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賀川豊彦の畏友・武内勝氏の所蔵資料より(25)

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   「日本から善いキリスト教が出ねば嘘です」

    大正14年「サウスサンプトン沖」にて


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 この絵葉書は、消印から見て1925年3月20日のものか?

 もしそうだとすれば、賀川豊彦は、1914(大正3)年8月から1917(大正6)年5月までの米国留学以後、丁度10年後となる1924(大正13)年11月に横浜を出帆し、米国各地で講演を行ない、その後も欧州各地で交流と研鑽を重ねて、翌年7月に帰国するという8ヶ月余りに及ぶ長旅を敢行しているので、その旅のほぼ真ん中ごろ、英国「サウスサンプトン沖」で記したものである。


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 あて先は「神戸市東遊園地 労働紹介所 武内勝様」
 本文は、簡潔な言葉で、次のように記す。

      本日 英京ロンドンに入
      ります。米国で病躯を
      支えて奮闘しました。
      日本から善いキリスト教が
      出ねば嘘です。しっかり
      やりませんとね。之から欧州
      研究が始まります。皆によろしく
      サウサンプトン沖 
                  賀 川 豊 彦


       *     *     *     *

 「日本から善いキリスト教が出ねば嘘です。しっかりやりませんとね。」と武内に記す賀川の言葉は、自信に溢れた強い彼の意欲が響いている。

 彼の独自に証しする「認識」(大正10年「イエスの宗教とその真理」などに見られる)と「行為」(大正10年「死線を越えて」などに見られる)は、日本国内ばかりでなく、一気に世界に響き渡る手ごたえを、豊彦はこの旅先で強く自覚させられていたのであろう。

 この長旅から帰国後すぐ賀川は、あの「貧民窟詩集 涙の二等分」(福永書店、大正8年)に次ぐ第二詩集「永遠の乳房」(福永書店、大正14年)を出版した。


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 この詩集は、

 「凡てを、私は、凡てを、神に賭けた。恰も、博徒が、賭場でするやうに。私は、生命も、財産も、書物も、言論も、自由も、行動も、凡てを、神の賭場にはった。そこに私の詩の全部がある。」

 という「序」ではじまる411頁の及ぶ箱入り上製の詩集であるが、「涙の二等分」以後の作品に加えて、この長旅のなかで生まれた詩をここに百数十頁にわたり収めた。

      *     *     *     *

 この長旅では、ロスアンジェルスに「イエスの友会」が生まれたり、国際連盟で活躍中の新渡戸稲造とジュネーブ郊外で出遭ったり、初めての聖地巡礼を経験するなどしているが、その詳しい旅紀行を、先の詩集とは別に「雲水遍路」という作品として、大正15年に改造社から出版した。


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この作品は、眼病のため執筆も遅れたが、病床での口述などして仕上げられた名品である。
 
 「雲水の心は無執着の心である。
  風に雨に、私は自ら楽しむことを知っている。
  世界の心は、私の心である。
  雲は私であり、私は雲である。
  雲水の遍歴は、一生の旅路である。」

 という「序」ではじまる本書は514頁に及ぶもので、これも箱入り上製本である。
 ここには旅先で撮られた貴重な写真が16枚も収められている。

      *     *     *     *
 
 前に米国留学前の賀川夫妻壮行記念写真を取り上げたとき、関西学院の神学生であった徳憲義が葺合新川にボランティアとして参加し、その壮行記念写真に写されていたことを確かめたが、徳憲義は奇しくも賀川がこの長旅を始めた時、ロスアンゼルスで農園や市場などで働いていたのである。

 賀川の来訪を知った徳憲義は仕事を休み、約三週間賀川に随行し、賀川の「生命がけの伝道」の姿を身近に経験した。


 徳憲義は、昭和4年、新生堂より「詩集 愛は甦る」を上梓し、この時の喜びを書き上げている。
 この詩集の「序」で賀川は、彼を「私の同志」「変わらざる熱情の人、深い同情の持ち主」として讃え、大きな期待を寄せている。

 徳憲義は、米国から度々「イエス団武内勝宛」に金品の贈り物を届け続けたことは、武内の残した日記に深い謝意をこめて書き記している。

 なおその後、徳憲義の著作『生命の歩み』(大正15年)、『愛の本質』(昭和4年)、『歌ひつつ・祈りつつ』(昭和5年)、『ウエスレーの信仰』(昭和13年)などを入手して読むことが出来、さらに昭和37に出版された『愛しつつ祈りつつ――故徳憲義記念』で、その生涯を学ぶことが出来たが、それらについてはまた別の機会に触れてみたい。

 そして、賀川のこの1924年から1925年の長旅には、賀川豊彦のもう一人の畏友「吉田源治郎」の同道のあったことなどに関しては、かつて「賀川豊彦献身100年記念事業オフィシャルサイト」で長期連載させていただいた「KAGAWA GALAXY 吉田源治郎・幸の世界」に触れているので、そちらに譲りたい。
 (2009年6月29日鳥飼記す。2014年2月7日補記) 

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