎宗太郎氏(大阪クリスチャンセンター総主事)などが寄稿しています。

 いずれも、貴重な文章ですので、前回と同じく月報の前記二つを取り出して置きます。




           『賀川豊彦全集10』第21回配本「月報21」

             “世界連邦運動”生みの親、育ての親
                 
                   小塩 完次


 一九六三年の世界連邦大会のファイナル・セッションで、事務総長の西村関一氏があいさつして「この機会に、いまは地上になき方々ですが、忘れることのできない三人の先覚者がある」とて、尾崎行雄、賀川豊彦、下中弥三郎の名をあげ、大きな感動をよんだ。

 もしも賀川先生がおられたら、どんなにかこの大会を喜んでくださったことであろうとは、誰もが思ったことであった。「日本で世界連邦大会をひらく」ということは、一九五〇年、賀川先生が、招かれて英国伝道におもむかれたとき、一日、英国国会内に本部のある「世界連邦のための国会議員団」を訪問せられたとき、労働党の若手議員のチャキチャキで、百万人に一人の代表を選出して「世界憲法起草人民会識」をひらこうという計画を提唱していたへンリー・アスボーソ氏が。
「カガワさん、日本で世界連邦会識を開催していただけませんか」
と、熱心にもちかけてきた。これかキッカケであったといってよいであろう。

 もっともそのころ日本において、毎日新聞は社説で「世界連邦の可能性」を書いたし、NHKは日比谷公会堂で放送討論会をひらいて「世界国家はできるか」を、まともに採りあげていたし、わたしたちとしても、はじめて東京市民にデビューした「世界連邦東京大会」で、「世界大会の日本招致」を決議しでいたのだから、賀川先生を介してのアスボーン提案は、渡りにふねというか、魚ごころに水ごころですらあったのだ。

 アスボーンの申出は、「できるならヒロシ々で……」ということであった。賀川先生からは、すぐさま、ときの首相吉田茂氏、衆院議長の松岡駒吉氏、それに広島市長浜井信三氏らあてに、それぞれ電報が発せられた。私はときをうつさず広島に走り、楠瀬知事、浜井市長らとこの件について話し合った。その前の年の五月三日には、賀川先生のお伴をして広島に出かけ、市主催の憲法記念日講演として先生は、「世界永久平和の創造」の題で語られ「平和への道は世界連邦あるのみ」とのタネまきをしておられたことでもあり、県市とも、二つ返事で、「やりましよう」、「お引受けしましよう」ということになった。そうはいっても、赤ハダカに焼けただれたままの広島であり、ホテルらしいもの一つあるでなし、地元だけで、どうにもなるものでない。国として相当力を入れてくれるならお引受けする、というのが各方面有力筋の意向であった。私は、かまわず「出来ます」という返事を、ロンドンの先生あてに打ってしまった。何んとしてでもやるべきであり、やらねばならないと考えたからで、先生からの電報なるものが、一応可能性の検討をという形をとっているものの、じつは、「やれ」という鶴の一と声だ、と読んだからである。(翌二十七年の十一月、第一回世界達邦アジア会議は、賀川議長のもとに、見事に挙行された。)

 そのころ、世界連邦建設同盟は、録な事務所にもありつけず、あちこちを、さまよい歩いていたのだったが、「うちへ来なさい」と、先生から拾われて、神田錦町の「カガワ事務所」に引取られた。以来八年有余、賀川先生の主宰する国際平和協会と同居し、協会の機関誌「世界国家」を、賀川豊彦主幹―同盟編集―協会発行という形にして、同盟の機関誌に代用させていただいた。

 こうなった一、二年後のこと、武藤富男氏に、同誌の編集を一任して、面目一新の大発展をやったこともある。当時、毎号の「少年平和読本」が呼び物だったが、これは貿川先生の講演を台にして、村島帰之氏が麗筆を揮ったもの。チョコザイにも、ここはこうしたほうが世連理論にかなうから……などと、私が勝手な筆を加え、どうでしようかと先生に見ていただくと、「きみは、うまいね」とほめて下さるので、いい気になって、なおも朱を入れるという大それたこともやった。これと併んでの呼び物に、「新しいまぼろし」と題する続き物の大フィクションがあり、筆者ムラヤマ・タケシは、当の武藤氏であった。武藤流の型破り編集で、常識では巻末に六号活字でゴチャゴチャ詰めこんでおくていの内外情報を、巻頭にもってくるというドンデン返しをやり、それを、先生を「面白いね」と、ケシかけるので、編集委員会はケンカにもならぬという一と幕もあった。

 昨秋の京都会議のあと、私は、世界連邦運動の草分けの一人といわれているスイスの国際法学者ハビヒト博士、アメリカのメソジスト派社会総局「平和と軍撤、世界機構部長」という肩書をもつロドユー・ショオ氏らとチームを組んで、金沢市を訪れたが、車中、ハビヒト博士から、若かかりし日、ジュネーブでカガワ講演を聴いて興奮したものだと聞かされ、さてさて賀川先生の世界連邦歴も永いものだと感激一入なものがあった。
                                  〔国際平和協会常務理事〕
    




                尻のやぶれたズボン

                 山崎宗太郎


 衆議院選挙があると、大阪からは賀川先生に縁故のふかい人がいつも三人立候補した。杉山元治郎、西尾末広、大矢省三の三氏がそれである。

 賀川先生は、このうち杉山、西尾両氏の選挙にはつねに深い関心をもち、とくに杉山氏は先生の政治的身代りともいうべき人であったから、その応援には万難を排して出てこられるのであった。

 昭和三十年二月の選挙であったと思う。当時右派社会党大阪府連の事務局長をしていた私は、先生の大阪応援には必ずお伴をして演説会めぐりをした。ときに先生の前座をつとめて、向う見ずの演説をプッたことなど、いまはなつかしい思い出である。

 「杉山元治郎は山の杉のようにマッ直ぐな男である。しかも元を治める男である。同志杉山は、日本の政治界に必要な人物だ……」
 火のような熱弁が先生の口をついて飛び出すと、満員の聴衆は万雷の拍手に湧き返る。先生は夜おそくまで河内平野をかけめぐって、いくつかの演説会場を声をからして杉山氏のために応援された。
 「アア疲れたヨ……」
 健康でない先生は、控室にもどるとよくグッタリした姿を見せ、壁に背をもたせてジッと瞑目されているときもあった。何とかせねばと傍らで私は気を使うのだったが、ソッとして置くのがいちばんよいと、人を入れず静かにさせてあげるよう配慮した。
 「行かんヨ! ボクは病人だよッ……」
 約束以外の会場に運動員たちが出演を懇請しても、駄々ッ児のようにガンとして聞き入れぬかたくなさもあった。

 「西尾君はどうかネ?」
 杉山氏の応援のさなかにも、先生は第二区から出ている西尾氏のことを心配してたづねるのであった。苦戦を告げると
 「ヨシ、あした行こう」
 それは冬の寒風が吹き荒ぶ日であったが、西尾氏とともに選挙用車に乗って街頭演説に出かけた先生は、やがて何回かの応援を終って、福島区の西尾氏の支援者早川さんの宅に休憩のために戻ってきた。

 車から勢いよく降りて、家に入った先生の後姿を見て、早川の奥さんがスットン狂な声をあげた。
 「マア……先生!‥ ズボンが………」
 その声におどろいてよく見ると、黒い洋服のズボンの尻が大きく破れて、白いワイシャツの端が垂れ下がっているではないか。
「とうとう破れよったか。アハハハハ」
 先生は大口を開いてらいらくに笑ったが、一同もつりこまれて大笑い。
 奥さんが急いで針と糸をもってきたが、古びてスリ切れたズボンは縫いつぎもできぬ。 
「先生、サラのん買いまひよか?」
「いらん、いらん。ツギ当ててくれ給え」
 奥さんはしかたなく、紺のハギレ地をもってきて、お猿の尻のような大きいツギをあてた。
「これでまた、当分いけるよ。ハハハ」
 気軽に笑った先生は、ふたたび夜の演説会に出かけるべく車上の人となった。

 先生は印税、寄付、献金など、おそらく今日の時価に換算すれば、何億をもって数える財を身にうけた人であろうと思う。
 ところが、先生はこれをわが身のためには用いなかった。みんな伝道のため、教会のため、社会事業のため、すなわちキリストのためにささげてしまい、自分は簡素な生活に徹しでその生涯を終られた。

 晩年の病床の先生を見かねて、何人かの有志が献上した新築の小宅も、そこに入ることを拒み、ついに古家に臥したまま召されてしまった先生であった。「世の富を持っていながら『兄弟が困っているのを見て、あわれみの心を閉じる者にはどうして神の愛が彼のうちにあろうか」(ヨハネ第一、三ノー七)先生はこの聖句を実践された人だ。愛による行いと真実をもって。私は、先生に学ばねばならぬと思う。
 
                            〔大阪クリスチャン・センター総主事〕






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