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賀川豊彦の畏友・武内勝の所蔵資料より(63)

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    開拓的事業継続に伴う苦労     

 今回取り出してみる賀川豊彦の書簡は、昭和13年3月と4月のふたつである。「時局の影響をうけて、書物の売行が全く止ってしまひ、原稿の注文が無く・・」といった賀川自身の「苦労」の実情は、個人雑誌「雲の柱」などにも決して書かなかった内容である。

 「時局の影響」といえば、例えばあの「約束の聖地」(昭和14年、日曜世界社)に於いては「91、92頁は其の筋より削除を命じられましたから切り取りました」という紙を貼り付けて読者に届けられた。

 「死線を越えて」では「その筋の」検閲で伏字も多く、「労働者崇拝論」は発売禁止となってしまったが、完成した本の一部を、こうして「切り取る」命令も存在したのである。

 こうした中にあっても、翻訳を除く自著だけみても、昭和13年には「世界を私の家として」「神と贖罪愛の感激」「第三紀層の上に」「小説キリスト」が、昭和14年には「沈まざる太陽」「約束の聖地」「自伝小説:石の枕を立てて」などが、次々と出版されている。

 賀川とその仲間たちは、次々と新しい事業を開拓・継続する苦労を積み重ねたのであるが、今回発見された120通余りにのぼる賀川書簡には、その日常の金銭上の苦労や細やかな気配りが認められており、そこがまた重要で面白く貴重に思えてくる。

     *      *      *      *

 「賀川原稿用紙」1枚 上北沢町の自宅から昭和13年3月15日に差し出され、宛先は「兵庫県武庫郡瓦木村高木 武内勝学兄」とある。

学兄宛書封書

 「武内勝学兄」と書くことは多くはないが、本文冒頭には「武内勝教兄」という珍しい書き方がなされ、その下に「賀川豊彦」の署名があって、さらに文面末尾にもう一度「賀川豊彦」の署名がある。
 
時局の影響



    武内勝教兄
                                賀川豊彦
  冠省
  時局の影響をうけて、書物の売行が全く止ってしまひ、原稿の注文が無くなりましたから、
  神戸への送金も、何割か削減せねばならなくなりました。何卒御研究下さい。大阪消費組
  合の方は幸ひ「灘」が引受けてくれてほんとに助かりました。
  主にあれ
  月末に一日だけ「灘」に行きます。 
                                賀川豊彦

      *      *      *      *

 賀川豊彦の住所と名前が印刷された罫入り用箋4枚に記された速達便である。差出は同じく上北澤町から、昭和13年4月12日投函されている。宛先は「西宮市西宮北口 南芝781 一麦寮 武内勝様」

  武内勝様
  前略 速達を拝見いたしました。電報と御手紙で申上げました如く、林彦一氏より五千円の送金
  あり、灘購買組合より借入れました一万一千円の内金として金五千円を直ちに四月九日附を以っ
  て送金返却いたしました。
  それで、後の七千円を一時三井銀行より融通し、そのうち、又、三井銀行へ支払って行きたいと
  思って居ります。それで何卒、三井銀行よりは、七千円以上お借りにならない様御願ひいたしま
  す。

  造作費一千五百円也、承知いたしました。床の間を取り払う事も、良いと思ひます。然し、南側
  へ薬局を持って来る事は反対であります。
  その理由は緑がある為に暗くて昼間、はかりのめもりが、見えません。その上に、診察室は第一
  診察室、第二診察室と、広く取って頂きたいものです。でないと、若し、眼科と、内科を開く場
  合に、困難を来します。
  で、どうしても、最初、貴方が設計せられた通り、東側の窓の下に薬局を、お設けください。こ
  れは芝八重の家の所から云ふならば、むしろ近い方でありますから、無理ではないと思ひます。
  本田君の方に、金が、千円ばかりある筈ですから、造作費の一部分を、その方から融通してでも、
  大至急、始めて下さい。
  私は、今週木曜日の晩、東京を出発、金、土、日と三日間位の予定で、銀行の交渉なり、造作の
  都合なりを見に参ります。それで、中田均氏を上京せしめられなくとも、よいと存じます。
  一番心配してゐるのは住み込む人がない事です。その為に祈ってゐます。
  その為に特に御祈り下さい。御願いいたします。
  主にありて   
                                 賀川豊彦


    *       *       *       *

 「世界を私の家として」生きた賀川であるが、いつも自らの足元の諸課題を気に掛けながら、一番信頼を置く武内勝と、その苦労を分かち合って歩んでいた事が、これらの書簡に伺える。

 先日(2009年10月14日)、待望の「賀川ハル史料集」(三原容子編:全3巻:緑蔭書房)を読ませていただく機会をえた。
 ただ今、これを読み始めているが、豊彦以上に「開拓的事業継続の苦労」を背負っていたのがハルであり、そこでの見事な手綱捌きのわざを味読したいと思う。
 これまでにもここで紹介してきた多くのハル書簡にもそのことは明らかであるが、この度の「史料集」には残念ながら今回の「お宝」は収録できなかった。
  
   (2009年10月16日鳥飼記す。2014年3月31日補記)


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