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連載:賀川豊彦の著作ー序文など(第193回)

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「神戸・須磨の海」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)


       賀川豊彦の著作―序文など

      わが蔵書棚より刊行順に並べる
 
            第193回


       武内勝口述:村山盛嗣編『賀川豊彦とそのボランティア』
  
 標記の作品は、1973年4月に同書の刊行委員会によって出版されました。賀川豊彦と明治末の初期の段階からその生涯を通して歩みを共にした武内勝氏のことについては、賀川献身100年記念の折りに長期連載させていただき、現在もhttp://k100.yorozubp.com/で閲読いただくことができますので、本書に関してもそこでもご覧いただくとして、ここでは、本書の序(今井鎮雄氏)と「あとがき」(村山盛嗣氏)を取り出して置きます。

 なお、本書は、「献身100年記念」として新版が刊行されていますので、追って改めてこのブログで掲載いたします。



                


 一九五〇年のことであった。あるドイツの神学者とアメリカで出合った。そこで私たちは、戦後の復興をいそいでいる日本とドイツの状況等を、それぞれ交換しあったのである。その時彼は「今後の自分の歩みのために、何としても手に入れたいのは、賀川先生の著作集である。英語で書いてある著作集を探しているが、どうしても手に入らなければ日本語の全集でも手に入れたいがその方法はないか」と真剣にうったえるように云うのである。その後、たまたま帰国の船の中で日本のキリスト教界のある指導者にお目にかかり、その方から「賀川先生はやはり指導者なんでしょうか」と不思議そうにいわれた言葉を思い出す。

 日本における賀川先生の評価はこのことばが示すように、いろいろな評価があるようだが、世界では賀川先生は絶対のものとして輝いていて、奇妙な対照をみせつけられたのである。この違いはどこからくるのであろうか。少なくとも日本の社会運動の歴史の中で、彼ほど先駆的な役割を果たし者はないであろう。例えば、日本の労働運動は賀川先生の論理と指導性の中で出発したという事実は誰もがよくしっている。

 日本最初の農民組合は、賀川先生の家を仮事務所として出発したし、協同組合においても又同様である。神戸にある日本一の灘神戸生協は、特に賀川先生の指導の下に大きく成長していったということは、その歴史をふり返った時に誰もが認める事実であろう。又、賀川先生が展開した神の国運動は、日本のキリスト教史上もっとも成功した救霊運動ということが出来ると思う。そのビジョンは、当時のキリスト者の心をわきたたせるのに十分なほど壮大なものであったし、神の国運動が教会の形成に十分役だったことも、又皆の認めることであろう。

 これほどの大きな仕事と先駆的な役割を、こんなに多方面に、一人の人格として展開した人は数少ないし、そのゆえに、外国の人々は彼の思想をもう一度研究しなおしたいといったのだと思う。しかしながら、私達の国ではそのいずれの面からも先生の評価は必ずしも高いとはいえない。

 先生は、単なる労働運動のための労働運動をやったり、農民運動のための農民連動をやったり、又神学的論理に基づいたキリスト教運動を展開したのではない。先生がもっとも大切に考えたものは、現実の状況社会の中で生きて苦しんでいる人間の魂の救済であった。したがって、一人ひとりの人間とかけ離れたところに運動の論理が進むときに、彼は人間
をとって論理をすてた。先生には論理の流打は関係がなかったに違いないし、又、その故に日本のあらゆる層の主流から遠ざかることもあったであう。

 私たちは今、賀川先生がいかに新生田川地区で生き、いかに苦しんでいる人と苦労をともにし、彼等を愛していたかという事実を先生の真近にいた武内勝氏の言葉を通してここに聞き知ることか出来る。先生の人格が、現実に人の中で如何に対応したかという事実を知ることが出来るのである。そして真に歴史を変えるのは言葉の上の論理ではなく、人がいかに生きたかという事実を通してであるということを思い知らされるのである。

 私達は、賀川先生の人格そのものにふれることの方が、彼の論理にふれること以上に大切であることをこの書を通してしみじみ教えられるし、又、その展開が実は真の社会運動であり、真の証の運動であることを信ずるのである。

   一九七三年三月二十七日
                                 今井鎮雄




                    おわりに


 いつの時代でも偉大な人物の周りには、それを支える有名無名の人々の群がいたことを忘れてはならない。賀川豊彦についてもそれは例外ではない。

 賀川は、伝道・社会事業・労働運動・農民運動・生協運動等を通じて、全人的解放運動のために一生を献げられた偉大なボランティアであった。それが、これらの分野において常に先駆的役割をはたした所以のものであった。「死線を越えて」を始め多くの著作も文学作品のためのものというより、ボランティア精神のほとばしりの結晶とみるべきであろう。しかし、それも賀川一人の手によって成就されたものではなく、その背後に彼を慕い、彼に共鳴して従った忠実なボランティアたちのあったことを忘れてはなるまい。この口述はこのことを如実に立証しでいるのである。

 賀川の公けの活動は、明治四十二年十二月二十四目のクリスマス・イブより始まる。教会のなかでしか、クリスマスの喜びを分ち得ないキリスト教界のあり方に義憤を感じつつ、この喜びを味わえない人々と共にこそ重荷を分ち合おうと決断して、新生田川地区に献身したのがこの出立の時点であった。その後、米国留学をも含めて約十五年間、関東大震災を経機として東京に居を移されるまでの期間、この地域を拠点として活躍されたのである。

 この口述は、この時期に焦点を合わして語られたものである。口述の動機にあるように、賀川の献身五十年目を記念して、神戸に於ける初期の事業について、資料を残こしておこうということで、計画されたのがその切っ掛けであった。口述者は当然のことながら最初の弟子であり、また死に至るまで忠実にその任をはたされた武内勝氏によってなされた。

 口述は「創業当時の回想」という題のもとに、昭和三一年十月十四日より十回に渡って、次のような日程で行なわれた。
  第1回「新川について」           10月14日(日)
  第2回「救霊団のころI            10月21日(日)
  第3回「若い人々」             11月4日(日)
  第4回「新川の奉仕について」        11月11日(日)
  第5回「迫害についてJ           11月18日(日)
  第6回「予言と評判について」        11月25日(日)
  第7回「渡米のころ」            12月2日(日)
  第8回「帰朝後のこと」           12月9日(日)
  第9回「時来る」              12月16日(日)
  第10回「その使命」             12月30日(日)

 聴衆は、神戸イエス団教会の夕拝に参加した人々であった。そのため、やや伝道的色彩がつよいが、そこにイエス団の精神的原点かあることを心う時、それはかえってふさわしい場であったともいえる。にもかかわらず、ここには、社会福祉、社会活動への出発点としての貴い体験としての資料が豊かにもられている。そしてここには、所謂、賀川を神格化しようとする神話はない。人間賀川と人間武内がキリストを中心に出会いそして展開するドラマについての素朴な記録があるのみである。その意味で今後、賀川について研究する者は必ず目を通さなければならないものであるといえるであろう。

 口述は一旦テープに治められ、それをそのまま原稿にうつし、三百五十枚を越えるものであった。武内氏自身、これに目を通し、訂正もされているが、何分文章自体はテープからおこしたままであったので、武内氏の口調をくずさない範囲で、相当部分に手を加えた。又、各章も内容に従って改めて題をつけなおし、読みやくするために、更に項目に分げそれぞれの内容に見出しをもつけた。

 昭和三十三年、私は賀川先生の招きで、イエス団の事業にたずさわることとなり、この口述のことを知り、是非これを本の形で保存しておきたいと、既に武内氏の了解を得ていた。しかし、その後、賀川記念館の建設等、雑務においまくられ逐に武内氏生前にはその約束をはたせないままに今日に至ってしまった。この度、賀川記念館十周年記念を迎えるに当り、その記念とするために一気にこれをまとめたものである。もう少し、時間をかけて整理をし、また関連資料や註を詳細に入れたいとも思ったがこの度はこの程度に止めておくことにした。

 この出版は、武内氏が且って園長としてその重責をになわれた天隣乳児保育園(現園長武内雪氏)・神視保育園(現園長竹内正枝氏)・友愛幼稚園そして賀川記念館の四者の協同でなされたものである。

 原稿整理のためにイエス団関係の次の方々-川崎福蔵兄・沢守佐理以姉・細川秀子姉・近藤孝子姉・加藤季代子姉・西内芳子姉・新居千代子姉・大熊かつ代姉・山本薫姉・村山和子姉の方々に特にお世話になった。それぞれ多忙な仕事をもちながら心よく協力をしていただき、心より感謝をする次第です。これで私も天国にいらっしやる武内さんへの約束を責すことができ、ほっとしている。

 次は武内氏自身「仕事が一段落したら、イエス団の歴史を書き残したい」と云っておられたその仕事にとりかからなければと思っている。

   昭和四十八年三月三十一目(武内氏召天八周年記念日)

                               編者 村山盛嗣



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