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賀川豊彦の畏友・武内勝氏の所蔵資料より(72)

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  「佐藤一郎」のパートナー「佐藤きよ」    

 前回「賀川に愛された善い男:佐藤一郎」として、そのことを記す豊彦の武内宛書簡と共に、一郎氏のご長女・真部マリ子先生からお聴きしたことなどを紹介したが、今回は予告の通り「佐藤一郎」のパートナー「佐藤きよ」について、短く触れておきたい。

 「佐藤きよ」は、前回記したように1966年から2年間、神戸イエス団教会の伝道師時代にはオルガにストをつとめ、お膝元の「吾妻集会」などでも共にさせていただくなど、忘れ得ない経験をした大先輩なので、ここでは以下「佐藤先生」と記す。

 マリ子先生によれば、佐藤先生の旧姓は「浜田」で、1896(明治29)年3月23日山形県上山市でお生まれになった。そして1912(明治45)年3月17日、16歳の春に、上山教会で洗礼を受けて、新しい生活を始められた。

 2年後の18歳になった1914(大正)年には、横浜共立女子神学校へ進学され、ただ今刊行されたばかりの三原容子編『賀川ハル史料集』第1巻217頁以下「横浜共立女子神学校関連資料」によれば、「1917(大正6)年第15回卒業生名簿(16名)」が挙げられていて、そこには、「賀川春」と共に「佐藤きよ(浜田)」の名があげられているので、佐藤先生は、丁度時を同じくして賀川ハルと同クラスで学ぶ学友であったことが判る。

 また、賀川豊彦の同労者の一人として知られる吉田源治郎牧師については、これまでにも時折触れてきたが、源治郎牧師の夫人・幸先生のお名前も、同じクラスの卒業生名簿に並んでいる。

 マリ子先生からこの度いただいた写真の中に、佐藤先生の卒業のときに写された、晴れ姿の写真があるので添付させていただく。

佐藤きよ

 また前記『史料集』224頁には、「大正6年6月22日」の卒業式の写真がある。これもここに添付したい。マリ子先生によれば、左端に立つ人が佐藤先生で、前列左二人目がハルさんである。幸先生はどこに写っているのであろう? お分かりの方のご教示を御願いする。(追ってこのブログにおいて補正を加えながら収める予定の「KAGAWA GALAXY 吉田源治郎・幸の世界」において、これらの詳細は明らかになる)

神学校写真

 この度、マリ子先生から頂いた史料の中に、棟方晃彦牧師の玉稿「「祈りの人」佐藤きよさんのこと」(日本基督教団西宮教会婦人会、1995年9月発行『葡萄の樹』43号)という、暖かく心の篭った追悼文が、8頁にわたって収められていた。そこには、次の記述がある。

 「1917(大正6)年6月22日卒業と同時に、きよは神戸生田川(新川)にあったイエス団教会に住み込み、賀川の伝道を手伝いはじめた。ハルと共に毎日のように路傍伝道に出かけ、説教・証詞に明け暮れた。また子供たちを集めてはイエス様のお話をしたという。もちろんいずれの場合も、きよのオルガンは強力な味方となったことであろう」(57頁)

 とすれば、共立女子神学校で共に学ぶことのできた賀川ハルとの出合いは、佐藤先生の卒業後の歩みをも決定づけるものであったことが判る。

 賀川ハルがその学び舎で、それまで豊彦や武内らと共にしてきた「救霊団」時代の「新川体験」を活き活きと語り、ここでの学びを終えてから再び「新川」に戻り、新たな決意で働こうとするハルの心意気に、佐藤先生は深い共感を覚えたのであろう。

 ともあれ佐藤先生は、「卒業と同時に、きよは神戸生田川(新川)にあったイエス団教会に住み込み、賀川の伝道を手伝いはじめた」のである。

 またこの追悼文には続けて「佐藤一郎」との出合いと結婚について、短くこう記されている。

 「こうした日々を過ごす浜田きよにとって結婚は二の次であったのか、当時としては晩婚といってよい。相手はやはり賀川豊彦の伝道に協力していた佐藤一郎という人物である。1924(大正13)年、きよ28歳の時である」(同頁)。

 結婚数年後(1928(昭和3)年)、夫・一郎が結核を発病して、養生を強いられる事になる。

 マリ子先生所蔵史料のなかに、佐藤先生の昭和20年に書かれた「神戸市稗田尋常小学校職員履歴書」がある。それによれば先生は、昭和4年の神戸市立脇浜尋常小学校を皮切りに、和田、名倉、稗田の各尋常小学校で、音楽教師を続けて家計を支えている。

 前回記したように、佐藤一郎は1937(昭和12)年4月、惜しまれつつその生涯を閉じるのであるが、その後の佐藤先生は、夫の志をも受け継ぎながら、二人の娘たちの子育てとイエス団の働きに明け暮れるのである。

 佐藤先生のお働きについては、ここで詳しく御伝えする事は出来ないが、私たちの経験できた短い2年間だけでも、その一端は直接見届けさせていただいた。

 そして佐藤きよ先生は、あの阪神淡路大震災の2ヶ月余り後の1995年4月6日、満99歳を迎えられた年の春、天寿を全うされた。

 ここでは最後に、棟方牧師の追悼文の中に収められている、佐藤先生93歳のとき、神戸イエス団教会から贈られた「感謝状」のことばと、多分「横浜共立女子神学校同窓会」での記念撮影ではないかと思われる貴重な写真を1枚紹介させていただく。この写真には、左から佐藤きよ、賀川ハル、吉田幸の各氏が並んでいる。

写真三人


 感謝状
 「佐藤きよ様
  あなたは当教会のオーガニストとして、半世紀を越える長年にわたり、礼拝と諸集会のために、
全身全霊をもって賜物をささげて下さいました。
 このことをなされた神様の御名をたたえると共に、数々のなつかしい思いをこめ、教会をあげ
て深く感謝の意を表します。
   1989年7月20日
   日本基督教団 神戸イエス団教会   
                         牧師 村山盛嗣  教会員一同」

 マリ子先生所蔵のアルバムには、貴重な写真が多く残されているが、それらはまた別の機会にご覧頂くことにする。
             
   (2009年11月11日鳥飼記す。鳥2014年4月19日補記)


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