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賀川豊彦の畏友・武内勝氏の所蔵資料より(40)

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    戦時下、賀川最後の中国の旅     

 昭和18年11月以降、賀川は特高の監視下にあって、香川県豊島に渡り、そこで暫らく著作と農作業などにあたっていたことを、「戦時下の賀川・豊島で稲こぎ手伝い」として取り上げ、続いて翌昭和19年9月26日付けの書簡を「三浦清一牧師と啄木の妹・光子「神戸愛隣館」に」として紹介した。

 ところで、この26日付け書簡の末尾に、賀川は「私は十月七日頃西下する予定に致して居ります」と記していた。
 横山の「賀川豊彦伝」の「年表」には「昭和19年10月20日 中国に宗教使節として赴き、中国にて越年す。昭和20年2月5日 中国より帰国」とあり、「人物書誌大系:賀川豊彦Ⅱ」の「年表」には「10月20日 中国・中華基督教連盟の招待で、宗教使節として出発。11月4日 親友内山完造邸に滞在し、上海市内各教会を巡回講演」とある。
 
     *      *      *      *

 とすれば、今回取り出す2通の封書と葉書は、この時のものであることが分かる。
 
 「封書」1枚は、中国に出帆前のもの。
 差出 下関市田中町1006 河村方 賀川豊彦
 宛先 兵庫県武庫郡西宮市北口高木町南芝871 一麦保育園 武内勝
 消印 昭和19年10月22日

賀川の手紙


   冠省
    明日 朝鮮経由 上海 華中基督教連盟主催
    大会及練成会に出席することになりました。
    松山常次郎氏と同行であります。御祈り下さい。
    外の方々に申し上げませぬから、芝八重、三浦先生
    その他 イエス団の同志、徳牧師等にご通知お願
    申し上げます。お願いまで。
     二六〇四・一〇・二二
      主にありて 下関にて                         
                      賀川豊彦 
    二伸、愛隣館は当分の間、多少金が多く
    入りませうが、東京より支出しますから、
    よろしく御取り計い願上げます。斉木氏にもよろしく。


 一方「葉書」の方は、日本基督教連盟発行の「神もし我らの味方ならば誰か我らに敵せんや」(新約聖書ロマ書8の31)のことばとらくだの絵の入ったもので、「中華民国郵政」「北華」の切手が貼られているが、消印は読み取れない。

賀川のハガキ本文


  差出 北京 北池子 駿河桜39 日本基督青年会 賀川豊彦
  宛先 大日本 兵庫県西宮市北口 高木町南芝 一麦保育園 武内勝様

    謹賀新年
    昨年は色々お世話
    になりました。本年もよろ
    しくお願い申し上げます。
    クリスマス献金を三千円
    近く天津より御送付申し上
    げました。神戸イエス団宛
    でした。電報留替でした。
    「三井」の借金をあれで支払
    ひ、一部分は貴君の愛隣
    館への立替に御支払ひ下
    さい。

    三浦清一氏を是非 上海の新教会に迎へ
    たいとのことですから、愛隣館のあとつぎを
    御心配願ひます。私は二月上旬には一旦帰国いたし
    ます。華人が是非来てくれとせがみます。毎日忙
    しくして閉口しています。之も神ノ国運動として
    既に二ヵ月間に百数十回講演しました。物価が高
    いので、一寸車に十丁乗っても十数円取られ
    ます。インフレと云うものは妙なものです。
    此のハガキも列車中で書いています。それほど忙し
    いのです。一麦寮の二階の原稿をそのままにして
    来ましたが、大切に保存するよう埴生姉に
    ご依頼願います。一月三日より蒙古に向ひます。
    主において栄光を願いつつ
                     賀川豊彦

    *       *       *       *

 敗戦間際のこの中国訪問は、賀川にとって昭和2年暮れから始めた国内外の「百万人救霊運動」「神の国運動」の最後の旅となった。
 賀川は戦後、一度もこの国を訪ねることはなかった。

 この書簡の中に「三浦清一氏を上海の新教会に迎えたいとのことですから愛隣館のあとつぎを、御心配願ひます」とある。賀川は、三浦清一一家のよき働き場所を探していたと思われるが、しかしこれは前回ふれたように、三浦はこの招きには応じず、神戸愛隣館での働きを担うのである。

 また、このときハルの妹・芝八重は、イエス団の医師として働いていたことが分かるが、「イエス団の同志、徳牧師等」とあるこの「徳憲義牧師」は、米国からいつ帰国してイエス団の牧師として活動をされていたのだろうか。

 「徳牧師」は、この「お宝発見」第6回目で確かめた「賀川夫妻壮行写真」に収まっていた関西学院神学部の学生のひとりであり、渡米して後は度々イエス団の活動に金品を送り届けていた人である。また同氏の詩集「愛は甦る」(昭和4年)や「生命のあゆみ」(論集)「愛の本質」(論文)が新生堂から出ていることは、すでに紹介した事がある。「徳牧師」について何かご存知の方があれば、何でもご教示いただければ有難い。

 
 追記 
 その後、徳憲義牧師についてはいくらか明らかになってきた。いずれ学びなおしてみたい御方である。ここには、『愛しつつ祈りつつー故徳憲義記念」にある「略歴」のみを記して置く。


 明治25・3・16 鹿児島奄美郡徳の島にて誕生
   明治45・3    沖繩中学卒業
   大正 2・4    関西学院神学部本科入学
   大正 7・3    右卒業
   大正 7・4    神戸イエスキリスト教会副牧師に就任
   大正 8・9    日本メソヂスト高松教会牧師に就任
   大正12・     波米
   大正14・     プリンストン大学神学部入学
   昭和 2・5    右卒業
   昭和 2・5    ロスアンゼルス日本人合同教会牧師に就任
   昭和19・3    日本メソヂスト神戸平野教会牧師に就任
   昭和22・7    日本基督教団巡回教師就任
   昭和24・11   広島女学院にて講演中 脳溢血にて倒る
   昭和25・12   日本基督教団下落合教会創立と同時に牧師就任
   昭和35・3・27 牛前5時15分 永眠 69才


 「封書」末尾に賀川は「2604」という「皇紀」の年号になっている。賀川の書簡にはまことに珍しく、これは「皇紀2600年」(昭和15年)の名残なのか、どれほど当時一般的であったのか。因みに私はこの年に生まれたのであるが。
  (2009年8月16日鳥飼記す。2014年2月24日補記)


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