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賀川豊彦の畏友・武内勝氏の所蔵資料より(26)

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 東京市社会局における「共済組合」(失業者救済)
  

 賀川は1929(昭和4)年7月25日、東京市長堀切善次郎から、社会局長への就任を要請された。この時「神の国」運動の最中であったこともあり、賀川は「社会局長」ではなく「嘱託」として就任した。

 就任後直ぐ、東京市社会局から、兵庫県神戸市東遊園地労働紹介所 武内勝宛に、次のふたつの書簡を送っている。

 第1書簡(封書、東京市社会局の封筒と便箋、2枚)


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 武内勝兄

 お暑う御座います。色々御世話になります。社会局のむつかしい空気の中に少しずつ啄をつき込んでやっています。どれだけ成功するか問題ですが、やれるだけやります。

 扨、本年末の失業者救済の素案に困って居ます。で、「共済組合」を通しての貴兄がやっていられる失業保険組合の模様を少しお知らせ下さい。東京でもあれ(傍点)をやってみたいと思っています。

 貧民窟のことよろしく御願いいたします。 

   東京市社会局にて 
                        賀川豊彦
  一九二九・八・九




第2書簡(封書、東京市社会局の封筒、東京市政調査会原稿用紙2枚)


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  武内勝兄

  色々御世話になります。
  あの案で、この冬は進んで行きたいと存じて居ります。

  すみませぬが宣伝の意味でウンと沢山「組合年報」を貰って下さい。

  また月曜日に県社会課に出張してお願いしておきました。
  何分よろしくお願いいたします。
                          トヨヒコ


   (本文には日付なし。消印は昭和4年8月20日と読める)

       *     *     *     *

 賀川の名著『友愛の政治経済学Brotherhood Economics』(日本生活協同組合連合会出版部、2009年)がこのたび翻訳出版され、いま話題を呼んでいる。

 賀川が1935年から36年にかけて全米で講演旅行を行い、そのときロチェスター神学校においてなされた「キリスト教の兄弟愛と経済再建」(Christian Brotherhood and Economic Reconstruction)というテーマの4回にわたる「ラウセンブッシュ記念講演」が纏められて、それが米国で出版された。

 本書は英・独・仏ほか25カ国で出版され愛読されてきたが、今年(2009年)「賀川献身100年記念出版」として、何と米国で刊行されてから73年ぶりに邦訳出版ということになった。

 翻訳された本書の中の第7章Ⅵ「共済協同組合」の項で、賀川は、神戸における武内勝の開拓的な取り組みに言及しているので、その個所を取り出して置く。


 「日本では、失業者のための共済協同組合が武内勝氏により組織されたが、彼は神戸の貧民街で長年私と一緒に働いてきた人である。私の指導のもと、彼はこの街で、不熟練労働者たちのための共済組合を組織したのである。1927年以降、彼はこれを失業者救済のための組合へと改組した。

 実を言うと、私自身、共済組合を失業者救済のための組合に改組できることは、武内氏が行なうまでずっと気付かなかった。彼の組織は単純であった。彼は全失業者に登録をさせた。失業者として登録をした者が1,000人いたとしても、最初の日には250人の働き口しか見つけられないかもしれない。この場合には、職にありつけた人がそれぞれ5銭を、雇い主からの5銭と神戸市からの5銭とともに一つの基金に払い込む。2日目にはもう250人の人が働き口をみつけることができるかもしれず、この場合には、彼らの雇い主や神戸市と一緒にその人たちも5銭を払い込む。こうして4日間の最後の日には、その間に何の働き口も得られなかった250人が残ってしまったとしよう。これらの失業者は、職を得られた人たちの支払いとその雇い主や神戸市の支払いによって生じた基金から、失業の3日間にたいし合計45銭を受け取ることになる。実のところ、神戸市は、私たちが想定したケースよりも多くの人々へ雇用を提供することに成功し、そのため失業者はおのおの、私たちが想定したケースで考えられていたよりも多くを受け取ったのである。

 私は失業者のためのこの互助システムを東京市に紹介した。今、日本の六つの大都市がこの制度の実施へ動いている。この互助の際立った特徴は、それが単なる失業手当となるのを防止するものとして導入されれてきたところにある。1か月間連続して働く者には、一定の払戻しが行なわれる。失業に脅かされる状況が続くかぎり、私はこの種の共済保険は大規模な救済制度よりはるかに効果的だと信じている。それは、労働者階級の士気を支える勤勉さを促進する。」(119~120頁)

       *     *     *     *

 ところで、今回の「玉手箱」の中には、武内勝の戦前の日記が1冊、1927(昭和2)年8月1日から1929(昭和4)年6月5日までのものが残されていた。
 ここにその中から、当時の神戸にける失業問題、日雇労働者の現実に苦悩する武内のメモを拾い出しておきたい。

       *     *     *     *

 「神戸市の屋外労働者殊に日雇労働者の賃金が一般に低下していることが知れた。社会政策位では追い付かなくなる。」(昭和2年8月18日)

 「失業者の訪問は次ぎから次へつきない。今日はマヤス先生からも紹介があった。失業ほど辛い経験は少ないであろう。お気の毒に堪えないが何ともすることが出来ない。日本の失業問題の解決は矢張り移民に待つより他に方法がなかろう。」(同年9月15日)

 「市吏員淘汰、壱百五十名に及び首の残って居る者も余りの移動に驚いている。噂に噂を呼び残留者迄が戦々恐々として居た。現代に於いては失職程無産者として強圧されるものはない。」(同年10月18日)

 「冬季失業救済事業案は原案通り可決した。之に依って毎日千五百人平均の日傭労働者が就業だけは出来る。自分等も意を強くする。多忙ではあるが、満足である。」(同年11月15日)

 「職業紹介委員会に出席。今日から失業救済臨時に土木事業に救済される労働者登録開始である。受け付けて驚いた。二千三百四十九人の申し込み者があった。去年五日間に申し込んだ数を当年は一日で受け付けた。当年の不況の深刻さと一つは救済事業の何であるかを労働者が充分に知ったからであろう。何にしても之だけ多数の人達が失業状態にあることは由々しき社会問題である。」(同年11月24日)

 「失業救済事業使用の人夫三百五十名を愈々断った。気の毒であったが仕方がなかった。働くに職がなければ金が儲からず金がなければ喰えず、喰わなければ餓死のほかはない。天の父はこの人達をどうして下さるかと心配でならぬ。」(昭和3年3月12日)

 「今日から失業救済事業の繰り延べ工事に着手した。使用人員壱百二十三名に休職申し込み者は五百を超過している。日本の失業者は日に増加して行きその救済名案はなく憐れむべき状態にある。」(同年4月8日)

 「西部に於いてのみでも七百名を数えた。此れ等の多数が全部アブレるので何たる惨憺であろうか。彼等は本当に飢えに迫っている。世には富んで喰い余り贅を尽くせる者もあるものを。」(同年4月9日)

 「救済事業での多忙も忘れられる程になった。日雇労働者の将来に就いて考えて見よう。唯にパンの途をのみの解決でなく本当の救済に関する実際問題を。」(同年4月14日)

 「日傭労働者を保護し救済する為には単に労働紹介のみの事業に終わってはならない。一大計画を立て政府当局を動かし救済資金を下付させなくては冬季に限られたる失業救済事業では徹底しない。少なくとも神戸市在住の日傭労働者は残らず救済し得るの方法を講じなくてはならぬ。」(同年4月24日)

 「今日はメーデーであるが雨天の為めに之に参加する者が少ないであろう。日本の労働祭は、最初に於いて余り振るわなかったが、二三回目には可也盛んになったものを、官憲の弾圧と雇い主側の排斥とに依って漸次下火となった観がある。神戸には特に著しいものがある。メーデーに参加した職工は解雇するとは何たる乱暴であろうか。」(同年5月1日)

 「最近は毎日失業問題を考える。之を救済するの名案がない。困ったものである。名案があっても之を実行しない今に於いて、対策を講ずるに非ざれば日本にも革命を観るの惨事が生ずるであろう。日本を失業から救済する為に更に考え祈ろう。」(同年5月4日)

 「河川工事に働く労働者中百二十名を馘首する事になった。日慵労働者程気の毒な生活者はない。自分はかかる人達の為に使命を負う可きであろう。」(同年5月8日)

    *     *     *     *

 賀川豊彦の東京市社会局の嘱託の期間は結局1年足らずで終わり、1930(昭和5)年5月15日に辞任している。 一方、武内勝は戦中戦後一貫して、この道一筋であった。

 なお、賀川豊彦の著作の『聖浄と歓喜』(日曜世界社、昭和4年)の101頁には、1927年7月のイエスの友夏期修養会における説教「職業をきよめ」が収められている。そのなかで、賀川は武内勝と杉山元治郎のことにふれて、次のように述べていたので、参考までにここに付記して置く。

 「職業を潔めよ、イエスの友は其処にある。私は自分で著述をして食っている。我々は一生を通じて神の国運動を実行して行きたいと思っている。時を得るも得ざるも伝道をしなければならない。
 神戸の武内君は17年間私を援けていてくれるが、今は神戸労働職業紹介所の主人として毎日六百人からの人を世話し、最近労働者災害保険組合を作って、三万人からの労働者の為に尽くし、政府も之に二十万円を出すという事になったが、一人のすることとして、これほど大きな仕事はありえない。それで同氏は相変わらず伝道をしておられる。
 杉山元治郎氏もまた然りであって、嘗て農村の伝道師であったときに、ミッションから、教会を移れという命令がきたものを拒んで移らず、焼き芋屋になってその地の伝道を続けられた。」

          (2009年7月3日鳥飼記す。2014年2月8日補記)
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