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KAGAWA GALAXY 吉田源治郎・幸の世界(1)

前回まで、2009年の「賀川豊彦献身100年事業オフィシャルサイト」に長期連載したひとつ「賀川豊彦のお宝発見」(現在、伴 武澄氏のサポートで http://K100.Yorozubp.com/ で公開中)を、本ブログで「賀川豊彦の畏友・武内勝所蔵資料より」として、補正を加えながら連載をいたしました。

今回からは同様に同サイトに長期連載したものを、ここで再掲しておきたいと思います。うまくできますかどうか。

写真1

   KAGAWA GALAXY
「吉田源治郎・幸の世界」(序)

吉田源治郎は、賀川豊彦と共に歩んだ協働者の特筆すべき人物の一人である。

この『肉眼で見える星の研究』(警醒社書店、大正11年)が源治郎の著作であり、賀川がこれの出版を待ち望み、宮沢賢治がこれを読んで作品に活かしていたことなど、どれだけの人がいま、知っているであろうか。

正直なところ、吉田源治郎といえば、賀川の重要な講演を筆記して『イエスの宗教とその真理』や『イエスの自然の黙示』など多くの著作を仕上げていった人物として、また大阪四貫島セツルメントや西宮一麦教会・甲子園二葉教会の創設者として知っていた程度であった。これまで「吉田源治郎の人と生涯」を語れるような基礎知識は全く持ち合わせていなかった。

ところが不思議なご縁で、本年(2010年)4月、吉田源治郎のご子息・吉田摂氏と一麦保育園顧問・梅村貞造氏のご好意で、「吉田源治郎の世界」に魅せられる事になったのである。

以下本文で、その経緯については書き進めていくが、吉田摂氏が長年にわたり、ご両親「吉田源治郎・幸」夫妻に関する、数多くの著作や資料を収集保存され、一部はご自身で執筆して来られたが、このたびほぼ全ての「お宝」を、当方でお預かりして、ゆっくり閲読を許されることになったのである。

早速「お宝」を読み進めながら、「KAGAWA GALAXY 吉田源治郎・幸の世界」という題を付け、5月1日を第1回として「資料紹介」の形のものを書き始めて見た。

そして昨年の「賀川献身100年記念」の本サイトで「賀川豊彦のお宝発見」(武内勝関係資料)を手助けしてアップ戴いた伴 武澄氏より、今回も引き続いてアップしてはどうかと、ご親切なご提案を戴いた。当方にとってこの上ないお申し出で、伴氏のご好意に甘えさせて貰う事にした。

粗雑な草稿の上に、資料をスキャンする仕方さえ不慣れな、手のかかるものをアップして戴くには気が引けるが、この度もまた天から降ってきたこの楽しい作業を、一歩一歩進めて見たいと思う。勘違いや誤字など多いと思われるが、全てを書き終えた後、改めて推敲を施す予定なので、お手数ながらメール便(torigai@ruby.plala.or.jp)で、ご指摘を宜しくお願い申し上げ、本稿の「序」に代えさせて頂く。
                  (2010年5月22日記す。鳥飼慶陽)



     KAGAWA GALAXY 
「吉田源治郎・幸の世界」(1)

第1回 「お宝:吉田摂氏所蔵資料」との出会い

吉田源治郎先生のお働きに惹かれ始めたのはごく最近のことである。
今年(2010年)2月27日、神戸文学館における公開講座「賀川の文学」で「賀川豊彦の贈りもの」を担当したおり、昨年来「武内勝資料」の解読で助言を頂いている西宮一麦保育園顧問・梅村貞造先生から2冊の著書『吉田先生と私―米寿記念文集』(西宮一麦教会、1979年)、吉田源治郎著『五つのパンと五千人―サモセットの花籠』(コイノニヤ社、1975年)と貴重な数点の関係資料(コピー)を戴いた時からである。まだ2ヶ月ほどしか経っていない。

それにはこんな経緯があった。
実はその10日前(2月17日)である。社会福祉法人イエス団の評議員会が神戸で開催された。数年前から評議員に加わり出席していたのであるが、その日今期を以って監事職を退任される旨、吉田摂(たすく)氏(吉田源治郎先生のご子息)が挨拶をされた。吉田摂氏の隣席の吉田洋子氏も同じく評議員を退任され、その挨拶もあった。

何しろ長い間のもぐら暮らしをしてきて、評議員のお歴々のことも殆どの方とは面識もなく、お二人がご夫婦であることさえ知らなかったが、ご主人の摂氏のことは、戦後早い頃(昭和22年頃以降)関西学院の学生の頃に賀川梅子さんや播磨醇さん、大岸坦弥さん等とご一緒に、神戸市長田区四番町に建てられていた「天隣館」(ここで当時「長田保育所」が開設されていて、斉木ミツル・中野とよの・河野洋子ほかの先生方が活躍しておられた)に学生ボランティアとして参画しておられた中のおひとりであったこと、とりわけ摂氏は、全国にも名を馳せていた「関学グリー」のメンバーで活躍され、かてて加えて賀川と共に歩んだあの「吉田源治郎先生の息子さん」であること、などを耳にしていた。

(長田区番町におけるイエス団の働きの一部については、共同通信の伴武澄氏のお勧めとご援助で、昨年(2009年)末までの「賀川豊彦献身100年オフィシャルサイト」における「賀川豊彦のお宝発見」で95回にわたって紹介することが出来た。それは昨年春に念願であった「武内勝関係資料」をご子息の武内祐一氏のご好意で閲読と公開を許されたためであった。この度の神戸文学館の特別展にも一部公開展示され、さらに過日(4月17日)グランドオープンした「賀川記念館ミュージアム」でも数点展示された。なお、「賀川豊彦のお宝発見」は現在もHPで見ることが可能であるが、「賀川ミュージアム」の中でも閲読が出来る。「武内勝関係資料」の閲読は未だ継続中で「お宝発見」の続編を思案中である。)

評議員会閉会後、吉田摂氏にご挨拶をしてお別れをした後、失礼を省みず後日さらに宝塚のご自宅へ不躾なお電話を差し上げ、「番町へ足を運ばれた若き日の頃のお話を是非お聴きしたい」旨申し出たのである。幸運なことに、摂氏は甲子園二葉教会の役員でもあり、元正章牧師は私の知友であったことと、先にあげた梅村貞造先生とは旧知の仲であるとのことで、急遽4月5日午後、梅村先生のおられる一麦保育園で、元牧師も交え4人でお会い出来る事になった。

私にとっては、賀川豊彦とその仲間たちの働き、中でもこれまで余り明らかでなかった長田区番町における働きの跡を少しでも知っておきたいという願いが当面のことであった。昨年(2009年)10月16日、杉山元治郎研究でも知られる東北学院大学の岩本由輝先生が一麦保育園を訪問されるので来ないかと梅村先生に誘われて、初めて一麦保育園と西宮一麦教会を訪ねたのであるが、誠に迂闊な事に「吉田源治郎先生」に関する積極的な関心は、まだ私の中に芽生えてはいなかった。

ところが今回、摂氏のお話を聴くために、梅村先生から寄贈を受けた先の2冊に併せて、10年以上も前に寄贈されていた西宮一麦教会『五十年の歩み』(1998年)を改めて紐解いてみたのである。

30頁余りの貴重な「年表」(前史1926年~1946年を含む)にも注目させられたが、梅村先生が長い間大切に保存しておられた録音テープ―1967年3月19日の創立20周年記念礼拝にける吉田牧師の説教「前進する教会」―が21年ぶりに文章化され、それが「特別寄稿」の形で記念誌の巻頭に収められていた。

吉田源治郎牧師のことは、賀川が1920年(大正9年)に出版した『イエス伝の教へ方』(日曜世界社)をはじめ、多くの賀川の作品を筆記して作品化した人物としては知っていたが、吉田先生の全体像が掴めていなかった私には、「前進する教会」と題する14頁に及ぶこの説教に接して、「吉田源治郎の世界」を一歩ずつでも探訪したくなったのである。

この説教には、日本農民福音学校(昭和2年)のこと、一麦保育園(昭和7年)のこと、大阪の四貫島のこと、戦火で自宅まで消失したこと、馬見・榛原・三方・但馬などの伝道のこと、そして西宮一麦教会のこと、賀川葬儀での先生による「告別の言葉」などにも触れられていて、文章として残されている先生の説教を読んで見たくなっていた。

そんな思いを抱きながら4月5日を迎えたのである。
この時は、時の経つのも忘れて、何と3時間近く及ぶ語らいが続いたのである。

昔の「一麦寮」の写真等見ながら、吉田家と武内家がここで共に過ごされていた頃のこと、新川のイエス団や長田の天隣館に出かけていたこと、母・幸(こう)さんのことや兄姉のこと、父の主著『肉眼で見る星の研究』と宮沢賢治のこと、父とシュバイツァーのこと、父の米寿のお祝いのときのこと、大正7年の父の著作『児童説教』のこと、二葉教会のオルガンのこと、ライカー宣教師のこと、共益社の間所兼次のこと、ラクーア伝道のこと、ご自身の関学グリーのあれこれのことなど、次から次へ話が弾んだ。この時の記録は、お許しを得て収録も出来ているが、有難いことにこの時、摂氏がこれまでこつこつと時間をかけて収集された関係資料や写真などを持参され、その中の大切な幾つかのものをお譲り戴いたりもしたのである。

さらに加えて4月26日にも再度、摂氏が一麦保育園に足を運ばれ、梅村先生と元牧師共々4人で、二度目の語らいの機会を持って頂いた。そしてこの時は、第1回目の時の数倍にのぼる大量の、関係する図書資料を持参され、ひとつひとつ説明を加えて戴いた。そしてその上に、貴重な資料をすべてお貸し戴いて、暫くの間閲読を許されることになったのである。この時の語らいの様子も収録されているが、摂氏が持参された所蔵資料は、次の通りである。要返却分と受贈戴いたものと分けてリストを作ってみた。

吉田摂氏所蔵資料
2010年4月26日にお借りした関係資料(要返却)

吉田源治郎著作
1 「児童説教」 日曜世界社、大正7年 (本書のみ梅村氏より借り受け)
2 「宗教科学より身たる基督教」 警醒社書店版 大正14年
   本書には付録として「シュワイチェルの<原生林の片隅にて>を読む」がある
3 「新約外典の話」(聖書物語文庫24巻) 昭陽堂書店 昭和3年
4 「勇ましい士師達」(聖書少年文庫6) 新教出版社 昭和32年

吉田源治郎論文
「『愛餐』の研究」(「雲の柱」昭和6年2月)コピー
「又逢ふ日迄」(故吉田なつえの思ひ出、大正6年)コピー

教会・幼稚園等記念誌
「保健婦事業十年を回顧して」(日本看護協会保健婦部会、昭和21年)コピー
「基督教保育連盟関西部会創立五十周年記念誌」(1965年)
「創立25周年を記念して」(日本キリスト教団西宮一麦教会、昭和48年)
「四貫島セツルメント創設五十年記念 四貫島友隣館・大阪四貫島教会・天使保育センター 五十年のあゆみ」(四貫島友隣館、昭和50年)
「兵庫県幼稚園教育100周年記念誌」(1976年)
「先輩社会事業家の文集 足跡 あとにつづくもののために」(大阪府社会福祉協議会従事者部会、昭和56年)
「ときわ七十年史」(常盤幼稚園、1987年)
「四十年の歩み」(日本基督教団西宮一麦教会、1988年)
「続・キリスト教保育に捧げた人々」(基督教保育連盟、1988年)
「流れのほとりで」(日本キリスト教団大和榛原伝道所40年記念誌、1993年)
「神の愛に生かされて―米田純三牧師召天記念文集」(日本基督教団吐田郷教会、1995年)
「大阪の社会福祉を拓いた人たち」(大阪の民間社会事業の先輩に感謝する会、1997年)
「明治学院歴史資料館資料集」第2集「明治学院九十年史」のための回想録」(明治学院歴史資料館、2005年)
「伊勢の教会・山田教会の歴史1」(日本基督教団山田教会、2005年)
「伊勢の教会・山田教会の歴史2」(日本基督教団山田教会、2006年)
「創立50周年記念誌」(野本基督教団播磨新宮教会、2007年)

新聞・雑誌・機関誌など
「基督教家庭新聞」(第20巻第1号~第12号合冊、日曜世界社、昭和2年)
「クリスチャン・グラフ」(1978年7月、384号、クリスチャン・グラフ社)
「愛と希望・クリスチャン・グラフ」(1980年2月、403号、クリスチャン・グラフ社)
「クリスチャン・グラフ」(1984年4月、450号、クリスチャングラフ社)
「復興に向けて:阪神・淡路大震災の記録」(西宮市、1995年)

著書
草下英明著「宮沢賢治と星」(宮沢賢治研究叢書1)(学芸書林、1975年)コピー
二葉薫著「子供の歌」(日曜世界社、昭和15年)
二葉薫著「子供の歌:第弐輯」(日曜世界社、昭和18年)

論文
高木謙次「内村鑑三と吉田源治郎」(『高木謙次選集第1巻』)コピー
椚山義次「内村鑑三と天文学」(「内村鑑三研究」第35号別刷り(2001年3月)
栗原直子「賀川豊彦の自然教育理解とそのキリスト教保育への影響」(教育学修士論文、2000年)
栗原直子「賀川豊彦の『死線を越えて」の保育学的分析-スラムの子どもを中心に」(「乳児保育学研究」第10号、2001年)

その他コピー資料
三重県立第四中学校校友会「校友」第14号(大正2年)
三重県立第四中学校校友会「校友」第15号(大正3年)
内村鑑三と吉田ナツエ・源治郎関連4枚(大正6年)
「雲の柱」吉田源治郎関係8大正11年、昭和2年)
「雲の柱」吉田源治郎関係(大正14年、昭和13年)
「雲の柱」吉田源治郎関係(昭和4年)
公衆衛生訪問婦協会に就いて(社団法人朝日新聞社会事業団)(昭和5年)
関西冬季福音学校―昭和7年1月2日~4日(「雲の柱」昭和7年2月20日号・84号)
朝日新聞社会事業団公衆衛生訪問婦協会第三周年・第四周年・第五周年事業報告(昭和11年~13年)
村島帰之「賀川先生と羅府の友」(「賀川研究」第2号、昭和23年12月)
流域-創設40年記年号(流域社、昭和40年)
但馬の吉田先生(西宮一麦教会「吉田先生と私」1979年)
朝日新聞大阪厚生文化事業団五十五年のあゆみ「先駆」(昭和59年)
吉田幸「賀川ハルと私」(「火の柱」463号、1987年5月号)
天沢退二郎「宮沢賢治と「恋」・「こひびと」の謎」(日本経済新聞、1989年11月12日付け
尾西康充提供資料(「大阪労働運動史」「ペスタロッチの言葉」2005年)
ここに教会がある「但馬日高伝道所」(「信徒の友」掲載年月未確認)

小川敬子記録分
「伊勢の思い出」(記録年未確認)
「小川敬子履歴」(2007年4月)
「北港児童館についての思い出」(2007年4月)
「四貫島友隣館(セツルメント)における乳幼児保健についての働き」(2007年4月)
「吉田なつえ(吉田源治郎妹)」(2007年4月)

その他
「石の教会・内村鑑三記念堂」(2004年夏期特別礼拝)
「系図・内村鑑三」
 

吉田摂氏より受贈図書資料
図書
「甲子園二葉幼稚園八十年史」(創立80年記念日、2003年12月2日)
「創立五十周年記念誌 恵みの旅路」(日本基督教団馬見労祷教会、1999年)

書簡
賀川豊彦から吉田源治郎宛AIR MAIL(1950年2月28日)コピー
賀川豊彦から吉田源治郎宛AIR MAIL(1950年7月11日)コピー
ローガン夫人より吉田源治郎宛AIR MAIL(1950年8月4日)コピー

写真
吉田源治郎夫妻はじめ16葉

履歴書
吉田源治郎(自筆)
吉田幸(自筆)
吉田こう(「功績調書」も入る叙勲のため提出分)

大型色紙
故吉田幸先生 卒園生代表 勝部寛二 コピー

和紙毛筆書
今津二葉教会建設経過報告 建築委員代表 庄ノ昌士 コピー

吉田源治郎研究
岡本榮一「吉田源治郎―妻幸、賀川豊彦との出会い、そして人となりなど」(日付なし)
岡本榮一「吉田源治郎先生を中心とした四貫島友隣館の年表」(日付なし)

共益社・間所兼次関係
「有限責任購買組合専務理事 故間所兼次略歴」コピー
「故間所謙次兄を偲ぶ」コピー
「大阪毎日」昭和6年6月5日から4回連載「消費組合巡り」コピー
「有限責任購買組合共益社」(産業組合調査資料50「消費組合経営事例第弐輯」より)コピー

その他コピー
三重県立第四中学校校友会「校友」第15号(大正3年)
山本進「吉田源治郎牧師の思い出」(「天界」1984年8月)
「吉田源治郎」(「紀伊半島近代文学事典:和歌山・三重」裏西和彦・半田美永編、和泉書院、2002年)
原恵「星の本との出会い」(「本のひろば」1984年3月)
宮沢賢治と吉田源治郎にふれる箇所(「内村鑑三研究」掲載号未確認)
吉田源治郎自筆「吉村静枝推薦の理由」コピー

 上記の図書資料は大量でとてもひとりで持ち帰りは困難であったので、摂氏は自家用車で直々に神戸長田の我が家まで送り届けることまでして戴いた。そして途中、甲子園二葉幼稚園と教会にも立ち寄って案内して貰い、期せずしてここも初めて見学することも叶ったのであった。この日は何もかもが思いも掛けないことであった。

 こうしてここ数日間、楽しみながら資料を眺め、上記借用図書資料の関係部分のコピーをすすめてきた。本日は2010年5月1日である。

吉田摂氏は、お借りした資料(『四貫島セツルメント創設五十年記念 五十年のあゆみ』(昭和50年))の表紙に、鉛筆書きで次の言葉を書き込んでおられた。

        連綿と
        流れ続く
        賀川流域

        カガワ ギャラクシー
        銀河

        一つ一つの輝く星で
        大銀河が作られる

多くの大切な資料をお借りして、これをどのように活かすことが出来るのかを考えながら作業を進めていたが、摂氏のこの書き込みの「カガワ ギャラクシー」に目が留まり、このレポートの表題を<「KAGAWA GALAXY 吉田源治郎・幸の世界」>として見ようとタイトルも定まった。

パソコンで文章は入力できても写真等の挿入の仕方さえ分からなかったが、巻頭に吉田源治郎先生のサイン入り写真を戴いたので収めて見た。摂氏のコメントには「オーボルン神学校卒業の頃」とある。源治郎33歳、1924(大正13)年のものである。

吉田顔

昨年の「武内勝資料」を「賀川豊彦のお宝発見」にも似たものになるかも知れないが、「吉田源治郎の世界」を少々気儘な取り上げ方で私的断章風に進めて見たいと思う。今回も「武内資料」と同じく天来のお宝が届けられたもので、私にとっては眼を白黒させながらの手探り状態のまま、「探訪の旅」に出かけることになる。

      (2010年5月1日 鳥飼慶陽) (2014年6月5日補正)


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