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連載:賀川豊彦の著作ー序文など(第201回)

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「姫路のお城まつり」(今日のブログ「番町出合いの家」http://plaza.rakuten.co.jp/40223/)


        賀川豊彦の著作―序文など

       わが蔵書棚より刊行順に並べる
    
              第201回


       鳥飼慶陽著『賀川豊彦再発見―宗教と部落問題』

  
 本書は、賀川に関する関する初めての書き下ろし『賀川豊彦と現代』のあと、2002年11月に創言社より刊行されました。

 ここでは、本書の「はしがき」と「あとがき」を取り出して置きます。



                    はしがき


 「賀川豊彦生誕百年」を迎えたのは一九八八年でした。早くもあれから一四年の歳月が過ぎました。賀川は一八八八年に神戸で誕生し、一九六〇年に東京で七二歳の波乱の生涯を終えましたから、「賀川豊彦没後」を数えても四〇数年を経たことになります。過日、兵庫県人権啓発協会より「研究紀要」第四輯への寄稿依頼をいただき、賀川豊彦に関する自由な論稿を求められました。いまその構想を練っているところですが、仮のタイトルを「賀川豊彦没後四〇余年―-二I世紀を生きる・私的断片ノート」として、没後の賀川を振り返ってみようと思っています。また先日は、東京の賀川豊彦記念・松沢資料館より今年は開館二〇周年記念を迎えられるそうで、「二一世紀へ継承するもの」を「研究紀要」に特集し、自由に書くように誘いを受けました。

 二一世紀がスタートしている現在、若い人々の間では「賀川豊彦」の名前も知らない世代が増えています。それはそれで仕方のないことですが、戦前戦後を通して世界に羽ばたき、日本国内津々浦々にまで足を運んで、人々の心のうちに「いのちと光」を呼び覚ました彼の足跡と「熱いおもい」は、現在も私たちのうちになお燃え続けていることも確かな事実です。

 賀川が生涯を閉じた一九六〇年は、ちょうど「六〇年アンポ」で沸き立ったときでした。私は京都で学生生活を送っていましたが、不思議なご縁でこんにちまでずっと賀川豊彦という「人と生涯」に心魅かれてきました。とりわけ、まだ青春時代の一九六六年春、賀川の本拠地であった神戸の教会にお招きをうけたことで、日々「没後の賀川」に親しんできました。「生誕百年」のときには、部落問題との関連で『賀川豊彦と現代』(兵庫部落問題研究所)という小著を刊行し、数々の思いがけない愉快な経験をいたしました。

 一九六八年の春からは、賀川の神戸におけるもうひとつの活動拠点である長田区の下町で「在家牧師」の実験をはじめ、部落問題解決の疾風怒濤の激動期を多くの関係者と共に歩むことになりました。問題解決がほぼ見通しの立った一九八〇年前後から、キリスト教界を含む宗教界が、部落解放同盟の「差別糾弾闘争」によって大きく揺れ動き、「同和問題にとりくむ宗教教団連帯会議」といった組織もつくられて、「宗教と部落問題」に関連する研究活動も一定前進いたしました。

 一九八五年一一月には、その激動期に模索を続けた拙いノートの中から、一九八〇年代半ばまでのものを取り出して『部落解放の基調-宗教と部落問題』としてまとめて発表しましたが、今回はその後のノートの中から特に「賀川豊彦」と「宗教と部落問題」に関連するものを引き出して『賀川豊彦再発見――宗教と部落問題』として刊行することになりました。前回同様に、未熟で独りよがりなノートばかりで、まとめて公表してご批評を仰ぐには気が引けます。しかし、私にとってその時々に求められて言葉にしたものばかりで、今後の新しい歩みを踏み出すための、自分のための捨石にしたいと願っています。厳しいご批判をいただければ有り難く存じます。

 これまで私は、幸いなことに多くの恩師にめぐまれてきました。先の「部落解放の基調」に収めた作品は、その一人の恩師・滝沢克己先生に送り届けていたノートばかりを編んで、先生の没後に刊行いたしました。今一人私に取ってこれまで大きな影響を受けてきたのは、同書に度々言及した延原時行先生です。長期間にわたって米国やベルギーなどで教鞭をとり、一〇年程前から帰国して新潟の敬和学園大学にあって旺盛な活躍を続けておられます。今年の五月には東京・国連大学での「国際哲学オリンピアード」の会長を務めて成功を収め、「キリスト教と仏教の対話」を中心とした学問的探求に一層の意欲を燃やしておられます。もしもこの方との出合いがなければ、「小さな出合いの家・労働牧師・在家牧師」といった私たちの冒険と実験は始まらなかったかもしれません。前書でも本書でも、滝沢先生と延原先生の思索のあとを未消化のままにして、勘違いしているところも少なくないかもしれませんが……。

 いずれにいたしましても、本書が、いくらかでも「賀川豊彦再発見」の誘い水となり、現在もなお問題を山積したままの宗教界に「聞かれた自由の風」が吹き通る機縁になれば、著者としては満足です。これからさらに研鑽を重ね、新しく与えられる諸課題に、日々微力を傾けたいと思います。

  二〇〇二年一〇月
                               著  者



                    あとがき


 本書に収めた一一の文章は、『賀川豊彦と現代』(兵庫部落問題研究所)を一九八八年に刊行して以後一〇年余りのあいだに発表したり下書きノートとして残されていたものです。野外での短いお話や小さな研究会での座談、大きな集会での講演や研究紀要の論文、雑誌その他に寄稿したものなど雑多なものばかりです。話し言葉のものもあれば論文調のものもあるので、この際にできるだけ全体を纏まった構成にして文体も統一してみたいと試みたりしてみましたが、結局ご覧のかたちになりました。それぞれ元のままで題も発表の時のものに変更を加えませんでした。時の移り変わりは激しく、こうした社会問題を扱う場合は「状況への発言」といった性格は避けがたく、むしろ「その時のまま」といたしました。また「賀川豊彦」や「宗教」「部落問題」といったことについては、あまり共通の理解を前提にして語れない側面がありますので、せめて適切な補注を加えれば分かり易いとも考えましたが、結局それも割愛いたしました。探し求めてきた「基調」のいくらかでも受け止めていただければありかたいと思います。

 今も柄にもなく、神戸市外国語大学と神戸保育専門学院の依頼に応えて、「部落問題と人権」「人権教育」といった講義を続けています。このような拙い書物が、どれだけ現在の新鮮で切実な「基本的問い」に響き合い、新しい飛躍のきっかけとなり、共に「発見の喜び」を楽しむことができるかどうかおぼつかないことですが、「今を生きる」若い学生かちとの「出合いと対話」は、私にとっていま、誠に「ありかたい」ひとときとなっています。

 最後に、古くから格別の御友誼を受け、御助言をいただいてきた創言社の村上一朗氏と坂口博氏には、この度もまた本書の刊行には多大なお骨折りをいただきました。心からの御礼を申し上げます。

  二〇〇二年一〇月
                             鳥 飼 慶 陽


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