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賀川豊彦の畏友・武内勝氏の所蔵資料より(14)

   馬島僴とイエス団友愛救済所
 
 馬島医師の神戸における働きは少しの期間であるが其の足跡は大きいものがある。

 今回の「玉手箱」のなかに、馬島医師から武内勝宛に留学先から送られた絵葉書が残されている。これの消印をみると留学中のシカゴ大学のあるシカゴから投函され、1921年(大正10年)9月2日と読み取れる。


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 表には「神戸吾妻通五丁目賀川様方武内勝様」とあって、本文は、


 ご健在を祝します。不断の御奮闘に感謝致します。職業紹介の方は如何ですか。アメリカの様な馬鹿に富んだ国で数十万人の失業者があるなどとは変な事です。昨日も今日も四ヶ月五ヶ月の無職者に会いました。何が一体その根本でしょう。何処かにまちがいがなくてはなりませぬ。私も失業者でありますが。

 とあり絵葉書の絵は、シカゴ美術館のWinslow Homerの絵のようである。
 その欄外の空白に馬島医師は、次の熱いことばを添えている


 打ち壊される大浪を眺めて 噫 平和が何時? 祈りませう 泣きませう


           *         *


 ところで、馬島医師の神戸での働きについては、葺合新川での「イエス団友愛救済所」(財団法人、大正7年8月27日設立)での働きがよく知られているが、彼が一家を挙げて住み込んで診療活動を行なった私たちの暮らす当時「林田区」(現在は長田区)「番町」が彼の活動拠点であったことの詳細は、これまでよく知られてこなかった。

 賀川豊彦は、「番町」の名望家として知られる大本甚吉氏の協力もあって、その持ち家のひとつ(五番町5丁目81)に診療所を設け、「新川」の「イエス団友愛救済所」の「番町」の「出張所」を「長田出張所」として活動をはじめたのである。

 下記に紹介するのは、大正9年(1920年)3月7日付けの「神戸新聞」である。
 時代を髣髴させる記述であるが、今ではこれも貴重な記録である。殆ど句読点のない記事であり、ここでは段落をいれるなど、いくらか読みやすくして取り出しておく。(2009年6月3日鳥飼記す。2014年1月27日補記)



       *      *      *


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   虐げられた人々の為に身を委す若き医師 

   新川部落の憐れな貧困者を闇から救ふ友愛診療所

 昨年七月頃から、市内の葺合新川及び長田番町の二ヶ所に友愛診療所というのが置かれて、貧困者に対し無料で診療が施されている。同所のお医者さんは、すべての病者に対する取り扱いが丁寧で、動かせぬ患者には往診もしているが、親切なその診察振りに部落の人達は、あたかも神様のように崇めている。

 そのお医者さんというのは、一昨年名古屋の医専を卒業した馬島僴氏で、一年ばかり郷里の徳島に帰り、祖父である若林医学博士のもとにあって医学の研究をしていたが、同氏は中学時代から杜翁の著書を好んで読んでいたが、医専を卒業して実社会に触れるようになってからは、気の芽生でか少なからず杜翁に私淑して何かやらなければならぬという心の悶えで、南洋を志しては南洋方面に関する書籍を渉猟し、北海道を志してはさらに北海道に関する書籍や田地を知る人達の意見などを叩いて見た結果、どうしてもジッとしていることが出来なくなり、

 昨年五月、名をレントゲンの研究に籍りて郷里を飛び出し、当地で計らず賀川豊彦氏に邂うて、一夕氏から虐げられている暗黒な社会層の有様を聞き、解放されたといっても繋縛から免れ得ず、益々藻掻きに藻掻きつつある彼等の生活、氏のこれに関する研究を聞いて、心は頓に動いて、遂に賀川氏と約束して、米国の伝道局から資金を仰ぐことになり、翻然北海道行きを廃めて、これらの社会層を研究し、自らその中に投じて、之が救済の手を差し伸べるべく、

 昨年七月、先ず新川の賀川氏の許に友愛診療所を置き、次いで間もなく番町大本氏方に同様の診療所を設けて施療することになったが、徹底的に彼らを研究し救済するには、彼等の部落に全然身を投じなければならぬというので、今まで須磨町西代に私宅を構えていたのを、

 先月二十日に家族全部を引具して、前記番町の診療所に引き移ったが、この時などは同町青年団の連中が勇み立って、氏の一家を連へ引越しの準備万端を整えて呉れたというが、現在同所には氏の妻女を始め母堂、令妹、令息などを迎え入れ、現に令妹はまだうら若い身をこの部落に投じ、白い看護婦服に包んで令兄の手助けをしているが、

 馬島氏は曰く「只私は、人間として一切平等であるべき筈の人が、習慣の為に、社会の繋縛から脱し得ずに苦しんでいる人達を憐れに思うのです。先ず私は、茲二年なり乃至三年なりを只黙して研究し、この不幸な人達の真の友人として生きねばなりませぬ。これが私の一生の仕事になるでしょう」と深い決心の色を示している。


          ♯         ♯        ♯


 ところで、大正11年1月10日付けの「大阪毎日新聞」の「兵庫県付録」に、間島医師が「M兄」あてに書簡が届けられた記事があることを知ったので、ここに追加して置く。

 当時、村島帰之は毎日新聞の記者として活躍していたことは周知のことで、ここで「M兄」というのは、村島宛ての書簡であることは確実であり、この記事そのものが、村島記者のものである。

 この新聞資料は、神戸大学図書館の長年にわたる労作によって、パソコン上で閲読できるものである。これまでは、図書館に出向き、マイクロフィルムにむかって、時間をかけて検索して接写して、それを文字にしてきたが、こんな便利なサービスが存在していることに、ビックリ仰天している。数年前にいちどだけ、これを活用させていただいたことがあるが、これからは、もっともっとこの作業でも活用させていただきたいと思っている。

 なお、村島に関しては、神戸の賀川ミュージアムのサイト「研究所」のところで、村島の著作ふたつ『労働運動昔ばなし』と『預言詩人・賀川豊彦』を収めて頂いているので、一読いただければ有難い。(2014年1月27日補記)


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大阪毎日新聞 1922.1.10(大正11)
兵庫県附録
________________________________________

  殺人―強盗―酔っぱらい―喧嘩
  警官と労働者の戦闘の連続
  シカゴの貧民窟ウッドロウン街で移民教育事業に従事せる馬島氏からの便り
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 賀川豊彦氏主催のイエス団、友愛救済所の主治医として神戸新川及び兵庫番町六万の貧民部落民の為に無料診療に従事していたドクトル馬島僴氏は、目下米国シカゴの貧民窟ウッドロウン街でシカゴのセットルメント・ウォークの研究に従事しているが、最近同氏から次のような通信があった。

 M兄
  十二月十日
                                    馬島僴

 クリスマスが近づいて来たので、シカゴで有名なダウン街の賑かさはまた一入ですが、一方では、物騒なピストル騒ぎが繁くなって来て、並外れて団体の愛らしいお巡りさん連も、泥棒と見れば早速ヅドンと一発お見舞する仕末で、強盗と来たらどれもこれも自動車に乗って、双手にピストルを持ってるから甚だ仕末が悪い。彼等は昼夜の別なく、又場所構わずに縦横無尽に横行闊歩していて、少しでも金のありそうな男が、夜中一人歩きでもしておれば、何等の挨拶なしに後から射殺して、懐中から金銭や貴金属類を掠奪して終う有様で、其間髪を容れない位の機敏な動作だから、大抵の連中は全く縮みあがっていますが、私などは御蔭様で懐中がいつも素寒貧ですから、こんな心配とは心配の内容が異っていますから、生命の方は一先ず安心です。

 それにしても、禁酒国の此の街で飲酒事件の多い事には驚かされました。泥酔した亭主を射殺した細君等の事件は、ちっとも珍しくありませぬ。酔払いの自動車運転手がさる貴婦人であったり、ホテルで半死半生になる位にまで毒酒をあおっている妙齢の失業婦人のある事などはまだしものことで、ダウン街の中央の大きな警察署と一町と離れぬ処で、半ば公然の酒場があって、その酒場の亭主が労働組合の幹事だったり、酒場の亭主が酔い潰れた客の喧嘩を仲裁して、其場でピストルのお見舞いを蒙ってお陀仏となったりして、さてもさても物騒な次第です。

 しかしながら、かかる事件があったため、これまで有名無実であったブルドッグの禁酒令が喧しくなって来て、近くムーン、シャインで通っていた数百の酒場に、市長さんから禁酒令がやかましく通達されました。五日程前から北部合衆国のパッキング・レーバアーユニオン(荷造業者組合)が大同盟罷業を初めました。

 シカゴでは例の世界一の称あるユニオン・ストックヤードにも、遂に騒ぎが蔓延して来ました。既に此の二三日は毎日、警官と労働者の実戦が連続して、十数人の労働組合員が警官のために射たれたり殺されたりして、頗る物騒な場面を現していますが、一般の米国人はデブ君のアーバック君が美しい女優を殺した事件程の興味も持っていませぬ模様ですから、米国の労働運動も随分と骨の折れることと想われました。過激派の横暴を怒って、ポーランドやフィンランド辺りから来た青年達が米国に来て、此色彩の強いキャビタリズムの影を目の辺りにつきつけられて、再び過激主義を恋しがるという不思議な現象もちょいちょいあります。

  世界的防貧事業家テイラー氏が今春来朝

 話は変りますが、世界的に有名な防貧事業界の第一人者なるドクター、グラハム・テイラー氏が、近い裏に日本を訪ねられるそうです。

 私も先生の事業を見学するために、先生の研究室に伺いますが、先生は一八九四年以来二十有七年間、愛の人人格の人、社会経済学の権威者として、又シカゴ大学の教授として、実に敬慕に値する人です。

 先生は日本及支那の社会事業を視察するために、陽春四月頃に渡日される予定ですが、来られたら大歓迎をして貰いたいのです。

 シカゴは由来排日の気分はあるようで又ないようですが、大学でも団匪事件の賠償金で留学して来てる支那学生の多いのには驚かされました。

 シカゴ大学の教授中にも、一も二もなく日本を不快に想っている人もあるが、中にはマシュウス学長スタール博士やテイラー博士のように、ピンからキリまで日本びいきの教授もいられます。

 米国の社会事業、就中防貧事業は日本のそれとは異った性質を帯びています。シカゴでは貧民窟が大小取りまぜて十八箇所ありますが、シカゴ・コンモンスを筆頭に有名なハルハウス、シカゴ大学セツルメント、ノースウェスターン大学セツルメント等の防貧的社会事業が、これに向って全精力を傾倒しています。

 米国には、新しい移民達に向って、アメリカ化を一番大切な事業として行っていますが、貧しい労働者の多くは無教育で、且東南部欧州から来た人々ですから、かかる人達を相手にしてのアメリカ化事業は仲々難しいことだと想われました。

 私はアメリカ化そのものには多大の疑問を持っていますが、兎に角言葉の通じない十数箇の民族の人達を、隣人として愛してはぐくんで行く事業は、仲々至難事です。

 さりながら米国は富の国黄金の国ですから、同じ貧しいとはいえ日本の貧しい人々とは比較になりませぬ。がその代りに、人種の異った言語習慣の異った且無教育な人々を救済して行くには、どうあっても宗教的信仰が必要だろうと想います。

 テイラー先生の愛嬢ミステイラー女史は、三十名の義勇婦人及十数名の義勇青年と協力して、年三十万円の巨費を投じて、貧民窟の唯真中で奮闘していられます。

 私も目下ポーランド人かイタリヤ人かの貧民街に居を転ずるつもりで、一生懸命に家探しをしている次第です―左様なら
________________________________________
データ作成:2009.12 神戸大学附属図書館



             ♯         ♯        ♯



 「間島と友愛診療所」については、次回にもういちど続くが、東京の「財団法人雲柱社・賀川豊彦記念松沢資料館」の纏めておられる『中間目録1』(2006年3月)には、「イエス団長田友愛救済所設立許可願」の資料が残されているようである。これを見るとさらに詳しいことがわかるかもしれない。先日、この資料のことで東京の資料館あてに閲読方法など問い合わせたところである。(2014年1月27日記す)

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