スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

賀川豊彦の畏友・武内勝氏の所蔵資料より(20)


   「馬の天国」と西川のおじさんの死


 賀川豊彦の武内勝宛封書の中に、「イエス団」の西川のおじさんの悲報を耳に吃驚する賀川が、「涙が多くて泣きやみません」として、ご遺族への伝言を頼んだ、藁半紙一枚が収められている。

img473.jpg

img474.jpg

img475.jpg

img484.jpg


 封筒の裏は「東京都本所区松倉町二丁目 賀川豊彦 本所基督教産業青年会」と印刷され、あて先は「神戸市加納町下ル東遊園地 神戸労働紹介所 武内勝様 侍史」とある。
 消印は「13.8.29」と鮮明であるが、大正13年のものだろうか。「西川のおじさん」の没年があきらかになればはっきりすろのだが、いまはそれもわからない。

 この中にはもう一枚、藁半紙に書かれた一文があるが、いまのところ私には書面の中身が分明でない。これは、例の「歯ブラシ工場」建設に関わる文面の様でもあり、武内らが大阪にその技術実習に出向いてことがあるので、その時の書簡だとすれば、時代は全く違って来る。
 賀川の筆跡は、両方とも同じようでもあり藁半紙に走り書きしたもので、署名が「豊彦」と「トヨヒコ」の違いがあるだけでもあるが、どちらも全く日付のないもので、もうすこし時を置いてから、謎解きをしてみたい。

       *     *     *     *

武内勝兄

食堂で会話をしていましたら、馬島ドクトルが西川のおじさんが死んだというているので吃驚しました。多感な私は、それからそれと涙が多くて泣き止みません。
「馬の天国」を書いた時に、私は西川さんを心から讃美していたのです。それであの親切なおじさんを書いたのです。
イエス団に、井上のおばさんの写真と、西川のおじさんの引き伸ばし写真を掲げて置いて下さい(17字傍点)。
プロレタリアの信仰の先駆として善き記念です。
「主にありて死ぬるものは幸いなり」
私は、西川のおじさんや、井上のおばさんのような善人に死なれて、悪人ばかりはびこる世界が悲しくなります。
西川のおじさんを、心より今も思うています。あなたからとくに遺族によくお伝え下さい。
愛兄は御自愛下さい。あまり無理をしないで下さい。
主にありて、凡てを愛の下に置き給らんことを アーメン 
                          豊彦


         *    *    *    *

 賀川の書いた童話「馬の天国」は、大正9年出版の「地殻を破って―散文詩」(福永書店)の巻末に収められた名品である。西川のおじさんは「石川常次」として描かれ、馬好きの常次が「馬の天国」の夢を見るお話になっている。ちなみに、その書き出しは、
 「石川常次は十二になる子供でありました。四度神戸の小学校を落第して、まだ尋常の三年生でありました。今度の学年試験にも四度目に落第して、三年級に三年居ることになって居ました。然し常次は平気なものでありました。・・・」
 ではじまり、
 「常次はその後段々大きくなって、馬に乗ることと、馬の気を知ることと、馬の食物に就いて日本一の物知りになりまして、立派な人になりましたとさ。」
 でおしまい。
        *    *    *    *

 この童話は、後に少し手を加え、他の「青芽の草笛」「驢馬とイエスさま」「大臼の案山子」「のぞみの国」4篇を入れ、これを巻頭に収めて、「賀川豊彦童話集 馬の天国」として、昭和8年に日曜世界社より刊行され、多くの人々に愛された。(2009年6月15日鳥飼記す。2014年2月2日補記)

    ♯       ♯

 追記

このブログで、かつて現在手元に所蔵している賀川豊彦の著作の序文を長期連載した時の第72回『賀川豊彦童話集・馬の天国』(昭和8年9月15日 日曜世界社 152頁)があり、それを参考までに再掲して置く。

 昭和8年に出版された本書『賀川豊彦童話集・馬の天国』は、昭和9年に再版され、第3版は昭和14年に出ています。そして私の手元にあるものは、昭和16年に出版された第4版のものです。そしてその「序」を収めます。また戦後昭和26年にも本書は早川書房より再販されていて、その新しい「序」もここには取り出して置きます。

 
  童話『馬の天国』序

 このお噺は、わたしか、創作したものであります。西洋人の作つたお噺とちがつて、日本人として生きて行かなければならないお伽噺の世界があります。
 私は、毎年、年を加へますけれども、一生、お伽噺の世界から抜け出すことが出来ません。私は、いつまでも、お伽噺の世界に住んでゐます。それで、こんな書物を書いたのです。日本の子供たちに限らす、大人が、私の童話を読んでくれると、非常に幸ひだと思つてゐます。

  一九三三年八月廿五日
      
            賀 川 豊 彦  武蔵野の森の中にて


 この童話作品は、前記のように戦後になって昭和26年8月に早川書房より『馬の天国―賀川豊彦童話集』として、以下の新たな序文を書いて出版されています。賀川全集では、上の初版はカットされて、以下のものが序文として収められています。


    馬の天国 序

 私の宅に黒馬がいた。
 阿波の田舎で育った幼い時の私の日課は、毎朝草刈りで始まった。その馬は二歳の時に片限になった。義理の祖母は日の出前に私を起して、裏の田圃の畝道の両側にはえた萱や茅、げんげなどを「ふご」一杯に刈ることを命令した。私は満六歳に足らない時から、馬と心安くなった。
 黒馬が他に売れて行き、鹿毛の牝馬が厩にはいって来た。祭の日には、徳川時代から伝って来た金蒔絵の鞍をその倉庫から収り出してきて馬の上にのせ、番頭が、村の鎮守に曳いて行った。
 私は、馬を羨やんだ、馬は私より大きく、私より大事して貰い、金ぴかの鞍を背中にのせて出て行く。馬の方が、私より遥にえらいと思った。
 十七になって、私は三河の山奥の津具村の馬と親しくなった。此処では、馬に柴をつけると、人問がいなくてもひとりで家に帰ってくる。
 馬と人間のまじわりには、全く私の想像以上のものがあった。
 だが、私か、神戸の貧民窟に住むようになって、近くにいた馬蹄鉄屋の西川のおじさんは私に親切にしてくれた。私はその人に馬に乗る秘訣を教わった。そして馬を心の友人とすることを覚えた。
 「馬の天国」は、その親切な西川のおじさんが筆を取らせたと考えてくれてよい。狂人と、乞食とゴロッキの多い貧民窟の近くにも、馬と西川のおじさんは、浮世をはなれて私をすぐ天国に導いてくれる親切さがあった。馬と西川のおじさんのような大の親切があれば地上も、天国に遠くはない。
 私にとって、お伽噺の国は昨日の話ではない。年を取っても私は「おとぎ」の国にいる。馬と犬と烏と、親切な人間に会う度に、私はすぐおとぎの国に帰って行く。

   一九五一・六・二五             

         賀 川 豊 彦 東京・松沢
      
 



スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

keiyousan

Author:keiyousan
このブログのほかに同時進行のブログもうまれ全体を検索できる「鳥飼慶陽著作ブログ公開リスト」http://d.hatena.ne.jp/keiyousan+toritori/ も作ってみました。ひとり遊びデス。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。