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連載:賀川豊彦の著作ー序文など(第177回)

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「神戸森林植物園にて」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)


      賀川豊彦の著作―序文など

     わが蔵書棚より刊行順に並べる
   
            第177回



      H・W・マヤス説教・黒田四郎筆記

      『説教集:神への飢渇』賀川豊彦「序」

  
 ここで黒田四郎氏の『人間賀川豊彦』に続く予定でしたが、昭和8年12月に日曜世界社より刊行された標記のH・W・マヤスの説教を黒田氏が筆記した著作を取り出して置きます。

 ここに収められている24編の説教も、私たちにとって重要なものですが、本書の巻頭に寄せている賀川豊彦の「序」は、是非再読いただきたい作品ですので、ここではそれを取り出してご覧にいれます。

 本書は版を重ねなかったかも知れず、賀川の「序」もあまり目に止まっていないものではないかと思われます。



             神への飢渇 序

                 一

 私がマヤス先生に會ったのは、中學校の二年生の時であった。私が、中學校の英語の先生の片山正吉氏の塾に、下宿さして貰ってゐる時であった。然し、その時は、ただお辞儀しただけで、宗教上の交渉はなかった。中學校の三年の時に、ローガン先生が、徳島市通町の日本キリスト教會で、英語でキリスト傳の講義を始められた。その時に、初めて私は、西洋人から英語を研究する機會を得た。

 然し、ローガン先生は間もなく中止せられて、マヤス先生が、新約聖書を、通町の教會堂で、英語で教へて下さるやうになり、後には、徳島本町の自宅で、聖書の講義をして下さるやうになった。

 かうして親しくなった私は、遂に決心して明治三十七年の二月二十一日の日曜日に、マヤス先生の手からバプテスマを受けに。その時私は、満十五歳七ヶ月であった。親切なマヤス先生は、その後も、私を個人的に指導して下さって、プリンストン大學總長パトン博士の『キリスト教々義要綱』といふ、非常に簡潔ではあるけれども、要領のいゝ神學書を教科書にして、個人数授をして下さった。私の英語の力も、哲學的思考の力も、かうした機會に呉へられたことは、否定出来ない。

 かうして英語の力をつけてくれられた為に、私は十五の春から、マヤス博士の圖書棚からいろいろの書物を取出して、自由に讃む機會を得た。カントの『純粋理性批判』の英訳を読み出したのも、この頃からであった。そして私は、徳島を離れて、東京の明治學院に入學し、マヤス先生の厚意によって、叔父と意見のちがったために、學費の途がなかった時でも、明治學院に學ぶことが出来た。

                      二

 十七歳の夏、ミセス・マヤスが一足先に米國へ行かれた時、私は四十日の間、マヤス先生と同じべットに寝る機會を得た。かうして私は、日本人の間にも発見出来ないやうな大きな愛をマヤス先生から受けたことを、永遠に忘れることが出来ない。

 マヤス先生は、幼い頃から、植物學に趣味を有たれ、天文學に興味を注がれ、いまだに――六十歳を越えても――日本アルプスなどは、毎年数回縦走さるゝ日本の外人の間でも有名なアルピニストである。

 それで、私は、マヤス先生に連れられて、吉野川の山奥へ傅道に出かけた楽しい旅行を今も忘れることが出来ない。もし私が、キリストのために熱心な傅道者となることが出来たとすれば、師父マヤス博士の感化であるといはざるを得ないであらう。

 私は今も覚えてゐる、十七歳の時、私はマヤス夫人の女乗りの自転車を借りて、吉野川の上流まで遠乗りして、傅道旅行について行つた。私はその時恐ろしく下痢してゐた。それで、毎日の旅行が非常に苦痛であつた。然し私は、マルコがパウロに叛いたやうな悲しい記録を作りたくなかつたので、下痢を辛抱してついて行つた。マヤス先生は、通る人毎にリーフレットを渡し、乞食小屋にも頭を低うして、永遠の生命の道をお説きになつた。

 『――西洋人がこれほどまでに熱心に、日本人を救はうとしてゐられるなら、僕ももう少し熱心にならなければならぬ――』

 斯う考えた私は、伝道のためにメートルをあげることにした。

                      三

 不幸にして私は、十七歳の冬から肺病にかゝつた。そして、明治四十年の夏には、もう医者に、『死ぬ』といふ宣告を下され、もう少しで私は死ぬ處であった。不思議に癒された私は、マヤス生先の厚意で、明石の湊病院に入院し、更に、三河蒲郡に、漁師の家を借りてそこで九ヶ月保養した。そのあばら家に畳も、机もないので、蓆(むしろ)敷き、石炭箱を机にしてゐた――マヤス博士は三晩も泊って、私を慰めて下さった。普通の日本人でさへ、私の肺病を怖れてなかなか泊ってくれないのに、三晩も、私のきたない蚊帳の中で、肺病を怖れないで泊まって下さったこの先生に對して、私は心より感激した。

 肺病が治って、私は神戸の神學校に入學したが、間もなく、私は貧民窟に這入る決心をした。そしてその貧民窟の苦しい多くの経験を通して、絶えず慰めて下さった人は、マヤス先生夫妻であったことを、私は忘れることが出来ない。私は、神學校から學費だけ支給して貰ってゐた。然し、それだけでは貧しい人を助けることが出来ないので、神學校の煙突の掃除をしたり、マヤス先生のお宅の煙突掃除をさして貰って、毎月十圓の金を携へ、貧民窟の病人を世話することにしてゐた。マヤス夫人はまた、私を、三人の子供のうちに加へて、私のために、特別の椅子と、特別のナプキン・リングまでを備へて、いつ如何なる時に飛込んで行っても、私に食事を、家の者同様にさせて下さった。かうして私は、マヤス家の一人に完全になりきってしまった。

                      四

 その後私は、マヤス博士とローガン博士に金を借りて、米國に渡り、プリンストン大學に人學した。アメリカに居るうち、私は、マヤス先生の故郷であるヴアジュヤ州レキシントンを訪問する機會を得た。レキシントンは、有名なワシントン・アンドリー大学のある處で、そこで、マヤス街といふ通りを私は見付けた。

 マヤス先生のお父さんは、土地の大きな金物屋であったさうである。非常に傅道に熱心で、みづから出資して、支那に宣教師を送ってゐたといふことを、私はうっすら聞いた。この金物屋のマヤス家は、ニューヨークの最初の市長の一人であるマヤスの後裔であって、オランダ人の血を承けてゐるといふことである。

 また、マヤス夫人の系統は、ミズリー州の判事で、米國独立戦争の時からの家柄で、シカゴの大きな商賣人のマーシヤル・フイールドー族と開係があることを私は學んだ。

 兎に角、私は、プリンストンから、わざわざ、クリスマスに、ヴアジニヤまで出かけて行って、この慕はしい一族とI週間ばかり贈った嬉しい思出を、今も、ありありと目の前に浮べてゐる。

 私は、煩雑な世の中にも、一人の青年の指導に、これほどまで親切な指導をしてくれる教師が、ほかにあるかどうか知らない。しかし、もし私に、先生らしい先生をいへといふなら、私は、恩師マヤス博士を指さすであらう。

 私は、神學校で、マヤス博士から、ギリシヤ語と、教會歴史と、キリスト傳を學んだ。私は、マヤス博士が特別な大學者だとは思はない。マヤス博士がそれを希望してゐられたなら、必ず大學者になってゐられたらうと私は思ふ。その緻密な頭脳と、科學的な傾向は先生をさうさせないでは置かなかったであらう。然し、マヤス先生は象牙の塔を出て、東洋の傅道に来られたのであった。それで、全く書物と訣別しなければならない位置におかれてゐた。それで、私が、マヤス先生から學んだことは、その緻密な分析と、對比と、順序立てた綜合的研究方法であった。これに對して私は、いゝ教師を得たと思って、マヤス先生の時間を、いつも楽しみにした。

                      五

 マヤス先生は、今も私の先生である。毎年私の経営してゐる農民福音學校に、望遠鏡を運んで、全國から集る學生達に、星と、星の造主である神を指さして下さるのは、私の尊敬するマヤス博士である。

 マヤス博士の生活は、実に簡粗で、その食物などでも、謹厳なモナスタリーの僧侶を思はしめるやうな質素さがある。

 兎に角、私は、マヤス博士からずゐぶんいゝものを學んだ。私はかういふやうな、すぐれた師父を、自分の先生として仰いだことを心より神に感謝してゐる。

 幸ひにも、親友黒田四郎氏が、マヤス博士の宗教説話の断片を筆記して下さったので、その出版を西阪氏に計った處が、西阪氏も喜んで、これを引受けて下さったことを、非常な幸ひだと思ってゐる。

 マヤス博士の愛は、私自身にとって、掘抜井戸のそれの如く、深くそして清いものである。私は、この深く清い愛を、更に日本の隅々へ押広める義務を荷ふてゐる。私は断言する。マヤス先生の宗教説話は、決して、マヤス先生の人格そのものより優れたものではないだらう。寡言な先生は。科學者の如く、星や雑草と親しむ多くの時間を有つてゐられた。自分の行動について語らるゝ處はまことに少い。然し、日本は、かうしたよき贈物を神から賜つたことを、必ず記憶する日があるだらう。

 この書は、さうした神の恩寵を物語るよき記念品として、受取りたいものである。

   一九三三年十月七日

                         賀川豊彦
                                武戴野の森にて
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