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賀川豊彦の畏友・武内勝氏の所蔵資料より(61)

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  賀川豊彦40代の抱負あれこれ
   大正15年2月10日付武内宛書簡

 賀川は、大正13年暮れから14年7月末まで米国・欧州旅行を試み、帰国後11月には吉田源治郎と共に「日本労働者伝道会社」を創立し「四貫島セツルメント」を開設した。そして12月には、ジョン・R・モット博士を迎えた鎌倉の協議会で、あの「百万人救霊運動」私案を発表して、この大正15年を迎えていた。

 今回取り出す大正15(1926)年2月10日付けの武内宛書簡は、彼の活動拠点が、従来の神戸・東京に加えて新しく大阪に出来た事から、居住場所も大阪近辺に移し、大阪を中心にした都市伝道と杉山元治郎と共に農村伝道に打ち込もうとする「私の四十時代」を目前とした新たな抱負を述べたものとして注目させられる。この時、賀川は38歳である。

 賀川はこの書簡を送った後、翌月にはトラホームが悪化して入院、失明常態となり、9月にも眼科への入院を強いられるが、10月には予定通り、兵庫県武庫郡瓦木村高木東口に移り住むのである。

    *      *      *       *

 「本所基督教産業青年会 東京市本所区松倉町二丁目六十二番地」と印刷された用箋7枚に書かれた書簡が、同住所と「賀川豊彦 本所基督教青年会 電話墨田三七六四番」の印刷された封書に入り、宛先は「神戸市東遊園地 神戸労働紹介所 武内勝様侍史」、そして珍しく「親展」と書かれている。
 消印から、大正15年2月10日と判る。
 文面は次の通り。

             賀川の武内宛書簡


 拝啓
 先日御話のありました鐘淵紡績会社の高砂療養所の世話する人がゐるという話でしたが、只今、伯爵 勝家に家事見習いをして居られる田邊さんは、そういった方面に行き度い事を希望して居られます。
 私の集会で決心せられた為に、勝家の妾をして居た人と折合いが悪くって、此の四月から何処かに出たい希望で居られるのです。勝家にはもう五年以上務めて居られるので、それだけでもよく素質の善い婦人であることが解ります。履歴書を入れて置きますから、当って見て下さい。若しも駄目でしたら更に送り返して下さい。

 私が来る廿二日に一寸神戸に帰ります。
 其際またお話をしたいと思ひます。此度、智識階級専門の職業紹介所ができる事に委員会では決定致しました。

 神戸の伝道もも少し力を入れて見度いと思ひますが、ご承知の如く、私は昔より、より多く筆をとらなければ、神戸・大阪・東京の三ヶ所を支へることが出来なくなりました。その為に、どうしても、どこか郊外に仕事場を作って置かなければならないのです。そのために、書物などは全部仕事場に移し度いと思って居ります。或は、今津の吉田源治郎先生に全部書物を管理して頂いたらばよいがと思って居ります。
 私はもうそろそろ東京を引上げる準備をして居りますから、阪神間に於ける仕事場を考えてゐます。
 東京の伝道は実に面白くって沢山決心するのですが、本所の伝道は特別に愉快です。然し大阪は、日本で最も道徳的に腐敗した街であるし(私生児は日本一だし、公娼の数も人口割にして日本一だし、私はどうしても大阪で伝道しなければならぬと決心して居るのです。)何だかもう大阪に行く頃だと思ひますから、私の四十時代を大阪を中心にした都市伝道と農村伝道に集注して見度いと思って居ります。只今の所では、伊丹付近に杉山さんと一緒で松沢の様な村のセツルメントを設け度いと思って居るのです。そして私は、四貫島を中心にした伝道と西野田を中心にした伝道に努力したいと思って居ります。

 神戸の方は、どうしても、も少し労働者中心の伝道にしなければならぬから、伝道所を春日の道の方に寄った処に設けるか、それとも日暮れ通りで集会をするようにでもするか、も少し労働階級一般に接近出来るような方法をとらなければならぬと私は思ひます。それ等の点に就いて、私は、あなたに御考へを願ひ度いのです。も少し経済的にもやり度いし、能率も上げたいし、今の様にしてゐては駄目だと思ってゐます。
 長田の方でも出来るならば、宗教座談会の形式で何かの方法で伝道が開拓されればよいと思ひますし、御蔵通の方も手を着け度いと思ひます。

 徳廣さんが井上君の説教が余り講談が多いので困ると言って来ました。少し注意してやって下さい。余り伝道的でなければ、あなた自身がやって下さい。そして若しも出来るなら、徳廣さん等を中心にして、長田方面の宗教座談会を別に開いて頂いても結構です。此度私が大阪に帰れば、神戸の方の伝道も少しは目鼻が着くと思ひますが、も少し確かりしたいと思ひます。

 私は今、旅行日記雲水遍路を執筆で昼飯も毎日餅ばかり食って書いて居ります。併し、各方面の講演に忙しく引張り出されるので弱って居ます。公娼制度破壊論、禁酒問題、消費組合、次から次へと忙しいので困って居ります。それに、農民組合の仕事はあるし、労働党に関する問題にも参集するし、毎日忙しくて困って居ります。

 入院して居る姉の事に就いても何分よろしく御願いします。まことに済みませんが、本田君にいうて小遣を五円位送って上げておいて下さい。本田君に手紙を書く代わりにあなたから電話ででも云うておいて下さい。此間三百円送りましたから、其中から出して下すって結構です。

 来る廿五日に、日本全国の青年団の指導者に此度出来た神宮外苑の会館で講演します。何だか伝道の新しい糸口が開けた様に思ひます。各地の伝道は非常によい結果を挙げて居ります。
 今年も祈って下さい。
 
 武内勝大兄                  
   二月十日
                            賀川豊彦拝
 

    *      *      *      *

 この書簡の中に登場する吉田源治郎は、前記「四貫島セツルメント」の初代館長であり、昭和2(1927)年2月、同セツルメント内に設立されたに「大阪イエス団教会」の初代牧師であるが、大正9(1920)年に出た豊彦の作品「イエス伝の教へ方」(日曜世界社)の編集を手がけ、翌年(大正10年)の賀川の名著「イエスの宗教とその真理」(警醒社書店)は、吉田の見事な筆記によって完成された。その他も賀川の作品を多く仕上げ、自身の論文も多く、甲子園二葉教会や西宮一麦教会などの牧師を歴任したお方である。

 吉田源治郎については、御子息の吉田摂氏の御好意で膨大な関係資料の閲読を許され、その後「賀川献身100年記念事業オフィシャルサイト」において長期連載が可能となった。本ブログでも改めて新たに再掲して置きたいと思っている。

       (2009年10月9日鳥飼記す。2,014年3月27日補記)

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