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KAGAWA GALAXY 吉田源治郎・幸の世界(2)


1写真

四貫島セツルメント:前列右端が吉田源治郎(吉田摂氏提供)


第2回 岡本榮一氏の労作
    「吉田源治郎先生を中心とした四貫島友隣館の年表」
 

前回(第1回)では、「KAGAWA GALAXY 吉田源治郎・幸の世界」を訪ねる旅に出ることになった不思議な経緯を、少しく忘備録風に書きとめて見た。ここでは、前回紹介できなかった岡本榮一氏の労作「吉田源治郎先生を中心とした四貫島友隣館の年表」について記して置きたいと思う。

第1回の冒頭、梅村貞造氏より本年(2010年)2月27日、吉田源治郎関係の図書と諸資料を戴いたことが、事の始まりであったことに触れた。実はその中に、標記の「年表」も含まれていたのである。

これは「四貫島友隣館の年表」であるが、吉田源治郎が1984(昭和59)年1月8日、92歳の生涯を終え、夫人の吉田幸が1991(平成3)年11月20日、94歳で召されるまでの年表が刻まれており、末尾の「参考文献他」を見ても、多くの資料を渉猟されて作られた力作であった。資料のほかに聞き取りを重ね、2006年の時点で纏められたものである。
 
その後4月5日、吉田摂氏との最初の会合の折には、岡本栄一氏の論文草稿「吉田源治郎―妻幸、賀川豊彦との出会い、そして人となりなど」(A4で11頁分)も戴いた。

この「論文草稿」は、1「吉田源治郎の足跡概観」、2「源治郎の著書・性格・趣味など」、3「源治郎と二葉幼稚園・二葉教会」、4「源治郎と一麦寮・一麦教会」、5「源治郎と馬見労祷保育園・教会」の順に書き進められており、「年表」のタイトルにある「四貫島友隣館」を含む総括的な「吉田源治郎研究」の構想となっている。

この「論文草稿」は未完成であるが、いずれ完成されて公表されることが期待されるので、とりあえずここでは「年表」を添付させて頂くことにする。

「年表」も甲子園二葉幼稚園・甲子園二葉教会、一麦寮・一麦保育園・西宮一麦教会なども含めて、「吉田源治郎・幸夫妻の関係年表」のようなものを仕上げて見る必要があるが、この「年表」が唯一のものであるので、貴重である。

残念ながら「年表」の文字が小さく、手元のスキャンでこれをうまく取り込めるかどうか分からないが、試みて見る。

年表1
年表2
年表3
年表4
年表5
年表6
年表7

岡本榮一氏によるこの二つの労作―「年表」と「論文草稿」―を吉田摂氏から戴いた後、賀川豊彦記念・松沢資料館の研究紀要「雲の柱」、本所賀川記念館の「賀川豊彦研究」、「賀川豊彦学会論叢」などに目を通しているうちに、是非一度、岡本氏に直接お会いしご教示を受けたくなった。そして去る4月21日には、吉田摂氏から岡本氏へわざわざ私の意向を伝えて頂き、早速23日午後、指定いただいた大阪ボランティア協会で、初めての面談が実現したのである。

岡本氏は、大学のお仕事のほかボランタリズム研究所所長や大阪ボランティア協会参与など、超ご多忙の中を1時間余りも時間を頂いて「吉田源治郎」のことについて情熱をこめて語って戴いた。お話の中でも初耳だったのは、昭和6年であったか、中村遙氏が「大阪水上隣保館」を創設するとき、その働きを促した人が吉田源治郎先生であったのだそうである。

岡本氏が、若き日に自らも参画され、その歴史を纏められた『大阪キリスト教社会館45年のあゆみ』(1996年)を後日お送りいただいたが、同封されたお手紙の中には「例の論文を仕上げねば、と思ったことでした」と書かれていた。
「吉田源治郎研究」を初めて手がけられた岡本榮一氏の労作を楽しみお持ちしている。そしてこれを機縁に新しい賀川記念館での「賀川講座」にご登場いただくというのもどうであろう。

当日岡本氏から戴いた資料のひとつ「吉田源治郎をめぐる団体・施設関係図」を最後に紹介して置きたい。

関係図

     (2010年5月3日 鳥飼慶陽) (2014年6月6日補正)


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