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賀川豊彦の畏友・武内勝氏の所蔵資料より(49)

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  お宝発見「武内勝日記A」(2) 昭和2年8月1日~昭和4年6月5日

 前回の続きである。賀川の筆跡も読み下す事は容易ではない。特に日記は他人に読まれることを予想せず、その日その日の日録で、作業は中々進まない。
 しかし、武内の言葉は生きており、その息遣いが伝わってくる。

 今回は、内容に関連する写真を、2枚入れておく。
 1枚は、武内勝が妻ユキ子(正しくは「雪」であるが、日記では「ユキ子」となっている。これは「賀川ハル」を豊彦が「春子」と記すのと同じである)と武内の故郷・岡山の長船を訪ねるくだりに関連して、「武内勝・雪夫妻の写真」。


武内夫妻


そして1枚は、イエス団恒例の「古着市」の写真である。(いずれも「賀川豊彦写真集」より)


古着市


では、早速「武内勝日記A」第2回目で、「昭和2年10月から12月末まで」の3か月分である。


    *      *      *      *


       第二回 昭和弐年十月~十二月

十月一日 土 晴
四貫島セツルメントの献堂式に出席して、イエス団を代表し祝辞を述べた。建築、設備合わせて壱万二千円を要したと言う会館は小さい木造だが、綺麗でカッチリしている。敷地が狭くて空き地のないのは残念である。イエス団は神戸で始まり東京に延び大阪に栄える。幹の本家本元が一番貧弱なものとなっている。然し、神戸イエス団から、最も美しい心と、敬虔で真面目な愛に富んでよく奉仕する青年を産むことは、不可能でもあるまい。立派な建物を神戸の地に建てずとも、人の心の中には建つであろう。それが失敗しても、自分の心中に建つだけは一番確実である。

十月二日 日 曇
愛に就いて語って礼拝説教をした。夜は、霊魂の自由自在と題して述べた。昼は全くの安息で眠って終った。何だか少し疲労を覚える。

十月三日 月 晴小雨
佐藤君を失業から救済する為に祈り求めた。遂に与えられた。保険組合の事務員になることが出来る。兄の為に感謝する。大久保君も日給一円八十銭で嘗ては東京で就業の経験のある仕事だとして大変喜んでいる。竹田のミッチンも食堂で働いて満足している。残るは河田兄である。何うしたら得られるか、兄のために更に祈り求めよう。
遊佐さんが煙草を吸う様になっている。現在事務室でそれを観たと中央所長は話した。尚続けて最近は酒をも飲むと聞いた。実際飲むらしいと誠に意外で不思議でならない。変われば変わるものである。嘗ては聖フランシスに共鳴して乞食に感心していた人が、フランシス程の禁欲が実行不可能であるとも、酒や煙草位の節制は容易に断行していたにも係わらず、何としたことであろう。煙草を吸ったからとて地獄に落つるとも思わないが、信仰のどこかにゆるみが出来ていることだけは間違いはないであろう。何だかなさけなく思われる。

十月四日 火 晴
上ヶ原浄水場に人夫供給打合せに往って、帰りを六甲山大師から甲陽園に下りて帰った。実に美しい山であった。何度往っても楽しい、登山の遊びは。

十月五日 水 曇
静かな祈祷会であった。井上君は日本に帰りたいとの手紙を寄越した。折角渡米して半年も経たざる今日、帰朝とは何事であるか。然しアメリカに往って見て、アメリカが詰まらない処で、アメリカが人間を偉くするところでない事を知ったら、それだけが一つの智であろう。それだけを学びに渡米したとすれば、そのために消費される時間と金とは勿体ない。余り高価でありすぎた。

十月六日 木 晴
第二回労働統計調査で、朝から晩まで会社工場を訪問した。今頃こんな調査をして、その統計に依って労働者の利益を計画すると政府が言う。統計なくして解りきっていることすら、然も貧乏人や労働者の為には何の調査を行なわずして、知れきっていることをすら実行しないお政府が、かかる面倒なる調査の結果を待たなくては実施の出来ない問題は、何時の事、実現するのだか知れたものでない。心細い次第である。

十月七日 金 晴
米国在留のある人から自分宛に送金したのが到着したから受け取りに来いと、住友銀行から通知があった。
岸部君が金の祈りをしていたのが与えられたのである。受くるより与うるの幸せは言わずもがな、無い時に恵まれるのも又幸せで感謝である。渡辺姉が永眠した。池田診療所に往って弔って、夢野で最後の告別をした。

十月八日 土 雨
雨にぬれつつ労働統計調査にかけ廻った。夕方の晴れた空は美しかった。一日の労はすっかり癒された。

十月九日 日 晴
馬太伝十七章の説明をした。聞いた者に何物を与えたかは解らぬが、自分が語って自分に教えた。善き朝であった。消費組合では馬可一章の講義をした。これ又自分に有益であった。組合の従業員達には解し難かったと思われた。夜の集いにはテサロニケ前五章を述べた。教会に十年を越えて出入りする山科と八敷との、おばあさんめあてに話したのであった。
これで今日は三度説教した。然も一回も準備していなかった。自分の無責任を恥ずかしく思う。

十月十日 月 晴
河田君と大久保君との職業を見付けたいと毎日心掛けてはいるが、矢張り見付からない。内田君(仮名)、中藤君(仮名)との二人は生理的に欠点を持つ病人である。気の毒でならない。

十月十一日 火 曇
労働者伝道の成功は如何にすべきかと色々と考える。貧民窟の救済は何うすれば善いか。貧しい人達のためにも、労働者の為にも、何の役にも立たないことを恥じる。十年前から準備していたら、今少し間に合ったものをと、繰り返しては我が身を責めて見る。

十月十二日 水 晴
藪下兄が神経衰弱であり、徳広姉が一ヵ年病床にあると聞いて、お気の毒に堪えなかった。徳憲義兄から四十二円三十三銭送金された。イエス団の青年は皆感謝した。静かな祈祷会であった。

十月十三日 木 晴
井上君のお父さんは血圧二百五十もあって、医師より絶対安静を命ぜられている。もう老年ではあるし、或いは長く保たないかも知れない。彼も悲観して言う。もう増さんの帰るまでは生きられない。ああわしが悪かった、余り酒を呑み過ぎたのであると、自分の非を悔いている。人間には良心がある。今良心に責められている。

十月十四日 金 晴
神戸市電気局の課長級の馘首から、市役所内の吏員淘汰をも合わせて行なうこととなった。殊に心配しているのは老級である。今日から又科学の書が読める。感謝である。

十月十五日 土 晴
市吏員淘汰八十名に及ぶと言う。自分も何時かは同じ運命に置かるるかと思えば何だかなさけなくなる。人に仕えるは善きことであるが、人に使わるるは名誉ではない。仕える事と使はるることの間には深い溝がある。今になってこのことがはっきり解った。自分も市に使わるるが儘に、何時までも甘んじてはならない。本当に人と社会に仕えるの途を講じなければならぬ。

十月十六日 日 晴
師に勝る業と題してヨハネ十四章の説明をした。市立職業紹介所の遠足で、約二十名の職員が仁川から甲山へ、甲山から甲陽園へと、天然の最も美しい山のフモトを廻った。夜は、化身論に就いて述べた。

十月十七日 月 晴
お隣の家族と同伴で、須磨の山へ茸狩に登った。持って帰ったのは、黄シメジとナメタケ三本とであった。然し、登山は何時試みても実に痛快である。特に秋の登山は愉快である。明治大帝を読んで、大帝の偉大を教えられた。その偉大なるは常に人の語る所であるが、今日程ハッキリ知ったのは生まれて初めてであった。学ばなくてはならぬ点を教えられた。

十月十八日 火 晴
市吏員淘汰、壱百五十名に及び、首の残って居る者も、余りの移動に驚いている。噂に噂を呼び、残留者迄が戦々恐々として居た。現代に於いては、失職程無産者として強圧されるものはない。今後は一時に多数の失業者を出さないために、老朽又は不品行なる者は、平常より目立たない様に解職され度いものである。市自ら失業者を出し、又市自ら之を救う可く、職業紹介所は活動する。川崎造船所の失業者を紹介する為に、市は大活動した。市吏員の就職の為には如何にするのであるか。

十月十九日 水 晴
毎日淘汰の噂が話題になる。職業紹介所からも三名の失業者を出した。其の中、木藤氏は殊に気の毒である。祈祷会に出席して、完全き者となる点に付いて所感を述べた。

十月二十日 木 晴
市吏員淘汰も一先ず整理がついたらしい。無理な淘汰をしたものである。本庁に於いて、九十二名の馘首は、余りに乱暴過ぎる。実際、馘首せなけらばならぬ程の老朽者や無能者が、それ程多数居ったものとすれば、九十二名もの多数に及ぶ迄もなく、必要に従って辞職せしむれば善いのである。七年も八年も勤続して居た者が、そう急に役に立たなくなる理由がないではないか。又間に合わないものを、何故今日迄淘汰せずして放任して置いたか。何う考えても正当なる馘首でなく、私情に依って整理したものが随分あるようである。

十月二十一日 金 晴
増俸金五円也、一年に五円、十年に五十円だ。五十円も増額しない内に、俺も老朽又は無能と呼ばるるのではないであろうか。オオ俺は死に至る迄、聖き心を以って、主の為めに凡てを献げよう。市役所など何時迄も頼りにする処でないであろう。時を知る事と準備する事とに特に注意を要する。

十月二十二日 土 晴
水野脩吉兄から、井上君のお父さんの見舞いにとて金五円送付があった。兄は実に感心な青年である。失業救済事業の打合せがあった。名称を変更して臨時土木事業としては如何と提出した。何うした事か、昨日今日少し疲労したらしくある。

十月二十三日 日 晴
ヨハネ伝十三章、イエスが弟子の足を洗ひ給ひし記事を、洗足の模範と題して述べた。夜は、吉田源治郎先生の接木せる者とのローマ書十一章の説明があった。

十月二十四日 月 晴
伝票整理が一日の仕事であった。神戸市吏員淘汰に対する非難が多い。事務能率を増進する為には、馘首して解雇手当を出すよりも、手当てを奨励金として、勤勉に忠実によく働き、特別の技能のある者には、特別手当を支給する様にした方が、能率は上がると思う。何時首が飛ぶかも知れないと思うと、真剣になって働く事が出来ない。持っている能力までが減退する故に、今度の整理に依って、事務能率を高める為ではなくて、引き下げた事になる。

十月二十五日 火 晴
河田氏は労働が出来ないという。仕事はなく身体は弱く気の毒である。其の上妻君までが病身では尚更である。保育所の工藤さんが失職したことも同情に堪えない。

十月二十六日 水 晴
保険組合の事務打合せを平和楼で開催した。自分も出席して十時解散であった。

十月二十七日 木 晴
高田光夫(仮名)を水道課で労働さすことにした。彼一人を救済すること、他の者百人を救済する以上に苦心がいる。世には厄介なる者がつきないものである。大阪に出張した。大阪地方職業紹介所事務局管内の所長会議に出席した。議事は、例によって例の如しである。女工の紹介に関する打合せがあったが、異論百出で纏まりはつかなかった。

十月二十八日 金 晴
今月分の伝票も殆ど整理が出来た。水野君から、井坂君(仮名)と内田幸子(仮名)との関係について、妙な問い合わせが来た。誤解に違いないが、余りひど過ぎる様である。

十月二十九日 土 少し雨
ユキ子を連れて岡山行きとなった。尚志を弔う弔わんがためである。代々憶るゝことの出来ない、愛のおばや妹や弟、初枝など、皆が元気で感謝であった。

十月三十日 日 晴
日曜日の朝は、必ず礼拝説教をするに定っているが、今日だけは説教に関しては何も考えず、静かで頭が休んだ。尚志の頭髪を墓場に埋めたこの地は、我が先祖より我が子まで葬ってある。つきない感に打たれて、涙ながらの祈りを献げた。

十月三十一日 月 晴
馬場さんの勧めに依って、茸狩に往った。茶籠に殆ど一杯あった。松茸は一本もなかったが、シメジを見付けるのも、松茸を見つけるのも同一の楽しみであった。無花果と柿と梨とが、毎日いやと思う程喰えて、寿司の御馳走をウンとして呉れた。思わざるご馳走であった。


十一月一日 火 
臥龍松を見に往った。長さ東西二百五十尺、南北 尺の、日本唯一の立派な松である。五銭の観覧料は高くない。天候はよし、田は黄金の敷き詰めた様で美しい。ユキ子と二人で歩くと、皆から注目される。田舎には、ブラブラと夫婦伴れで遊んでいる者がないから、目立つのであろう。村中を通るには、少し遠慮がいる。

十一月二日 水 晴
自然の美と果実とすしとの御馳走になって、又長船を後に残して去った。今より二十三年前、此の地を去る時、何処に落ち着いて何うして生活するかの見当もつかず、前途不安極まる中に、岡山目指してワラジ履で、後ろを振り返り振り返り、出て行ったのであった。誠に今昔の念に堪えぬものがある。岡山後楽園を見物して帰神した。ユキ子はなばから先は全く知らない旅だと喜んだ。

十一月三日 木 晴
明治節、十一月三日を祭日として休むことは十七年目である。幼い時から楽しみに馴れた祝日であって、なつかしさのある休日である。科学を少しく読んだのみで、知らぬ間に一日は過ぎた。

十一月四日 金 雨
久しぶりの雨でよく降った。善き雨である。雨は農家に必要であって、都会に住む者には無用なものの様に思うが、雨が降るので、屋根の塵と道路のホコリと、下水の不浄物とを一掃して呉れる。都会の清潔は降雨によって保たれる。これを若しも、労力に依ってするとしたら大変なことであろう。

十一月五日 土 雨後曇
昨日以来、葺合新川の貧民救済問題を考え続けている。若し自分の考えが間違わなければ、少年の為の善い遊び場と職業教育と、お神さん連中の共済会の設立とである。之に依って、新川を幾分でも救済し得ると信ずる。

十一月六日 日 晴
ヨハネ十二章に就いて述べた。夜、賀川先生の講演あり、題を犯罪とその救済として述べられた。集会出席者、四十三名にして何時に見ない寄りであった。(節制なき者に幸福なし)。書棚を造るのが今日の仕事であった。

十一月七日 月 晴
失業救済事業に関する打合せがあり、午後六時半まで中央に残った。河田氏の職業の決定しないのが、何より気の毒でならない。神戸新聞夕刊を読んで、湊川管内に於ける入質者中、一円以下の者が弐千数百点あると知って、公設質屋の必要を今更の様に感じた。

十一月八日 火 晴
東部労働紹介所新築の基礎工事が出来た。年内には移転の運びに至るであろう。自分の仕事が行なわれるのは、此の建物の出来る為であり、建物が便利を与えて呉れるかと思うと、建物も又貴い器である。

十一月九日 水 晴
コロサイ書四章を読んで所感を述べたが、非常に苦しかった。祈祷会であるから信者のみの会合と思っていたのに、未信者や求道者が加わっていたので、急に気分を変えたことが失敗であった。

十一月十日 木 晴
毎日読書しつつあるも、夏の予定より少しく遅れた。夜は長くなった。大いに読んでみよう。読書欲の為に、凡ての方面がお留守になる様な気がする。子供ではなし勉強ばかりも出来ない。事業がある。冬季の救済事業がある。教会の仕事がある。友人の身の上相談がある。然しどれも皆勉強であって、人の研究した著書を読むに劣るとは考えられない。読書以上でなければならない職務にも忠実に、読書にも勉む様に、健康も保つ様に心掛けなければならぬ。

十一月十一日 金 晴
井筒増吉氏(仮名)の武末町子姉(仮名)との関係に就いて、困った問い合わせを受けた。水野氏の書面に依ると、誤解でなくして真実であったらしい。井筒氏(仮名)の失敗である。ああ困った。岸部氏の訪問があり。兄の結婚も愈々確実となり、昨日遂に結納金と聖書一冊とを、仲介者を通じて先方に発送したとのことである。兄の結婚を祝し、それに依って、一家族の救いに大いに助けとなり、力となり得る様に祈ろう。中山己吉君も石谷姉と結婚するから、その式に関してよろしく頼むとの依頼を受けた。芽出度い日である。

十一月十二日 土 晴
宿直で独り静かに床に就いた。明けても暮れても気になるものは、人の霊の救いである。内の救いである。

十一月十三日 日 晴
ルカ十七章に就いて述べ、夜はガラテヤ五章に関して述べた。出席者は、何うした訳か多くなりつつある。大谷君(仮名)が興奮して狂態を演じた。彼は精神上に余程異常を持っている。

十一月十四日 月 晴
何だか少しく疲労している様である。大いに健康に注意を要する。病気に罹らぬ様にする事が大切である。

十一月十五日 火 晴
冬季失業救済事業案は原案通り可決した。之に依って毎日千五百人平均の日傭労働者が就業だけは出来る。自分等も意を強くする。多忙ではあるが、満足である。夜、堀井、中塚の兄弟達が訪問された。堀井氏とは、信仰に関し、伝道に関し、新川の救済事業に就いて、互いに語って有益だと思った。人に自分の思った通りを語って、又自分の心を強くする。
万有科斎六巻を読んだ。第一巻より第六巻迄読んで、大変に賢くなった。有益なる書物であった。六十円は少しもおしくない。

十一月十六日 水 晴
祈祷会出席者が増えた。何うした訳であるか知れない。然し、我等の同志の増加する事は善いことである。ルカ十八章に就いて述べた。大谷君(仮名)が謝した。自分が悪かったので皆様に御心配をかけて本当に済まなかったと。自分自らのやっている行為が解らなくて、人が誤解しているとのみ考える近視には困る。

十一月十七日 木 晴
失業救済事業で忙しくなる。来年の四月一杯の仕事は、自分でし遂げられない程ある。仕事がなくって困っている人もあるに。

十一月十八日 金 晴
臨時雇員三十二名採用に就いて、球算と国語との試験が行なわれる事になった。自分が若し此の試験を受くるのであったら、落第の口であろう。自分に此の資格なくして、皆の者を指揮監督するのである。世の中もおかしなものである。

十一月十九日 土 晴
岸部兄弟の結婚が十二月六日に、中山君のそれが十二月の十四日にそれぞれ決定した。兄弟の上に、新しい家庭の上に、天の豊かなる祝福がある様に祈る。

十一月二十日 日 晴
今日は特別なる好晴であった。朝は馬太伝五章、夜は使徒行伝十七章に就いて述べた。何うした訳か夜の集まりが盛んになって来た。四十名を越えている。

十一月二十一日 月 曇後雨
誓文払いで、商人は売るに忙しく消費者は買うに忙しい様である。元町筋の盛昌は素晴らしいものである。客は、買わなければ損か恥の様に心得ているらしく、店の方では、売らなければ潰れて終いそうに見える。誓文払いに何の関係もない自分が、人の事が気になるのもおかしい。伊藤運作君が久しぶりに訪問した。本月二十六日には、サントス丸で南米ブラジルに移民する。彼の成功を祈る。

十一月二十二日 火 晴
宗教改革史を読んで有益なる勉強をした。もっと早くから学ばなかった事を恥ずる。ルーテルやカルビンの偉大を今更の如く思わされた。

十一月二十三日 水 晴
祈祷会、洗礼に就いて述べた。出席者が多くなるのが不思議でならぬ。新しき求道者の為に、特別に伝道に注意しなければならぬ。責任感を増される。兄弟の求めに励まされて起つのである。自分の足らざるを悔いる。

十一月二十四日 木 晴
職業紹介委員会に出席。今日から失業救済、臨時に土木事業に救済される労働者登録開始である。受け付けて驚いた。二千三百四十九人の申し込み者があった。去年五日間に申し込んだ数を当年は一日で受け付けた。当年の不況の深刻さと、一つは救済事業の何であるかを労働者が充分に知ったからであろう。何にしても、之だけ多数の人達が失業状態にあることは、由々しき社会問題である。

十一月二十五日 金 晴
徳氏から送金があった。金四十二円六十七銭也。イエス団の維持費を補う筈の賀川服が売れない為に心配していたが、かかる助力を受ける事に依って、大いに荷が軽くなった。感謝の至りである。

十一月二十六日 土 晴
井上君が父の扶養費を六十円送金した。米国で説教して謝礼を貰ったとの事である。神の言葉を語って歩けば金が集まる。何だか興行師の感がある。

十一月二十七日 日 晴
馬太伝六章の講義を述べて礼拝説教とし、夜はコリント前二章を述べて伝道説教とした。夜の集会は四十名が普通となった。他の教会の反対である。失業救済事業の登録者数は、四千六百十八名となった。

十一月二十八日 月 晴
馬鹿に暖かい一日であった。まるで五月の気候である。教会の責任を益々重く感ずる。伝道の為に大いに尽くさなくてはならぬ。主よ、我を遣わし用い給え。

十一月二十九日 火 曇
急に寒くなったが之が普通であろう。日々寒さが増すは当然である。不思議そうに言うことが、不思議である。保険組合の理事会で平和楼に招待されたが中止して、貧民窟の為に、古着の一枚も貰った方が結構と思い、宣教師を訪問に出掛け、留守を喰った。

十一月三十日 水 晴
失業者救済事業起工準備で、無茶苦茶に多忙となった。祈祷会の出席者も増加して来た。唯に数が増えただけではなく、真剣に祈った。全員が赤誠コメての祈りは、会そのものを通して、大いなる能力を与える。

十二月一日 木 晴
今日も前日の通りに多忙であった。笠松氏が訪問した。大和に於いて、求道者二十数名ある故に、説教しに来て呉れとの事である。自分の如き者にも、道を求めて来る者がある。誠に不思議なる事である。

十二月二日 金 曇後雨
高木(仮名)、三井(仮名)の両氏に説教した。それは彼等二人が、平素の品行が悪い為に負債があって、友人や家族の者等が迷惑しているからである。高木(仮名)氏は禁酒を誓い、三井(仮名)氏又真面目になるとのことであった。青年をしてあやまたしめるものは酒と色とである。ユキ子の式服が出来た。自分の為には少しも必要でないものを、友の為に結婚式や葬式をなさしめられるので、止むを得ず作ったのである。妙なことがあるものである。滅多に用いない。然も多額の費用を要する衣服を、人の為に作って置かなければならぬとは。

十二月三日 土 晴
山本治郎(仮名)氏の一件がまだに片付かない。彼も誠意なき人である。彼の為に苦しめられ、損害を被っていることは小事でない。人の罪を引き受けて、始末をつけるとは、骨の折れる仕事である。わけても信仰なき人の為にすることが一層の苦痛である。

十二月四日 日 晴
馬太伝七章の講義を以って礼拝説教に代え、夜は、使徒行伝八章の聖霊に就いて述べた。十二月に限り、神戸消費組合の定期集会を一週繰り上げて、イエスの降誕を話した。

十二月五日 月 晴
救済事業未だに起工せず。労働者は毎日待ち焦がれて居る。彼等に生活の安定を与える事が必ずしも困難でない。然し、その必要を理解させる人の多きは、誠に遺憾千万である。渡辺助役は、職業紹介所無用論を主張せるとか、困ったものである。

十二月六日 火 晴
岸部勘次郎兄の結婚式に出席して、イエス団を代表して祝辞を述べた。兄がクリスチャンの中稀に見る奉仕者であること、兄弟は今に至るまで童貞の純潔を護って来た事を述べ、彼の信仰の確実なる事を証し、尚新婦の親と兄弟とに従い仕えんとする勇気を褒め、最後に伝道館とイエス団との結婚式の感があることを述べた。彼の新しき家庭に神の祝福豊かならん事を祈った。

十二月七日 水 曇
最早我生けるに非ず、キリスト我に有りて生くるなりとのガラテヤ二章を説明した。クリスマス祝賀の為め、古着市と餅搗きと集会と、そして楽しい労である。青年諸君が、我が家の毎年の行事の遊びを、今より期待して喜んでいる。我が家に遊ぶことは、芝居、活動写真に勝る快楽を与えるものと見える。

十二月八日 木 晴
東部労働紹介所に新築が殆ど落成した。新しい事務所を与えらるる事は、事務の能率を高める為に効果がある。気持ちも善い。せめてイエス団にも、紹介所位の建物が欲しいものであると思う。

十二月九日 金 晴
向う側に電話交換局が新設される。須磨の為には喜ばざるを得ない。然し、自分一ヶ人に於いては迷惑である。太陽の光線をさえぎられるだけでも、何処かに移転しなければならぬかも知れない。渡辺姉に服薬せしめられたものが間違っていたので、三郎君依然沈んでいる。

十二月十日 土 晴
コリント前書十章を説明し、夜はロマ書六章の終わりを説明した。新しい兄姉から献金四円を頂いた。終日家にあったが何をもしなかった。

十二月十一日 日(月が消される) 晴
何をなすともなく忙しさの内に暮れにけり。

十二月十二日 月(火が消される) 晴
酒呑んでグダまく男を相手に一日短かりき。

十二月十三日 火(水とだぶり) 晴
中山己吉、石谷静栄、両名の結婚の媒介者となって立った。式場熊内教会、賀川先生の司式で、本人も親族の者も会衆者も皆満足であった。新しき家庭を潔め、主に従って生涯を正しくおくり、神と人との為に栄を現すものとならんことを祈る。

十二月十四日 水(木とだぶり) 小雨
西部に於いて不正事件あるとの質問に驚いたが、何事もなかりしは幸福であった。

十二月十五日 木(金が消される)晴
昨日の不正事件と質問されし問題は、立派に解決がついた。紹介所に何等の欠点も不正もないものを、一主事の邪推からであった事が明白となって痛快であった。人を疑って人に迷惑をかけたよりはよかった。自分が忍べば事は足る。

十二月十六日 金 晴
物語り日本史を読んで、維新時代の豪傑の偉大を羨ましく思う。今の世にその人の無きを悲しむ。

十二月十七日 土 晴
堀井氏の訪問があった。読書は出来なかったが、友と語るは楽しみである。信仰の友と語り得るの幸いを感謝する。

十二月十八日 日 晴
洗礼式あり。受洗者六名和田伝五郎、中川義彦、高比良金蔵、中山己吉、橋本二一、石野静江。賀川先生の司式で簡単なる説教があった。長田診療所建築の打合せ後、摩耶登山に続き日直と、家に帰る時間なく、夜の集会に出席して、十字架の精神を述べた。罪の許しと愛と奉仕とに就いて語った。

十二月十九日 月 晴
湊川河川工事着手愈々多忙になった。二千人の失業の救済のためである。多忙と労苦とは喜んで忍ぶ。 

十二月二十日 火 晴
中川兄が川崎造船所から解雇せられた。失業者が又一名増加した。お気の毒でならぬ。佐藤兄が病気で度々喀血する。困ったことである。昨日は山口氏が、今晩は松田氏と中川氏とが、その前は日曜で、その前は堀井君が来た。読書はさっぱり出来ない。読みたいと言う心は山あれど、二つなき身を如何せん。

十二月二十一日 水 晴
木立君の結婚を祝し電報した。祈祷会にイエスの光を受け入れと述べた。ヨハネ一章。献金が多く集まるは感謝である。
賞与金百十九円也受領。

十二月二十二日 木 曇後小雨
イエス団の年中行事の古着市大成功であった。寄付を受けた数三十三点を超え、売上代金九十四円五十銭、其の他に三十円位の品があり、実に感謝である。普通の人の不用品となりたるものを、貧民窟では喜んで、狂気せんばかりに我を先にと争いつつ、代金まで払うのである。恵んだ者も恵まれた者も喜び、その間にあって奉仕した者は尚更感謝である。これで正月餅の分配が出来る。貧しい人達が喜んで呉れる。彼等の喜びは又我が喜びである。此の市の為に奉仕した方々に、心より厚き敬意を表す。

十二月二十三日 金 小雨
物語り日本史を読んで、明治初年の様子が眼前に見るが如くによく解った。矢張り読書しなければいけない。中川氏の就業の為めに考える。又祈る。

十二月二十四日 土 曇朝小雪
小児のクリスマス祝賀会であった。約三百名の子供の為めの集会で盛会、楽しくあった。閉会後、数人の感謝を以って散会した。(塚田氏のお話あり)

十二月二十五日 日 曇
主の降誕祝賀第二日目で、成人の為であった。朝は自分が、夜は先生の話があった。福引があって一同喜んだ。

十二月二十六日 月 晴
毎日忙しく、遊ぶ暇もなければ、考える時もない。こんな多忙では身が保てない程である。

十二月二十七日 火 晴
東部労働紹介所の移転で、早朝よりウンと労働した。最後に古い家の掃除をした。自分がせずとも、人夫を雇ってあるからしなくても善い様なものであるが、長年間、此の家あるが故に働く事が出来たのである。思えば、自分にとっては大切な家であった。此の家を掃除せずして捨てることは出来ない。夜、移転祝いで夕食を共にし、楽しく面白く遊んだ。今より後、此の家で働くのである。大事に清潔にし、有益に用いなければならない。

十二月二十八日 水 晴 小雨
今年最後の祈祷会であった。
各自一ヵ年の思い出を述べ、感謝と祈祷を献げて、後明日の餅搗きの準備のため、米洗いをして、十一時散会した。

十二月二十九日 木 晴 小雪
今日は愈々餅搗きである。一石六斗の餅を、新川の貧しい人達に分配せんが為に、青年男女が相集うて、喜びの中に搗いたよき奉仕である。皆の奉仕振りを観ていると、恰もイエス団のお祭りの様である。然し愉快なる奉仕である。餅搗きは景気が好い。勇が善い。

十二月三十日 金 晴
来年の事業を予想しつつある自分個人にとっては、当年は特に読書の出来た年であった。生まれて三十六年目、本年程よく読んだ事はなかった。来年もウンと読み度くある。

十二月三十一日 土 晴
今日も尚仕事の忙しい事は幸せである。遊ぶ事を以って楽しみとする人の多い時に、働く事の喜べるは、大いなる感謝である。今年程、金融界の動揺した事はあるまい。又失業者を集団的に多数を出した事もあるまい。本年なし得なかった事業と勉強とを、迎える新しき年には達成せしめねばならぬ。

 
    *      *      *      *

 厳しい時代の中、働き盛りで意欲満々、36歳の武内勝の「日録」である。
 次回から昭和3年分、4回に分けて収めることができれば、と思う。加えたいコメントもあるが、「武内日記」のみで進める。
   (2009年9月5日鳥飼記す。2014年3月5日補記)

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