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賀川豊彦の畏友・武内勝氏の所蔵資料より(16)


      遊佐敏彦と生田川口入所


 標記の「遊佐敏彦」は、賀川豊彦と同い年(1888年生まれ)で明治学院高等学部神学予科の後輩でもある。

 賀川が留学から帰国(大正6年5月)してすぐ関係を持つことになったことのひとつに、設立準備中の「兵庫県救済協会」(清野長太郎知事を筆頭にする団体)があった。

 賀川はその協力を得て、新川地域の数箇所に洗い場を設置するなどしているが、同年11月に協会は正式に発足し、賀川もそこの嘱託に就くのである。

 そして翌大正7年6月には、失業者救済の目的で「兵庫県救済協会生田川口入所」を開設する運びとなった。

 当初、武内勝がこの仕事に適任とみられていたが、賀川はすでに東京で実績を積み活躍していた遊佐敏彦をその主任として招き寄せ、神戸における職業紹介所事業の口火を切ることになるのである。

 遊佐は、昭和45年(1970年)82歳で生涯を閉じるまで、職業紹介をはじめ「社会福祉の先覚者」のひとりとして、ひろく知られているが、今回の「玉手箱」の中には、遊佐敏彦が武内勝に宛てた一通の絵葉書が残されていた。

 文面からは、夏であることはわかるが、日付はなく消印もわからない。
 あて先は、武内の仕事場であった「神戸市東公園 東部労働所 武内勝」である。


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 「旅から 遊佐敏彦」とあって、

 暑中御見舞 平素御無音に打過ぎて居ります 忍ぶ事を示し給ふた主は誉むべきかな 神の国の御用のために 仕事のために 忍んで働き得ることは感謝です。御恩寵を祈りつつ 上田の講演旅行中

 と記されている。

 絵葉書の写真は、「北海道旭川の名所」として立派な「商業学校」が写されている。


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 ところで、「大阪朝日新聞・神戸付録」の大正7年6月8日付けの記事があるので紹介しておく。
 これは拙著「賀川豊彦と現代」(兵庫部落問題研究所、1988年)で一度紹介したものであるが、そこには「男女口入 職業紹介 生田川口入所」という看板のある紹介所の前での写真も収められている。

 開業前の記事であるが、写真説明には「葺合の口入所 門前の人々は向かって右二人目から遊佐主任、貧民救済事業篤志家賀川豊彦、山田兵庫県救済協会嘱託の諸氏」とある。

 なお、この「口入所」には、武内勝氏の妻・雪さんが開所当初事務職員として勤務されていて、当時の遊佐氏のことなども、雪さんから直接お聴きしたことがある。(2009年6月7日鳥飼記す。2014年1月29日補記)

       
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県救済協会の口入屋

     十日から正式開業 申し込みは弗弗と来る
 
 兵庫県救済協会の新事業に数えられる職業紹介所は、愈々十日から執務することとなった。場所は吾妻通四丁目、小ざっぱりした家。葺合方面の貧民を世話するのが主眼だけれど、其の他でも申込みに応ずるそうな。
 
 手続きは至極簡単で、先ず本人直接同所へ出頭し、求職申込書に住所姓名以下型の如く記入する。すると紹介所では金五銭也の通信実費と引き換えに雇い入れ紹介書を本人に渡す。本人はそこで指定の雇い主方へ赴き相談を纏めるのである。愈々雇い入れられるに決定したら、別に紹介所が渡す身元引き請け書に保証人の記名捺印を乞い、雇い主へ差し入れる。これで目出たく就職の段取りとなるわけだ。

 この紹介所の特長は、第一確実で求職者も雇い主も安心のできること、手数料は僅々五銭で足りる、とこの二つである。
 それに今度新規に来任した主任遊佐敏彦氏は、明治学院英文科の出身で、来任前まで東京日暮里の貧民窟に貧民と十年一日の如く同居し、献身的に救済事業に務めてきた人。

 貧民研究には充分経験と知識があるそうだから、万事に便利であろう。特別の事情のある人には身の上相談にも応じると言っている。

 なお、同紹介所の件が新聞紙上に紹介せられたと共に、早くも五月中旬から雇い入れ申込みの葉書が毎日舞い込み既に三十通、下女を欲しいという向きが七八分を占め、丁稚、職工などの要求も若干ある。また求職者も弗弗来訪しつつある。

        
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 さらに「神戸又新日報」大正7年6月10日付けの報道記事も、ここで取り出しておく。


無料口入所の開始
  
  開業前に既に申込みが七十余口 不幸な人の身の上相談にも応じる
  救済談に花の咲いた始業式

 兵庫県救済協会が事業の第一着手として今回、市内葺合吾妻通四丁目四番に生田川口入所を設置し、無手数料で職業紹介を始めること、既記の如くであるが、同口入所は愈々各種の準備整い、今十日から業務の取り扱いを開始するので、昨九日各関係者を同所に招待、従来の経過及び今後の希望などに就き詳細報告する所があった。

 生田川口入所は、小野中道と阪神電車筋との中間の格好な地位を占め、屋根には「兵庫県救済協会職業紹介」という看板が懸けてあって、男女の入り口を別にしている。十三円の家賃にしては比較的広々とした家で、紺の背広を着た主事サンと袴をはいた臨時事務員二三名が忙しそうに事務を執っている。

 当日招待された者は救霊隊、愛隣館、保育所、孤児院、其の他既設の慈善団 体に、船越三宮署長、藤本保安課長、協会側から森本、寺崎両弁護士、嘱託の小田氏などが加わって約二十名。

 先ず遊佐主事から「自分はこういう仕事に何の経験もないが一生懸命にやってみるつもりです」という挨拶の後、色々面白い談話が出た。
 
 その話によると、同口入所ができるという新聞記事によって、既に七十五六通という少なからぬ申し込みがあった。中にはお役所の願い届けのような四角張ったものもあり、又同所の主義として、周旋を拒絶している料理店から綺麗な所を二三名という注文を受けた。夫婦が労働に出た留守中だけ子供を預かって貰いたいからというようなものもある。

 七十五六通の内を調べてみると、女中に関するものが一番多く、その次には丁稚小僧、それから運搬の人夫などが多いそうである。

 同所で雇い主へ紹介した者は、通信費として五銭を申し受けた上、その求職票を渡す。その票は、紹介三回まで有効とある。而して身元引受人の件に就いて、両者の間に直接取り決め、口入所では絶対に引受人にならぬが、その世話は親切にしてやる。なお、場合によっては職業紹介のほか、不幸な人々の為に身の上相談にも応ずるそうである。然し、芸娼妓仲居の斡旋は一切取り扱わぬ事になっている。

 同日この簡易な開業報告式に集まった人々の内から、種々口入所や救済事業に関する件につき意見が吐露され、中には無料よりも三四十銭程度の有料紹介の方が、各種の方面から見て返って効果が多いだろう、との説も出た。

 又、三宮署長は近く大鉄槌を頭上に見舞わるべき運命にある淫売常習者の救済を如何にすべきや、只本県下を放逐するのみにてやむべきや如何になどの興味ある研究問題や、所謂不良少年と老朽者との救済方法如何という問題も論議され、口入所の階上が救済気分に横溢した。 


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 遊佐敏彦の神戸における働きについて『福祉の灯―兵庫県社会事業先覚者伝』(兵庫県社会福祉協議会、昭和46年)の344頁~352頁に取り上げられているので、参考までにここに取り出して置く。ここには「口入所」の内部の写真もある。(2014年1月29日補記)


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