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賀川豊彦の畏友・武内勝氏の所蔵資料より(28)

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      New York Skyscrapers(1925) 

 1924(大正13)年11月26日、賀川は横浜より春洋丸で出帆、米国留学後最初の渡米の船旅をはじめる。全アメリカ大学連盟の招待を受けたのである。 

 12月4日ハワイに立ち寄り、ホノルルで講演を行い、12月16日サンフランシスコ着。この渡米の目的は「排日移民法による日米和解の対話のため」の渡米といわれているが、Union Theological Seminaryをはじめ各地で講演会や会議に出席し、ロスアンゼルスに「イエスの友会」も誕生したことは、すでに紹介した。

 すでに長期連載「KAGAWA GALAXY 吉田源治郎・幸の世界を訪ねる」で詳しく見たように、このとき吉田源治郎はオーボルン神学校を卒業後ユニオン神学校・コロンビア大学などで学び、「労働者伝道」の志を抱き、賀川の欧州視察旅行にも一部同道することになるである。

 この絵葉書は、消印を見ると1925年2月26日に投函されたもののようで、3月14日、英国に向かってニューヨークを出発するまえに、「神戸市東遊園地内 労働紹介所 武内勝様」充てに送られたものである。

 珍しい折りたたみの記念絵葉書で、宛名書き以外の賀川の文章はない。
 16枚もの写真が入っている。

 では、宛名のある表書き最初に、いくつかを紹介してみたい。
   
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 賀川は、ニューヨークを後にしてイギリス、フランス、ベルギー、オランダ、デンマーク、スイス、イタリー、聖地を巡礼して、エジプト、紅海、セイロン、香港、上海を経て、7月22日長崎に着いている。

 吉田源治郎は賀川より少し早く帰国して、大阪における「四貫島セツルメント」の創設準備に取り掛かるのです。

 この長旅の中で生まれた詩作品は第2誌集「永遠の乳房」に、紀行文は「雲水遍路」に纏められたことは、先に記したとおりである。

      (2009年7月11日鳥飼記す。2014年2月10日補記)






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