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賀川豊彦の畏友・武内勝氏の所蔵資料より(57)

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  お宝発見「武内勝日記B」(2) 昭和36年4月~6月

 戦時下、神戸空襲で焼失した神戸イエス団の建物が、戦後新に再建されたのは、昭和24年(1949)年2月11日であった。

 ここに掲載する写真は、先日(2009年9月17日)、兵庫県三木市にある「一粒園保育所」の大岸坦弥・とよのご夫妻が拙宅にお越しになり、青春時代のお話をたっぷりとお聞かせ頂き、大切に所蔵されている2冊のアルバムを持参して、拝見させていただく機会があった。これはその中の1枚である。

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 写真に付されているコメントで「昭和24年2月11日 神戸イエス団献堂式」とあり、このことが判明した。

 このアルバムには、別に同日撮影された「神戸関係の人々」のものや、「イエス団」の神戸におけるもうひとつの活動拠点であった長田区番町のど真ん中にあった「天隣館」で、ご夫妻が共に過ごされたお仲間たち、そして戦後この場所で開設された「長田保育所」などでの、とよの先生その他が写された貴重な写真が沢山残されていた。

 添付写真中央の賀川の隣に武内は座しているが、前回から掲載を始めた「武内勝日記B」は、賀川没後すぐ本格的に取り組まれた「賀川記念館」建設に伴う募金活動のご苦労振りも、いくらか窺い知る事ができるものとなっている。

          *      *      *      *


          昭和36年4月~6月
4月
1日
この間中から風邪引きで、軽い頭痛があり気分が悪い。自分の身体の欠点は、年中風邪を引いていることである。風邪を引かない工夫が必要だが如何するか。
今日は会計年度の正月だ。本年中の経済に就いての神の守りを祈る。
イエス団の事業に、教会の財政の上に、我が家の家庭の上に。

2日
礼拝に出席した。復活祭である。出席者もいつもの礼拝より二割程度多数であった。
礼拝後、春日野墓地に行き、イエス団の墓参と崎元待命氏の納骨式とを兼ねた。久し振りであったが、何時来てみても、次に来る人は誰かと思う。
年の順から言えば、自分に当たる事になる。

3日
風邪で頭の具合が悪く、欠勤し医師の診断を受けた。心配する程のことでもないが、仕事の出来ないことが辛い。
毎日元気よく働けるほど、有難い事はない。終日床にあって静養した。

4日
今日も前日に引き続いて静養した。何うも頭が重くおかしい。これくらいのことで、続けて休むことは何かおかしい。
久仁子の就職する学校が決定した。丸山中学校である。
嘗て職業指導で講演した学校で、自分の娘が神戸の学校で働くなど、夢にも見なかったことであった。久仁子にとってはよい経験となるであろう。

5日
今日もふらふらするが起きて出勤した。
神視は、今日から新年度の事業始めである。入園式を行なったが、子供が小さく数も少ないので、保育所のままごとの感じであった。
県にも出勤した。来年3月31日までの嘱託辞令を貰ったが、余り用事が多く、身体の疲労を考えると、辞退した方がよいかとも考えられる。
久仁子の月収は18,170円也に交通費600との事である。
彼も理学士であり、阪大の研究も3年やったのであるから、もう一人前であって、今後どのような生活をしようと放任しても、決して心配は要らないであろう。
祐一が九州から帰って来た。彼はもう1年しないと一人前になれないが、健康であるから、北大は無事卒業し、何処かに就職するであろう。来年の3月は楽しみであり、感謝である。

6日
神視にも県にも出たが、頭のふらふらは依然として治らない。矢張り風邪の故である。
今日は、四つ井工作所と銀星タクシーと二箇所から労働相談を受けた。前者は従業員89名中37名が組合を結成し、それがストでピケを張っているため、非組合員52名が就業が出来ないと訴えた。
組合がストを決行する事は組合の自由であるが、非組合員が就業する事も非組合員の自由であろう。それを組合員が暴力によって52名の修行を妨害することは、生き過ぎであるといえる。
銀星は組合を組織したが、上位団体の指導が不当で16名中12名が脱退し、その12名が第二組合を結成したという。健全な組合を作ることは大変な事である。

7日
桂司法書士を訪問し、神視の建物に就いて打ち合わせした。登記のためである。
今日は社会事業会館で、賀川記念事業会館の建設に就いて委員会を開くので、これに出席する。
記念館の設立は容易でないが、漸次進みつつある事は事実である。忍耐と努力で完成するであろう。
特に三浦、村山両氏の努力は大変なものである。大阪の協力もどの程度であるか不明であり、殊に東京は全然見込みがない。そのほか他府県にあっても、援助は大きく見積もらない方が確実であろう。

8日
早朝から福山氏(仮名)を訪問し、イエス団不法占拠の移動に就いて相談した。困難な問題である。然し、この移転問題は自分が解決に当たるの他方法がないと思う。福山氏(仮名)の不安は、家賃を完全に払うかどうか、もう一つは近所の風紀が悪くなるの2点である。他の家を買収してアパートにする事を考えてみるとの事であった。

9日
礼拝に出席。雨が降り寒くなった。冬のようで風邪をまた引き返した。
僕も弱くなった。風邪に対する抵抗力がなくなった。

10日
本多氏と事務打合せをした。
1 徳島に賀川記念事業を起こす事。それで慈愛寮の問題を解決した。
2 石井の事業を雲柱社のものとするか、イエス団のものとするかについて。
3 賀川夫人に130万返済に就いて。
4 豊島の土地の登記に就いて。
5 各施設からイエス団の補助に就いて申請の出ている事について。

11日
協同牛乳の債権者会議が裁判所で行なわれる予定であったが、判事の都合で5月16日に変更になった。
正午は職安所長及び西尾氏と懇談し、昼食は電電舎で御馳走になった。
午後は県に出勤した。

12日
終日在園。

13日
朝は、信愛学園で川村氏と建物に就いて。
次に細田を訪問し、高橋氏が渡米商用中である事を知り、女児を恵まれ仕合せに暮らしている状況を知って、感謝であった。
11時から栄光教会で、国際奉仕団の委員会に出席し、1時から県に出勤。
5時から二葉幼稚園で、イエス団の理事会に出席、帰宅は11時であった。

14・15記入なし

16日
祐一が北海道に往った。後1年で卒業する。時間の経つのは早い。
彼は学校を卒業して就職したら、最初の俸給は教会に献げるという。そういう心掛けでいる事を嬉しく思う。そのとおり実行させたい。

17日
出勤した。特に記入する事はなかった。

18日
今日も県に出勤した。上京の準備をした。

19日
神戸駅朝7時17分、霧島に乗車し東京行きで、夜は、深川愛隣学園で証言した。最初1時間話し、後更に懇談の形で1時間話した。賀川先生の生涯を中心であった。

20日
キリスト新聞の主催で、15周年記念と賀川記念会と引き続き行なわれ、賀川先生の新川時代について10分間話した。
1時間ほど話す積もりで準備していたので物足りなかった。然し、会衆335名で盛大であった。会費500円払って、よくもこれだけ集まったものである。
片山哲、杉山元治郎、小崎道雄、村田四郎その他多数の名士が参集していた。
夜は先生の宅で一泊した。兎に角、12時まで奥さんと杉山、菅沼、純基氏と共に、イエス団との打合せをしたのであった。

21日
千恵子と共に千恵子の必要な諸道具を買いに往った。
愛隣学園にまた一泊した。

22日
東京駅8時14分摂津で帰途に就いた。
5時から、加藤先生の接待で夕食の御馳走になった。

23日
礼拝説教。出席者45名。自分が先生の一代記を語り、昼食は麦飯に焼き味噌で、40名が昔の先生をしのびながら食事をした。その後で役員会を開催した。
祐一からの手紙によると、大学からの発表に依れば4年在学生の内7名が90点以上で、この生徒の就職に就いては心配は無用。学校で責任をもって推薦する。但し65点以下の者は再試験を行なうが勉強せよ。そうして祐一はその7名のうちの一人であったという。アルバイトをしながら、よく努力した事を嬉しく思う。

24日
明石税務署から所得税に就いて出頭せよと通知して来た。行ってみると生命保険金の控除は22500円であるのに4万以上控除しているから訂正せよとのことであった。
労働相談員を本月限りで辞職することにしたので机の整理をした。

25日 
細川書記と財団、福祉両法人の決算役員会の打合せをした。終日在園。
大下ゴム(仮名)の従業員が保母に恋し、夜2時半電話で今から往ってもよいかと聞いてきた。保母は驚いている。5月16日、僕が媒酌人で結婚式を挙げることになっているものを、困った要求である。全く片思いであるが、結婚する事に依って、危害を加える事にならないように、注意している必要がある。
トマトを植えた。去年は失敗であったが本年はどうなるか。

26日
神戸職安を訪問し、杉田課長を慰問した。職員が二百数十万円を横領していたことが暴露したので、大変な事になっていると思う。監督者の責任は免れない。悪い事をする部下を使っている者は不孝である。
イエス団に於いて、東京での打ち合わせの内容に就き懇談した。尚理事会に就いての相談をした。
県に出勤し岡田を訪問した。
朝はきゅうりと小芋を植え付けた。収穫はどうなるか。

27・28・29・30 記入なし


5月
1日
夜6時、イエス団に於いてイエス団教会と長田伝道所との牧師及び役員が、長田伝道所の独立に就いて協議した。
長田は喜ぶであろうと想像していたが、時期尚早で、当分現状のままを全員揃うて希望した。ピントがはずれている感じであった。

2日
高橋氏と近藤氏に面接した。土地の件であった。

3日
休日

4日
竹中を訪問し、5時よりYMCAに於いて、本城氏と記念館募金について懇談し、その秘訣を本城氏に教えて貰うためであって、種々協力されることを約束された。

5日 記入なし

6日
協同宿泊所を訪問し、友愛に於いて村山牧師と募金に就いて懇談した。

7日
イエス団教会総会。役員選挙の結果、武内夫妻は当選で、武内は50年役員を務め、更に役員に当たった。ひとつの教会で、役員50年を務めることは計画して出来る事ではなく、全く主の導きである事を確信する。

8日
午前は大阪出張、全購連を訪問し、午後は中央市場を訪問した。賀川記念の募金に就いてであった。

9日
3時、神戸新聞会館パーラーに於いて、賀川記念事業副会長会議を開いた。
中井一夫弁護士も出席され、募金に就いては協力する事を約束された。

10日
兵庫教区総会に出席した。議長、副議長、書記3名が改選され、若手ばかりが役に就いた。県下の教勢は依然として振るわない。前進運動、大挙運動、ラクーア伝道、種々努力してはいるが、なぜかキリスト信者は数が増えない。
本当の信者がいないからであろう。反省しなければならぬ。

11日
今日も総会出席。

12・13日 記述なし

14日
礼拝出席

15日
イエス団理事会。YMCA、午前中は評議員会、3時までは福祉法人、其の後は財団法人イエス団と朝から晩まで役員会であった。
15団体の仕事はそれぞれ有意義であって、今日まで継続していることは感謝であり、今後益々発展に努めなければならぬ。

16日
10時、藤沢姉の結婚式に出席し仲人役を務めた。

17日
帝国信栄社長と面談し、土地の件を決定し、午後村山牧師と岡部五峰氏を訪問し、募金に就いての協議を依頼した。

18日
尼崎市役所に局長と共に出張し、募金について協議した。

19日
中井弁護士を訪問し、募金の協力に就いて依頼した。先生は今も一億説である。大きな計画結構であるが、募金は楽ではない。中井先生は、神戸新聞の原氏に協力方を依頼される予定である。

20日
イエス団に於いて募金準備をした。

21日 記述なし

22日
6時、YMCAに於いて記念委員会を開いた。
11時は愛隣館の理事会をYMで開催された。愛隣館は改築の必要が迫ってきた。

23日
神愛館長来園。借入金、返済金、財団目録などに就いて打ち合わせ。

24日
栄光教会に於いて7時、賀川記念大講演会を開催し、武内も講師の一人で約20分間講演した。
準備が不十分であって、集まった人達も百名内外であったであろう。
講師は今村、吉田の二人も見えなかった。講師に対する連絡もなかった。
上組の支配人井田氏を訪問。寄付を依頼した。

25日
川崎重工の砂野専務を訪問し、甲南汽船の田中会長、労金の佐野理事長と順調に面会が出来た。

26日
川崎航空機の専務を訪問し、庶務の係長と面会したが、約束の10万円は受領できなかった。岸田氏より後日電話で回答の約束。

27日
神戸職安所長の紹介状により、神戸工業と神鋼を訪問の予定であったが、不在であった。
午後、橋田(仮名)母子のご両人が来団。イエス団講につき本多氏より170万の請求を受けているが、不当なものがあるので、中に入って仲裁の労をとって欲しいとの依頼があった。

28日 
礼拝出席。午後、明石愛老園理事会に出席した。

29日
イエス団の予算配分金、返済金などに就いて検討し、午後橋田氏(仮名)を訪問。不法占拠者の立ち退きに就いて懇談、打合せをした。
尚、4時垂水の山奥を視察し、土地の調査をしたが山であって、素人では手のつけようがない場所であった。

30日
村山局長、徳島出張。賀川納骨式参列。
終日名刺を整理した。

31日
午前中、本多氏、事務所に於いて事務打ち合わせ。
1時、社会事業会館にて社協主催の施設長会議出席。労働基準法の説明あり、午後4時閉会。
本年3月より、社会事業に対しても労基法を適用されることになった。これは当然なことであるが、今直ちに実施された場合、違反しなければ事業を行なう事のできないものが多数であって、労基法厳守の為には予算の裏づけが必要で、職員従業員の増加を計らなければ、実効至難であるとの結論に達し、此の種の協議を今後開催されることになった。


6月
1日
35年度予算、36年度予算の報告を作成し、これを一括した。
局長と共に神戸工業、川東、川鉄、三輪を訪問し、社会事業に対する協力を依頼した。

2日
局長同伴、坪田照次氏、ビオフェルミン、中央市場を訪問した。
堺氏は県に、6月議会の追加として県より記念事業助成費を予算化するよう、関係係りにそれぞれ交渉された。これは厚生省より免税認可を受けるためである。
午後労金を訪問し、佐野理事長とともに神鋼江見重役と面談し、寄付金30万円の依頼をした。

3日
村山牧師と共に募金にかかっているが容易でない。大蔵省の免税認可を得るまでは軌道に乗らないのではないかと考えられる。

4日
礼拝の司会をした。午後は本多氏を訪問し、橋田氏(仮名)のもつれについて相談し、その後で井上所長を訪問した。
宿泊所も将来は鉄筋コンクリートの建物でないと火災、衛生の点から不安である。計画をしてみよう。

5日
高橋氏と面談し、後は理事会の準備をした。そのためには県の石橋氏に電話し、賀川記念事業にイエス団は寄付しても法的に支障はないかを問い合わせた。同氏は寄付してよろしいと答え、これを確認した。
七福相互での借り入れに就いて七福に交渉した。

6日
小川氏宅でイエス団(財団)の理事会を開催した。
百万円を不法占拠立ち退き者に支給することについて、理事会の了承を得た。本多理事は記念事業から支出することを固持したが、金田理事の賛成で決定した。

7日
不法立ち退きについては、33世帯に対しイエス団から百万円、記念事業から百万円、神戸市から80万円を出した。
右近示市会議員と橋本福松民生委員の特別な協力で解決した。
33世帯は市会に集まって市、右近、橋本、武内からそれぞれ説明した。
不平を言う者一名もなく、全員喜んで散会した。
立ち退き問題は新聞の三面記事か、調停裁判か、共産党の後援か等と心配していたが、これが杞憂うになったことは感謝である。

8日 
立ち退きの件を理事長に報告した。立ち退き者の中70%は既に移転先が決定した。幸いな事である。15年間不法占拠で、ただで土地を使って、出て行くときは数万円を貰っていくのである。然し、受くるより与うるは幸いである。

9日
午前中はイエス団に、午後は神視に。終日雨で外には出なかった。
4時から職員会議を開き、土曜日にうどんの給食を決定した。
久し振りの雨でよく降った。もう梅雨入りであろう。
近藤氏が、高槻に土地の出物があるから買わないかと進めて来た。
不法占拠立ち退きの後に、50坪ばかりのバラックを建てたいので、設計をして見た。

10日
長田区役所に於いて31年度固定資産税について調査した。保育認可を受けるまでの税金であることが明瞭に成った。
不法占拠者の中、2家族は今日建物をこぼち移転した。約束どおり、本月中に全部が立ち退いてくれたら、本当に有難い事である。

11日
礼拝後、二星氏を見舞い、徐々に健康を回復しつつあり、信仰は熱心になり、主の救いの証人となり、大いに伝道する決意であり。すでによき働きをしつつある事は感謝に堪えない。
夜の集会では、雪子の証言があり、自分が司会した。
松山兄(仮名)より、同氏の息子が麻薬関係で石井拘置所に収容され、先日検事より1年6ヶ月の求刑が在り、15日判決がある予定であるが、執行猶予の恩典はないかとの相談であった。
これについて明日、小西弁護士を訪問する事を約した。

12日
小西弁護士を訪問し、更に裁判長に面接し、判決を寛大にと御願いした。
当人が組みに加わっている事、麻薬の扱いが大量であったことなどが、執行猶予にならない理由のようである。
高槻の土地を見に行った。

13日 
本多氏に面接し橋田(仮名)の返事を伝えた。
頼母子講は廃業するが、掛け金に就いては相当無理をして整理する計画をしている。それでも百数十万は不足のようである。
市より立ち退きに関係する職員2人がきて、立ち退きをした者が壊した家の捨て場がなくて困っているが、どうするかとの相談があった。
古木は風呂屋もただでも取ってくれないので始末に困っている。外に捨てると警察に叱られる。焼けば向いが消防署であって具合が悪いという。
社会福祉法人イエス団に対する助成案を立てた。
坂出吉村、南部升崎、白倉、三氏に対し、それぞれ書面を出す事にした。吉村については登記と計画書に就いて、升崎氏については社会福祉法人イエス団加入について、白倉氏には立ち退きについて。

14日
イエス団、橋田(仮名)本多両氏の講金関係がやっと解決した。金壱百万円也で双方とも互譲したかからである。

15日
聖和短大の生徒16名が、アーンアーピーヴィー女史に引率されて見学に来園された。参考事項については、武田主任保母から充分説明した。
11時から本多氏と面接。12時から4時30分イエス団、其の後7時までは宿泊所に於いて、それぞれ用事を済ませた。

16日
丸金ゴム社長と都市計画に就いて懇談した。この園にもその影響があるかないか、まだ不明であるが早く承知したい。次の設計計画があるからである。
午後は、イエス団で細川書記と財団関係で打ち合わせた。

17日
賀川記念館設計変更に就いて素人案をたてた。
新築は、不法占拠者の立ち退き後に建つべきである。第一の理由は、市の助成約400万円と現在の建物の跡に建てるためには、一時バラック建てに100万はかかり、結局500万円の予算がいる。
運動場の位置と太陽の光線の点で、建物の表と裏との相違があるが、運動場が裏になっても止むを得ない。更に、現在の既設の建物も半分は保存できる可能性がある。

18日
礼拝後役員会があり、其の後永井家との打ち合わせのため、大阪に妻と共に出張した。
結婚式場をYMCAとし、式はキリスト教としたが、永井夫人は反対であって、はっきりと決定する事ができなかった。

19日
川崎航空より10万寄付の払い込みを、本日末と交渉の結果決定した。
佐野氏と募金に就いて懇談した。海員組合より5万円寄付が、佐野氏と組合長との間で内定した。
船主協会からも、会員8名あり100万程度は寄付されるであろうと、佐野氏は見通しをつけている。訪問日は同氏より連絡される。
本城敬三氏と電話で交渉し、22日正午、YMCAで昼食しながら募金に就いての懇談をする。

20日
午前中理事会、評議員会の議事録を仕上げて、細川書記の原稿を若干訂正した。午後は神視で勤務し、今日は給料の支払いをした。
近藤氏と土地の件で面会した。

21日
イエス団議事録作成。
片山氏、土地斡旋のため来団。
近藤氏、賀川記念館屋上に広告塔を設ける件につき来団。

22日
正午、YMCAに於いて本城氏と村山、武内3人、昼食を共にし、賀川記念事業募金に就いて懇談した。
同氏はウンと協力し、殊に金を寄付される人々を善く承知していて、誰にお願いすればどの程度は寄付するであろうなど、予測の出来る確信を持っている。心強く思う。
午後、林輝氏の来団があり、29日、私学会館に於いて賀川先生の死線を越えての生々しいところを話して欲しいと依頼された。喜んで承諾した。

23日
片山勘三郎の案内で、小野の山地を視察に行ったが、谷が多く、利用の出来る面積が少ないので、価格よりも利用価値が少ないので、駄目と判断した。
屋敷の前にある溝に石を全部並べた。
大変な労力で全く疲労し、身体全部が悼む。然し、長い間しなければ成らぬと考えていた事が実現したので、何ともいえない愉快さでもある。

24日
石を掘り起こし、これを溝に並べるにはえらかった。今日も疲労は残っていて全身が痛い。
木村姉の義父が永眠し、母と当人の二人家族となって双方が淋しいので、母の方が来神して、親子二人で生活する事を希望していたが、真の父親は妻を失って28年一人でいるので、本当の父と育ての母とがこの際夫婦になってはどうかとの問題が起こったという。誠に結構なことである。賛成する。

25日
礼拝出席。

26日
午前中イエス団、午後神視。豪雨の為、一時国道不通。
川鉄訪問。20万寄付を受けるため、村山牧師と共に会社取締役桜井貞雄に面接、更に庶務係りに面接した。寄付金に就いては、社長の決裁がまだ済んでいないが、二三日の中に決済の見込みと答えた。

27日
夜中からの豪雨で国鉄、山陽共に不通で、終日自宅にいた。但し、屋敷が溝の下水の氾濫で海の如くなり、折角の野菜が台無しになるのではないかと思われる。
兵庫県労働保険組合の役員会は変更になった。

28日
不法占拠者33世帯のうち32世帯がそれぞれ建物を壊した。残る1戸は居座る考えのようである。電灯を新しく取り付けた。
各地に水害が起こっている。国鉄も私鉄も不通箇所が多く出ている。殊に神戸市に於いては、宅地の造成で不完全な工事をしているために被害が多く、天災でなく人災といわれているが、当局の責任か人の欲のためか、天竜川も決壊したというし、東京も降雨らしいが、大事に至らねば結構である。

29日
記念館の屋上広告塔を設けることに就いて、近藤氏の紹介により広告会社係員とが3名来団。村山、武内都合5名が協議した。
要点は、広告料は最低年額150万円、最高25万円程度であるとの話であった。中を取って年額200万円を毎年前金払いとしてくれる事になれば、イエス団は経済的には非常に恵まれ、さまざまな有意義な事業を行なう事が出来る。
知事の反対がなければ実現する。広告もビールや酒は出来ないが、電気、薬品、保険の種類の者はイエス団の建物を利用したとしても差し支えはないと思う。

30日
河上丈太郎氏より、三浦氏に電話で、記念館建設のための募金につき、大蔵省はかねて提出している書類の他に、知事の副申書と建物の3階の使用方法と、会館を特定の者に貸さない規則がでたら、それで認可の方針との事であった。
直ぐに書類作成に取り掛かった。認可があり、広告料が入り、更にモータープールでも設けることになれば、イエス団の財政基礎は一層強固となって来る。

     *      *      *       *

 武内のこの日記を記して2年後、昭和38(1963)年にめでたく「賀川記念館」は開館される。そして日記にあるように、武内と共に、この募金活動の中心的役割を担って取り組んだ村山盛嗣牧師は、賀川の招きで昭和33年にイエス団の牧師として就任し、長期間にわたり「賀川記念館館長」「友愛幼児園園長」などを歴任、2009年の今もイエス団専務理事として、「賀川献身100年記念事業」の大きな柱である「賀川記念館の新築再建」の事業に関っている。
 
 補記 過日(2014年3月8日)には「賀川記念館設立50周年感謝会」が、新築5年となる「賀川記念館」において開催された。

   (2009年9月23日鳥飼記す。2014年3月19日補記)


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