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賀川豊彦の畏友・武内勝氏の所蔵資料より(2)

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1963年6月6日「毎日新聞」夕刊

   一粒の麦は生きている 50年なお救貧運動

               故賀川氏の遺志ついで 

 神戸の武内さん
日本が生んだ世界的社会事業家、故賀川豊彦氏の小説"一粒の麦"の主人公がいまも豊彦氏の遺志をついで恵まれない人たちのために神戸の裏町を歩き回っている。偉大な師であり親友でもあった豊彦氏がなくなってすでに3年あまり、しかし"一粒の麦"のモデルはいまなお、約50年前、豊彦氏とともに毎夜「新川」を辻説法に歩きまわった情熱を心の奥深くたぎらせて生きている。その人の名は神戸市葺合区吾妻通5、神戸イエス団常務理事、武内勝さん(70)。(ここに賀川豊彦の写真)


 武内さんは明治二十五年七月ニ十日、岡山県邑久郡の農家の長男に生まれた。裕福な農家だったが父、用三さんが鉱山に手を出して失敗、家出してから武内さんの苦労がはじまった。日露戦争後の明治三十八年、当時十三才の武内少年は母と弟三人を連れて大阪市西区の九条にやってきてアメ、キビダンゴの行商で細々と一家を養った。父からはハガキ一本も来なかった。翌三十九年六月「ノミとり粉を売ったらもうかるで・・」という友だちのすすめで梅雨でノミがはびこる九条の裏町を「ノミとり粉いらんか」と売り歩いていると、アンチャンふうの男が「大阪なんかあかんわ。神戸へ行ってみ。南京虫がウヨウヨしてるわ」とひやかして通りすぎた。

 ノミトリ粉を売る

 武内さんは当時日本一のスラム街といわれた神戸新川のキチン宿に宿をとり、手当たり次第に南京虫を数えはじめた。いるわ、いるわ、殺した南京虫はなんと四百ピキ。いまならさしずめ"市場調査"というところ。「これなら商売になるわい」と翌日からノミとり粉を売りはじめると、売れる、売れる、いっぺんに五円ももうかってちょっとした金持ちになってしまった。

 「南京虫」のおかげでフトコロが安定したので同年九月、武内さんは一家を神戸に呼びよせ、昼はほうろう製造所に日給十二銭で働き、夜はコウヤク売りやヤキイモ屋などをやって一家を支えた。こうして武内さんは貝ボタン製造の機械を買い、職工約二十人を使う工場長にまで出世した。

 賀川氏の説法に心酔

 神戸に来て三年目のある日、父用三さんがどこで武内さんの居所を知ったのかひょっこり姿をみせた。「すまん、すまん。ようここまでやってくれた」父と子は十三年ぶりの涙の対面だった。ある日まだ二十才をすぎたばかりの神学生らしい男が武内さんの工場にやってきた。「私は賀川豊彦です。お父さんに頼まれて説教に来た」というが早いか、大勢の工員たちの前で一席ぶちはじめた。説得力にみちた説法と若々しい情熱に武内さんらはあぜんとした。こうして武内さんは豊彦氏の弟子としてまた友人として結ばれ、豊彦氏の先生、マヤス神父から先生を受けるまでになった。あとでわかったことだが父、用三は「新川」の貧民くつの伝道所で豊彦氏に会い、その人物にほれこんで武内さんの将来を託していたのだった。

 辻説法の提灯もち

 当時、日本一のスラム街といわれた「新川」は仲仕、土方、人夫のほか身体障害者、失職などで生活能力を失った最下層の人々が約七千世帯(現千六百)もいた。殺人事件も毎月のようにあった。豊彦氏は幽霊が出るとうわさされて借り手がなかった葺合区北本町六の長屋を借りてイエス団を創設した。「ボクは伊藤博文よりえらい」「ボクの仕事は歴史に残る」と大言壮語する賀川氏に、最初はあっけにとられた武内さんらも毎夜、辻説法に出る豊彦氏の提灯もちをするうち次第に豊彦氏を尊敬できるようになった。
 「神学校でもらう十二円のうち四円だけは自分のことに使い、あとはみなスラム街のために使っていたようです。そして金がなくなったら外人宅のエントツ掃除をするのが常でした」と武内さんは豊彦氏をしのんでこういう。

 悲し!婚約者の死

 大正三年八月、豊彦氏は「イエス団の運営を君に一任する」といったままアメリカ、プリンストン大へ留学してしまった。武内さんはがんばった。武内さんと結婚することになっていた六つ年下の芝文子さん=はるさんの令妹=も一生懸命だった。しかし、大正六年二月、文子さんは無理がたたって肺病で死んでしまった。豊彦氏の留学中の悲しい出来事は、そのまま日本の救貧活動と尊いギセイでもあった。同年四月、豊彦氏は帰国、再び神戸「新川」にもどってきた。豊彦氏がいなかった二年八ヶ月の苦しい救貧活動―娘たちは女郎屋に売られていく、殺人事件が毎月のようにおこった―武内さんは豊彦の留守中の出来事を原稿用紙五枚に書き上げて豊彦に出した。「これは立派な文だ。この作文をわたしにくれ」と豊彦氏はいって何度も武内さんの作文を読み返した。「これが十余年後の昭和四年、小説"一粒の麦"のタネになったのです」といっている。

 暗い現実が小説に

 小説"一粒の麦"は雑誌「雄弁」の昭和四年十一月から五年十二月まで十四回にわたって連載され、発行所の講談社は翌年二月、単行本として出版、その後、版を重ねて売り上げ部数は八万六千部に達し当時のベストセラーになった。「豊橋の材木屋に勤めていた十九才の嘉吉は色町の誘惑にまけて店の売上金五円を着服する。しかしその後、山の仙人といわれるサルまわしや伝道所の集会の話を聞いて神を知る。兄が警官を殺す。姉が娼妓に売られる―こんな不幸な嘉吉の身にも芳江という女工が恋文を寄せたことから嘉吉と芳江の間に恋が芽ばえる。嘉吉らの信念である山林の開発事業は迫害にもかかわらず着々と進むが嘉吉がやがて入営、出征しているあいだに伝道所の村野先生から芳江の死を知らせる電報がとどく。入営後二年、村に帰った嘉吉は裏山に芳江の記念碑を建てる」―ざっとこんなすじ書きの"一粒の麦"は賀川氏がめざした立体農業、協同組合運動を書いた理想小説でもあり、美しいロマンスを秘めた純愛物語でもあった。

 嘉吉が武内さん、芳江が故文子さん、サルまわしが武内さんの父用三さんをモデルにしたことはもちろんだが、「作中の嘉吉は夜遊びをするが私はそんなヒマはありませんでした」とモデルの武内さんは小説と事実とのちがいを指摘している。キリスト新聞社発行の豊彦全集十五巻はつぎのように述べている。

 「主人公嘉吉の無口で純真な性格と信仰的な行動とは賀川の貧民くつ伝道を初期のころから助けつづけた武内氏にヒントを得ている。・・山の仙人は武内氏の父君を素材にしている。この人をサルまわしに仕立てて賀川の風流運水的心境と立体農業政策とを現わそうとしたものであろう。」

 いまもまく一粒の麦

 「本が出たときは私に"本をくれ"という人が多くて十冊ばかり同じ本を買っては人にあげました。もう二十年以上も"一粒の麦"は読んでいませんが・・。ほんとうに賀川先生は私の最大の師でもあり友でもあった」―その豊彦氏も三十五年四月二十三日、七十二才で他界した。しかし豊彦氏とともに五十年、片腕となり救貧活動をした武内さんはいまも健在、ことし四月十三日、完成した賀川記念館の常務理事をするかたわら、長田区三番町で乳児保育園園長をしている妻の雪さん(61)を助けて貧しい人、恵まれぬ子らのために"一粒の麦"の努力を続けている。


 この記事は無署名であるが、神戸在住の元毎日新聞記者の津田康氏からは以前、「武内勝さんの取材をして記事にしたことがある」ということを聞いていたので、今回の「武内祐一氏所蔵「玉手箱」」に遺されていたこの新聞記事を見て、多分これはその記事ではないかとおもい、早速この新聞をコピーして津田氏に御送りしたところ、2009年4月22日付けの返信書簡が届き、次のように記されていた。

 「・・「毎日」入社3年目、神戸支局時代、確かに小生が書いたもので、「一粒の麦・・」の見出しとか、武内さんの写真(小生の撮影)は、よく憶えています。・・それにしても、当時の新聞記事は、活字も小さく、"短編小説"くらいの分量書けたのですね。まだ25~26才くらいでしたから、支局内に泊まって、多分徹夜で書いたのでしょうね。・・」)

 もちろん武内祐一氏にもこの新聞記事はコピーして一番に手渡し、喜んでいただいた。(2009年4月26日鳥飼記す)


津田康氏は毎日新聞の編集委員をされたり「陽は舞いおどる甲子園」「蔦文也の旅」「くるまろじい」「天保山物語」など多くのヒット作品で知られているが、京都大学法学部時代には村山実と同時期、京大野球部のエースでもあった人で、神戸在住のジャーナリストである。いまも山登りがお好きで、ときどきお誘いをうける。

 なおこの新聞記事はそのまま、武内勝口述・村山盛嗣編集『賀川豊彦とボランティア』(神戸新聞総合出版センター)に収められた。2014年1月15日補記)


 なおもうひとつ、「賀川豊彦」に関するわたしの最初の書き下ろし『賀川豊彦と現代』を「賀川生誕100年記念」の年(1988年)に出版した時に、当時「毎日新聞大阪本社編集委員」をされていた津田康氏が、わざわざ我が家に取材にこられて、毎日新聞の「ひと」欄に紹介してくださいました。これにはたいへん驚きましたが、このとき以来、津田氏はいろいろな機会に拙著を紙上で紹介しつづけてくださいました。むかしの記事ですが、ここに加えて置きます。(2014年1月16日補記)

毎日新聞
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