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賀川豊彦の畏友・武内勝氏の所蔵資料より(59)

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 お宝発見「武内勝日記B」(4) 昭和36年10月~12月

 今回の日記の中に「賀川豊彦全集」全24巻普及の取り組みが記されている。
 全集の配本毎に収められる「月報」に、武内も寄稿予定であることが残された手帳にあったので、松沢資料館の杉浦先生にその「月報」を依頼したところ、過日全24巻全ての「月報」をお送りいただいた。当時の証言では「百三人の賀川伝」や「神は我が牧者」など知られているが、この「月報」に寄せられた多彩な証言も、大変興味深いものがある。

 ここに添付する写真は、「月報4」に収められているもので、鮮明な印刷ではないが、「全集刊行感謝会で挨拶する賀川ハル氏と隣は純基氏」とある。残念ながら「月報」には、お目当ての武内の寄稿はなかったようである。

ハルと純基


    *      *      *      *

         昭和36年10月~12月
10月
1日
 礼拝。

2日
 10時、大阪クリスチャンセンター総合協議会に出席の予定であったが、尼崎の薄井市長が、記念事業の募金に就いて面談したいとの連絡で、市長を訪れたが、市長の登庁が遅いので昼までかかり、午後センターに行ったらキリスト新聞の楯岡氏が、賀川全集の予約に就いて待っているので、同氏と共に灘生協、神戸生協等を訪問し、協議会には出席しなかった。

3日
 森短大、頌栄、啓明、農業会館、平井、十字屋、松蔭、ルーテル神学校、神戸改革神学校、YM、YW等を訪問した。

4日
 今日は関学の大学・高校、聖和、神戸女学院、中井一夫、岡部五峯、神戸新聞社等を訪問した。
神戸で(県下)200部は予約可能かもしれない。兎に角努力しよう。

5日
 安田信託を訪ね、東京の協会に記念事業のため寄付に協力されるよう依頼した。
片山、村井、神戸佐野氏等来団。

6日
 本多氏とイエス団の預金先につき協議したが、預金先を変更することに反対であった。イエス団全体の有利な預金をしたいと思うが、記念事業は他人の事に考えていて、頑として反対であった。
久仁子が外泊した。

7日
 イエス団の35年度の事業概要の原稿で終日かかった。
久仁子は今日も自宅。

8日
 礼拝司会。
午後畑仕事、よく働いた。自分でも感心するほど働けた。有難い事である。

9日
 久仁子の退院。
神視の事務打ち合わせで終日を費やし、イエス団の方は欠席した。

10日
 イエス団36年度の事業概要出版のための原稿で終日。
夜は、今津吉田牧師宅において、1月修養会の打ち合わせをした。出席者は少数であった。金田、天満教会牧師、緒方、武内、住道教会牧師。

11日
 今日も原稿だ。
ユニオンチャーチから保育園に贈り物が届けられた。外人ではあるが、毎年1回これを実行されるのは感心である。日本人にして、海外でこれに類した何かを実行しているであろうか。
久仁子は正式に退院した。先日中は外泊で帰宅していたのであったが、誠に感謝である。何うぞ再発しないように、感謝と祈りをした。

12日
 井上秀吉氏はイエス団助成金を辞退した。幾らかの家賃としてでもイエス団本部に納めたいと考えているので、助成は辞退するとのことであった。
2万円で全集を買い、3万円で調査し、残りの使用に就いては特に考えたい。

13日
 35年度の年報の原稿をやっと書き上げた。
賀川先生が、原稿書きが一番疲労するといわれたが、そのとおりであるとつくづく思わされる。
永井君、昨夜から来ている。結婚準備で気分の疲労が多く、殊に金のないのに金が必要なので、家内は神経を病んでいる。可能の範囲内でやれば幸せな事が、無理をしようとするから心配となり、苦となるのであるが、それが解っていて、そうした気分になれないらしい。多くの母親がこんなものであろう。

14日
 神視運動会及びバザー。天気がよくて結構であった。子供は運動会が好きで張り切っている。お母さんたちも百人ばかり集まっていた。弁当持ちのお母さんたちもあった。
バザーはいい品物がないためか、余り売れなかった。衣類に就いては矢張り見栄を張るのかもしれない。古着を買うのは少ない。

15日
 礼拝。役員会。伝道集会について。
永井君が帰京した。久仁子の結婚式で、何かと毎日忙しいと雪子が言う。出来るだけのことをしたらそれでよいものを。

16日
 終日イエス団にいて、賀川全集予約に就いて、学校名とその所在地其の他、依頼先を検討した。
生駒の土地買収に就いての登記、細川書記が登記に出張した。
村山牧師は東京出張。

17日
 尼崎に出張し、商工会議所に於いて尼崎市秘書課長、会議所の工業課長渡辺氏、専務新宮氏、商工連盟の稲垣氏、生駒、武内が記念事業募金に就いて懇談した。
専務は非常に協力的であり親切である。こちらの願いたいと思う事を全部承知してくれる。渡辺氏は信者であり僕とは同県人であって、またずっと以前から僕をよく知っている人であり、嘗ては職業相談もした事のある人であった。何かと話しに理解があって、仕合せな事であると思うた。
何れ募金計画の詳細を調べた上、尼での協力方方針を、市と協議の上決定されるであろう。

18日
 賀川全集予約について、キリスト新聞楯岡局長より協力を求め、殊に官公関係につき三浦先生に依頼して来ているので、三浦先生と打ち合わせ、楯岡氏に回答した。
兵庫県で200部予約を取りたいというが、果たして取れるか。
近藤氏と面会、宇都宮の件について。

19日
 村井、堀田両氏が山田の土地について買って欲しいと頼みに来た。
坪当たり100円でも場所があるという。但し山地であって、利用が容易でないであろう。山の利用に就いては研究の必要がある。残念にも思うが仕方がない。

20日
 高槻出張で、阪急の終点まで行って30分待ったが、本多氏が来ないので帰った。
給料日である。皆に支払った。岡田も訪問した。

21日
 港の祭りで休み、畑仕事をした。畑の仕事は実に愉快である。自分は生まれつき労働者であろう。狭い畑をよく耕作し、花に野菜、来年は果樹苗を植え、生涯の楽しみに、この土地を有効に使用する。
畑で労働の出来る事は、自分の生涯の最大の幸福である。

22日
 礼拝に家族全員が出席し、久仁子の退院と結婚に就いて教会員に挨拶した。
午後は宇都宮と土地を見に行った。土地の価値が上がっているので売りたいという者と、まだ上がるであろうし上がれば儲かるといって買う人がある。世はさまざまである。
後は仕事で、予定通り片付け、百合も250球植えた。球根が小さいので来年は花にはならないであろうが、再来年は見事に咲くであろう。これも楽しみである。

23日
 園児が相撲を取って、左腕を骨折したので見舞いに行った。
今日は市の監査を受けた。監査員はよくできて居ると評し、更にイエス団の仕事は市も同様なやり方で結構ですが、寺や個人の経営は営利的で感心しないとの意味であると、感想を述べた。監査が、園に来ただけでも雰囲気が違っていると誉めてくれた。神視は、番町でもっと地区の為になる仕事をやりたいものである。

24日
 久仁子の結納で休み、家にいて雑用に当たった。
永井理一氏は10万の結納金を置いて帰った。先日、長男の結婚式が済んだばかりで、負担の多い事に苦労された事であろう。形式的なことに金をかけすぎると思うが、社会的地位上止むを得ないものと考えられる。
式への出席は43名で、披露には一人当たり2000円以上を要するという。勿体ない事である。

25日
 修養会準備と理事会の準備をした。
午後は堀田氏の案内で、山田の土地を視察した。8万坪あり坪当たり100という。神戸の裏は山ばかりであるが、利用方法を考えれば役に立つものが多くある。営利を目的としないで利用法を研究すれば、大きな財産であるが、欲の為に何にも使用できないものの多い事を知った。
山で4時過ぎとなり、帰途散髪した。

26日
 午前中はイエス団で、村山牧師とさまざまな問題で懇談し、午後は一麦で土地買収の件で相談した。土地は甲が所有していたが、土地を担保設定して借金し、それが返済できないので、弁済に貸主乙が名義を変更しているので、現在居住者と地主との関係が明瞭でなく、また土地を買収してもイエス団で整地、利用は困難で、そのまま買い手がある場合、ハッキリしない限り買収は出来ない。田中久雄氏が報告してきた場合、それに基づいて更に協議する。

27日
 吉村館長宛、豊島の担保抹消と坂出の土地所有者の名義変更に就いて、文書を発送した。
神有電鉄の重役と会社沿線の土地に就いて懇談した。駅前で坪当たり500円とは安いと思う。27万坪買って欲しいと言う。現地を一度視察することにした。
祐一が帰宅した。

28日
 日雇労働者調査について労働組合と交渉中、兵庫県労働保険組合監査につき相談を受けたが、久仁子の結婚式の為変更してもらった。
結婚式の準備で、家内はバタバタ走り回っている。これで正式武長入社が決定した。彼は旅費10400円を支給され、それで写真機の付属品やフィルムを買ってきた。久仁子の写真をとるためである。

29日
 礼拝後、YMCAに於いて本城氏と賀川記念館募金につき打ち合わせた。
毎日雨が降る。洪水で大変な騒ぎである。本年の天候は不順である。秋はそれとしても冬は何うか。
久仁子の結婚準備は終わったようである。

30日
 今朝はこの間中に晴天で、気持ちのよい天候になった。
何か、久仁子のための晴天のような気がする、と家内は言う。有難い事である。
式は予定通りクリスチャンセンターで挙行した。式場の費用103350円という。貧しい者の家庭で、かかる金のかかる式の出来た事は誠に奇跡である。
久仁子を理学士にする事のできたのも、また奇跡のように考えられる。式が終わって、重荷が降りた感である。新郎新婦は、神戸の布引観光ホテルに宿泊した。

31日
 新郎新婦は三宮を8時58分のつばめで九州に向かった。天の父が彼らを祝福し、永井にも救いを給うことを切に祈る。


11月
1日 賀川全集予約の為、キリスト新聞楯岡氏と三浦先生、村山牧師、武内4人が医大、神大、外大、神大分校、薬大、商船、武庫川大学、夙川学園を訪問し、5校の申込みを得た。無駄になるのは商船大学のみであろう。知事の紹介と三浦県会議員のおかげである。甲南大学、甲南高女

2日 修養会準備のため楯岡氏案内せず午前中それに当たり、午後1時半YMCAの本城氏と共に村山、武内は随行し、大丸百貨店神戸市店長に面会し、賀川記念館建設費募金の依頼をした。どれ程寄付されるか知れないが、大丸其の他計は30万から50万までのような感じがした。
3時半、雷声寺に上がり修養会場で財団、福祉の理事会を開催し、5時から修養会を予定の如く開催した。出席者 名、イエス団創立以来嘗てない試みであったが、是非必要な会合であり、有益であったと思う。年1回は毎年実行したい。

3日 修養会を午前中で解散し、午後は観光バスで六甲登山を計画していたが、雨降りで中止し解散した。
南部の升崎外彦氏より、同氏の経営する事業も是非ともイエス団に合併さして欲しいと、講壇の上から全員に対する依頼があった。理事会にはずっと前から申し込みのあったことである。ただ手続きのみが遅れていた。

4日 特別伝道集会のため、夜は映画会を催した。但し金10円入場料をとったためか、客は案外少数であった。
理事会の議事録作成、見舞金分配方法等に従事した。

5日 礼拝後、大阪クリスチャンセンターに行き、結婚式の費用一切の支払いの為、永井氏と合同し全部の支払いを済ませ、堤繁先生宅を訪問し、媒酌人の礼を述べ、金壱万円也の礼をして帰り、夜は大阪女学院長西村次郎先生の説教で伝道集会を開催した。
出席者数を問題にしていたが、割合多く、殊に新川の土着の人たちが来ていたので、新川の人々に福音の伝えられる事を感謝した。

6日 水害と台風の見舞金分配と、石井の助成と吉村姉の契約書を作成する事で半日を費やし、午後本多氏と事務打合せをしたが、本多氏は母子寮と宿泊所の見舞金に就いて3万ずつとし、石井に就いては更に理事会にはかってからでないと送金はしないという。吉村姉の誓約書については、公正証書を作成する必要があると主張する。

7日 永井新郎新婦は九州旅行より帰ってきたが、永井は夜中下痢でそのためか発熱した。
本多氏と宝塚の土地の視察に往った。2000坪3000万円という。高い土地だとは思われるが、尚専門家に就いて相場を調べる必要がある。
見舞金分配。

8日 久仁子は堺の永井家へ土産を持っていくはずであったが、永井の病気で中止し電報で断った。永井ではびっくりして、父と娘とが見舞いに来られた。但し大病ではないので心配の要はないと思われる。

9日 兵庫県労働保険組合の監査をした。赤字で困るかと心配していたが、幸いにも厚生省の助成金が600万円増額になったのでどうにか辻褄があった。
36年度の上半期の成績は、去年よりずっとよくなっているので、下半期の見通しは明るい。有難い事である。
大正10年8月16日、西出町の公設市場の物置で日雇労働紹介を開始し、二三人の労働者が求職に来た当時を思い出す。

10日 尼崎市秘書課長に面会し、更に商工会議所に於いて産業連盟関係と募金に就いて懇談した。中々一度や二度足を運んだ位では寄付はいただけないものである。当然な事でもあろう。
永井君が帰京した。15日のバンコック往きには、よう見送りしないので大阪駅まで見送りに行った。まだ健康が勝れないからと一等寝台に乗った。僕は70歳でもまだ一等寝台に乗ったことがない。僕は貧乏に生まれついているせいか。

11日 神視で措置費変更による研究をしたが、川崎氏が赤字赤字とそれのみ不安に思って、正確な数字をよう出さないでいる。自分で検討する。

12日 礼拝に家族全員が出席した。

13日 徳島の黒田牧師が、社会福祉事業の認可を得たいのでその書類の申請についてやってきた。神視へともに往って神視の認可申請書の控えを貸した。
 尚、本日中に徳島に出張し、同氏ともに石井町長を訪問することを約した。
川崎氏は依然としてベースアップの案が立たないと嘆いている。

14日 妻と久仁子が永井君の見送りの為、上京した。今晩は旅館泊まりで明朝9時の見送りは羽田である。千恵子が病気でなければ、共に行ってもよいが仕方がない。
午前は給料の値上げで検討し、午後は尼崎に出張し、三和シャッターで5万円寄付していただき、次は商工会議所を訪問し、渡辺、専務両者に面会した。但し寄付金は急に運ばない事である。
久し振りの晴天で好い日であった。朝は霧で白くなっていた。従って冷たくあった。

15日 9時に永井君が羽田を出発したであろう。今日も昨日同様、朝は霧で冷えたが晴天で、気持ちのよい日である。飛行上も気持ちのよいことであろう。
高木氏(仮名)が面談したいというので訪問した。枝肉市場が出来るのでその元締めをやりたいとして、神戸同業者の約半数の委任状を集めているが、資金の不足と上の牧場との関係で一向に進展しないと泣き言を聞かされた。神戸で唯一の枝肉の配給元締め機関の大将をするには、他に適当な人物がありそうなものである。高木(仮名)もその器ではないと思う。

16日 イエス団の建物を移転するに当たり武田、竹中両所に往って懇談した。但し、竹中は道路敷地内に移転するようにというが、現在建物は幅が5?あるので道路敷きは4?でムリである。建物を切って移転すれば経費は高くなる。更に検討を要する。

17日 建物移転に就いて設計してみるが妙案はない。

18日 神視に行き給料を受け取った。24日職員会議を開く事を決定した。
竹中訪問。

19日 礼拝。家族4人全員が出席した。夜は自分が奨励した。話した後で説明の足らない点を発見したが、後の祭りであった。話す時は、やはり原稿の用意が必要である。

20日 神戸駅7時54分発で大津に出発した。日本基督教社会事業同盟の研修会に出席した。
真鍋理事長は精神の高揚に就いて述べられ、長井牧師の説教も精神的であった。然し同大の小倉先生の講話は設備、従業員の待遇に就いて多く述べ、また労働組合に就いても語られたのであって、出席者がよく理解するかどうか考えさせられた。

21日 前日の3氏の話に基づいた分断協議を行った。然し結論が出たのではない。
リクレーションは八景めぐりであった。水族館で淡水魚ばかり見た。時間の都合で充分見る事が出来なかったのは残念であった。

22日 分団の結論は出なかった。丹羽理事から労組に就いて、東京YMCAの組合活動の事実問題を取り上げ、組合の要求に対し理事者はある線を出して話し合いがついた。それに上部組合である総評から、組合員に対しその程度で妥結するなんて馬鹿らしいではないかと、上部からけしをかけられ、組合員は迷惑していたとの事であった。
保育所の施設長は、使用者であっても他の従業員と同様一定の給料で働いているのであり、他の職員を安い月給で使用し、その利益を取ることはできないものであって、一般の労組と同じようには出来ない。また少数の職場であって、施設長と対立になる必要はないであろう。

23日 勤労感謝の休日である。勤務は休んだが、家には用事が多いので、とりあえず今日はストーブ二つを取り付け、あとは納屋の片づけをした。終日働き通した。然し別に疲労を覚えなかった。健康の証拠であろう。感謝の至りである。

24日 神視の職員会議に出席した。但し重要な問題については、次回に延期した。給料値上げと賞与に就いてである。
イエス団の敷地内に福井(仮名)の家が出張っているいるので、立ち退きの交渉に家主の福井(仮名)を訪問したが不在であった。今度の日曜日の夜6時、訪問の約束をした。

25日 賀川記念館の設計変更の図が出来たので、これを検討した。今回の図は、大体理想的に仕上がっている様に思われる。但、延べ600坪であるから建築費も6000万円程度になるのではないか。その支払い方法如何。
けれども1階の290坪からは、毎月30万円の利益は上がるのではないかと考えられる。10年後には毎月の純益となる。これが否でも竣工させたいものである。大いに祈る。
一麦保育園に於いてイエス団理事の委員会を開催する。土地の売買に就いてである。

26日 礼拝。役員会。
教会裏の不法占拠に就いて村山、斉木、武内の3人が交渉した。イエス団の建築に支障のないように立ち退き致しますと口約した。

27日 財団法人イエス団、社会福祉イエス団、財団法人賀川記念厚生事業団と3団体が、賀川記念館を建設するに当たり、種々申し合わせ取り決めなどしなければならず、法的措置もあるので、これが協議事項に就き村山牧師と協議の上作成した。

28日 協同牛乳の関係で裁判所に出頭した。早川(仮名)は証人調べの問いに対し全く嘘を答弁した。
三島氏(仮名)が来て電車賃100円也貸せと言うので貸した。
記念館の建設に就いて、竹中工務店の設計図に基づき専門委員、竹中の技術、村山、武内とが協議した。
間所氏の追悼会が大阪クリスチャンセンターで開催されるので、出席の通知を出していたが、時間の関係で断った。
近藤氏に記念館の1階使用に就いて、借り手を世話してくれるように依頼した。会館の1階は使用料1か月30万、屋上の広告は年間150万、計年500万の収入は確実に上がるように考えられる。有難い事である。感謝に堪えない。

29日 大丸百貨店訪問。
記念館募金に就いて三浦氏訪問。30日のイエス団理事会についての打ち合わせ。
神視保育園の給料・賞与の決定について、給料・賞与とも市の通達どおりとすることにした。

30日 午前は理事会の準備をし、午後1時三島氏(仮名)の依頼で森岡弁護士を訪問し、3時より大阪クリスチャンセンターでイエス団の理事会を開始した。これで賀川記念事業団とイエス団との関係をはっきりする事が出来た。


12月
1日 午前は教会と社会福祉法人との財産に就いて研究し、午後は竹中工務店の設計係りと打ち合わせた。充分ではないが、図面で話し合っていると暫時進んでいくようである。特に実務者の意見を充分参考にしている。

2日 午前中はイエス団で教会と社会福祉の共有財産について検討し、両者の協約案を作成した。
午後は神視に廻った。神視は5日、4施設の餅つきを引き受けた。当番制であろう。

3日 礼拝。家族全員が礼拝出席できる事は有難い事である。
午後は天気はよし。たまねぎ100本追加植え付けと草取りと下稗をとって、疲労するまで働いた。

4日 午前中、教会と社会福祉との共有財産を、どう双方都合のよいように、永久双方の争いの起こらないように取り決めておくべきかを検討した。最も困難な問題であるが、双方の為に是非とも決定しておかないと、必ず後日大きな問題となるであろう。これを未然に防止の出来る方法を講ずることは、僕のみに課せられている使命と思う。他の者には出来ないと思われる。

5日 神視、餅つき当番。
11時、大阪に出張し近畿百貨店協会を訪問、記念事業について寄付金を依頼した。協会の係りは一応取り上げてくれた。多分何十万かの寄付はいただけるだろう。50万も寄付されたら有難い事である。
尼崎の山下栄次氏と募金の打合せをし、商工会議所も訪問した。会議所では各会員から直接送金することにしたということであったが、果たして送金されるかどうか。

6日 徳島出張。村山牧師の運転で石井と大幸との用件を片付けた。
石井の助役は、保育設置に就いては消極的であった。磯部氏の宅に一泊さして頂いた。

7日 市橋に面会し教会、石井の保育設置、豊島の山林、記念事業等に就いて懇談し帰途に就いた。
行くよりも帰りは順調であった。二日間とも天候に恵まれた事は、仕合せであった。

8日 真珠湾攻撃20年の日である。日本の失敗は世界の方向転換の動機となった。特に東南アジアに於いて植民地の解放は大変な出来事となった。
大阪、奈良に出張し、4箇所の保育、乳児の施設を訪問した。
朝、西明石駅で左足のかがとの上3寸位のところを捻じたか、痛み、ちんばになった。

9日 年末手当を貰った。神視保育園としては昨日渡したが、自分のものは出張の為今日となったのである。

10日 足が痛むので、礼拝を欠席し終日在宅した。

11日 宝塚の土地買収に就いて、土地所有者に面接してくれと、本多氏の依頼があり、午前本多氏と面談し、午後宝塚に出張した。土地坪当たり15000坪数2000坪で34万円となる。本多氏は馬鹿に乗り気だが、安いとは考えられない値段である。
午後7時、村山牧師の按手礼が栄光教会で、他の牧師たちと共に行われ、これに出席した。

12日 金田理事より電話で、大川と本多と両氏の土地買収案につき宜しく頼むとの事であった。
午後、大川氏来神され、土地に就き種々承った。山林の買収は投資ではあるが、賭博に似た点があるけれども、同氏は3年後には1億円位の値が出てくると思うとのことであった。兎に角、14日11時、YMCAで委員会を開催する事とした。

13日 共栄、労金を訪問した。
午後、神視でクリスマス礼拝、祝会に就いて打合せをした。大阪では警察署長がサンタクロースになり、ヘリコプターで空からプレゼントを持って降って来た。子供は大喜び、これをテレビで観て、時代は変わった。犯罪者専門の大将がサンタクロースとは。

14日 YMCAで委員会を開催し、土地買収の件を決定した。本多案は全額が予定超過で否決となり、大川案の山林を買収することとした。尚、平地については16日現地を視察した後に決定する。
イエス団では古着の整理の為、数名の婦人が奉仕をした。
(ここまでで「日誌」は終了している)

      *      *     *     *

 武内の纏まった日記AとBの2冊を、ここにすべてを書き留めておく事ができた。
 武内所蔵資料の中には、戦後の折々のメモを記した「手帳類」が多数存在する。それらを丁寧にたどれば、空白の経過がいくらか埋めることが出来るはずである。その作業も、少しずつ進めて行けたらと願っている。

 思いがけない事であったが、既にこのサイトで60回近く「お宝」を掲載してきたが、今後もこのたび新しく発見された120通以上もの「賀川豊彦・ハル夫妻からの武内書簡」の未紹介分を、取り出して行く事にする。

       (2009年10月1日鳥飼記す。2014年3月23日補記)



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