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賀川豊彦の畏友・武内勝氏の所蔵資料より(89)

   「河野洋子所蔵写真」から(1)  

 本年(2009年)春から武内氏所蔵資料の閲読を許され、伴武澄氏のお勧めと御厚意で、「お宝発見」をここまで継続することができた。

まだすべてが終わったわけではないが、「賀川献身100年記念」のひとつの区切りの時を迎えているので、この間、思いがけず関係者の数名の方々とお出会いでき、大切にされている古い写真などを拝見する機会もあったので、この機会に感謝の思いをこめて、それらを少し紹介しておきたいと思う。

特に、その時の皆さんの回想のお話が面白いのであるが、それらはまた然るべき機会が設けられ、直接そこで御一緒にお聴きできるときもあるはずで、その日を楽しみに残して、早速その作業を進めてみたい。

今回から数回は、神戸イエス団教会の河野洋子さんのご自宅をお訪ねして、その折にお預かりした資料と写真である。(河野さんは震災のあと、六甲アイランドにお住まいである。2009年9月8日午前10前から午後3時過ぎまでの長時間、お邪魔してしまった。お昼の食事まで戴き、同教会の宮本牧子さんと近藤良子さんにも声をかけて下さり、5時間あまりの時はあっという間であった。)

 さてここでの第1回目は、賀川豊彦が、東京・雲柱社から、昭和26年9月6日に明石の郵便局の受領消印が残り、表に「至急」と書かれた速達便で、「兵庫県明石市西明石大池 イエス団 河野仁様」宛に送られた封筒のことである。

0912121封筒の写真

 この封筒には、中身がない。その次第を少しくメモ書きしておく。 
河野仁さんは洋子さんのお父様で、母・斐子(あやこ)さんと共にイエス団教会のメンバーであった。(次回以降に写真で見ていただく)
河野氏は徳島の出身で、北村徳太郎のご縁とかで戦前NHKで働かれたが、戦時下中国・南京で黒田四郎牧師と過ごされる。敗戦後昭和22年引き上げ、西明石にあったイエス団の広い土地の管理をまかされている。数年後、賀川の親友阪本勝が尼崎市長のとき、尼崎市立の障害者施設や厚生館の責任を担う。

洋子さんの御話によれば、賀川のこの書簡の中身は、賀川が戦後、徳島に教会を建設するために、熱心に土地を探していたが、その目途がつき、すぐにその土地を買うように促しているものだったらしい。
そうして立てられた教会が、徳島の「石井教会」なのだそうである。
洋子さんが、後に記念のため中身だけを石井教会に送り、現在はこの封筒だけがこちらに残されている。

とりあえずこれは、新しく完成した賀川記念館の「賀川ミュージアム」に保管されるが、石井教会で中身と共に保管されるのが良いかも知れない。

  (2009年12月10日鳥飼記す。2014年5月22日補記)



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