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KAGAWA GALAXY 吉田源治郎・幸の世界(3)

表紙

  第3回 吉田源治郎の著書・論文・随筆など
    (含・賀川豊彦の講演を筆記して仕上げた著書)

 「吉田源治郎・幸の世界」は、21世紀に生きる私たちに何を告げ知らすのであろうか。

吉田摂氏との出会いを機縁に、梅村・岡本両氏のよき道案内が用意され、摂氏がこつこつと収集され、ご自身で執筆して来られた大切なお宝「吉田源治郎関係資料」の大半を、こうしていま閲読を許されることになったのであるが、この時まで、吉田源治郎牧師のことは、賀川豊彦の講演を筆記して著作に仕上げてこられた方として注目していただけで、御著書を1冊も読み通してはいなかったのである。

例えば、今日の宮沢賢治の研究者なら、賢治が読んだ書物のひとつに源治郎の代表作の1冊『肉眼に見える星の研究』(警醒社書店、大正11年)が存在したことは常識のようであるが、私はその本の存在することさえ知らなかったのである。

ところが、不思議と言えば不思議なことであるが、探訪の旅をスタートさせた矢先に、現在では入手が殆ど困難と言われる本書の初版本を、幸運にも古書店で見つけることが出来たのである。表紙カバーが欠けていているのが残念であるが、本文370頁で10頁の索引があり、多くの星図と二つの大型の星図の挿入まである、本格的な上製本であった。

そこで第3回の今回は、第1回で手元に届けられている吉田摂氏所蔵の図書資料のリストを上げ、第2回で岡本榮一氏の労作「吉田源治郎関係年表」を紹介したので、標記のように「吉田源治郎の著書・論文・随筆など」の現在確認できている限りのリストを、纏めて置きたいと思う。

恐らく多くの作品が未発見のまま埋もれていると思われるが、数日前入手出来た古い雑誌『子供の教養』(昭和14年11月号)には、源治郎の11頁分の論文「保育に於ける自然研究」が収められていたが、源治郎の執筆した論文や随筆、さらにコラム記事等を探せば、大量なものになると思われる。

というのも、この度摂氏からお借りした資料の中に『基督教家庭新聞』(日曜世界社発行、西阪保治編集発行人、第20巻第1号~第12号の1年分の合本)があった。今回の巻頭に『合本』6月号の表紙を収めたが、この1年分を見るだけでも、今号で取り出して見たように、源治郎の作品が相当多数登場していることが判る。

『基督教家庭新聞』はA4版で34頁立ての本格的な月刊雑誌で、広く読者を獲得していたのでないかと思われる。大阪に拠点を置く「日曜世界社」で、賀川豊彦とその仲間たちの、それこそ「KAGAWA GALAXY」の交流の広場となっていたのではないかと想像させられた。『日曜世界』という出版物もあったようであるが、「日曜世界社」の刊行物のすべてに目を通せば、お宝が満載であるのかもしれない。

この新聞が何時から何時まで発行されていたのか未確認であるが、この『合本』は昭和2年の第20巻であるから、明治の終わり頃から出ていたのであろうか。

  吉田源治郎による賀川豊彦の講演筆記

賀川がプリンストンへの留学を終え帰国して以後、吉田源治郎は賀川の講演を筆記し、それを正確に纏め上げたことを賀川が知り、吉田のその抜群の才能に驚いたようである。

吉田は賀川より3歳年下でほぼ同年輩であるが、明治学院の後輩でもあり、二人の関係は相互に深い信頼関係を強めながら、次々と賀川の講演を記録して、見事に著作にまで仕上げてきたのである。

賀川の著作の中でも特に印象深い著作に『イエスの宗教とその真理』がある。
本書は、大正10年に警醒社書店から刊行され、広く外国語にも翻訳され、読み継がれているが、賀川は「傷つけられたる魂にイエスの言葉は恩(めぐみ)の膏(あぶら)である。それは温泉の如く人を温め 噴水の如く力づけてくれる。」という、よく知られているあの書き出しの「序」を記しているが、その中に、吉田源治郎のことに触れて、次のように書いている。
二人は「兄弟のやうにしている」「善き友人」であることを、詩的な言い回しで謝意を表しているので、ここで紹介しておこう。(引用であり、点のない部分は原文のまま)

「私はイエスによって無数の友を 貧しき人の中に得た。無数の愛人を労働者の中に得た。イエスによって妻も得た、イエスによって最もよき親友を得た。学問も、書物も、何もかも イエスが 私に与えてくれた。
わたしは 殆どイエスの為めに 何もした覚えが無い。然し イエスは私に凡てを与えてくれた。
そして イエスを味ふているその味ひ方を偶々各方面の人が聞かせてくれと云われるので 話をした。東京でも 大阪でも神戸でも 堺でも同じことを話した。そしてまだ多くの人が それを聞きたがっている。
それで 私の善き友人達は 今度は それを一冊の書物にしたいと云い出した。そしてその中でも兄弟のやうにしている伏見教会牧師の吉田源治郎兄は私の談話を全部筆記してくれた。
それは 私には光栄である。吉田兄は既に私の書物を三冊まで筆記してくれた。吉田兄は此年一年は殆ど私の為めに犠牲にしてくれた。それで私はどんなに吉田兄に感謝してよいか知れない。然し 世に産れ出る必要のあるものならば産れ出ることは善いことである。
それで喜んで私は「イエスの宗教とその真理」を世に送り出すのである。」(6~7頁)

人の言葉は、小さなコラムのようなものも含めて、面白くて大切なものである。歴史的な場があって、言葉として産み出しされたお宝である。以下のリストは全く不完全なものであるが、今後の「吉田源治郎研究」に備えての一応の下準備に過ぎない。間違いもあると思われるので、補正され補充されていくことを期待している。

  吉田源治郎の著書・訳書
  著書(多くの著作は装丁を改めるなどして版が重ねられている)

『児童説教』(日曜世界社、大正7年、195頁)
『肉眼に見える星の研究』(警醒社書店、大正11年、380頁余)
『新約外典の話』(聖書物語文庫24巻)(昭陽堂書店、昭和3年、165頁)
『心の成長と宗教教育の研究』(日曜世界社、昭和6年、222頁)(未見)
『肉眼天文台の印象』(岡本榮一氏によれば、本書は、山本一清氏の案内でヤンキ
ーズ天文台を1924年に訪問したときの旅行記として『天界』(東京天文台報)に連
載されたものを纏めたものとコメントされているが未見)
『勇ましい士師達』(聖書少年文庫6)(新教出版社、昭和32年、159頁)
『五つのパンと五千人―サモネットの花籠』(コイノニヤ社、1975年、113頁)
そのほか

訳書
アルベルト・シュワイチェル著『宗教科学より見たる基督教』(警醒社書店版、大正
14年、137頁)(付録として吉田源治郎の「シュワイチェルの「原生林の片隅にて」
を読む」という40頁に及ぶ論文が収められている)ほか。

  賀川の講演を筆記して仕上げた著書

『イエス伝の教へ方・附少年宗教心理』(日曜世界社、大正9年、201頁)
『イエスの宗教とその真理』(警醒社書店、大正10年、264頁)
『聖書社会学の研究』(日曜世界社、大正11年、309頁)
 (本書の「序」には「この書物の出来たのは、また伏見の吉田源治郎兄の御蔭で
ある。私はもう少し詳しく自分に(まま)書きたかったが、急しい貧民生活と労作の
中にとても自分に書き下す暇が無いので、兎に角、私が信ずるところを大阪の日
曜学校教師会に述べたのであった。それを吉田兄は筆記してくれて一冊の書物
にしてくれた。茲に私は吉田兄に心より感謝の意を表するものである」と賀川は記
している。)
『人間として見たる使徒パウロ』(警醒社書店、大正11年、254頁)
『神による解放』(警醒社書店、大正15年、221頁)
『キリスト一代記の話』(日曜世界社、昭和2年、115頁)
そのほか

  吉田が他の人と共同して仕上げた賀川の著書

『イエスと人類愛の内容』(警醒社書店、大正12年、285頁)
『イエスと自然の黙示』(警醒社書店、大正12年、247頁)
『残されたる刺―逆境への福音』(日曜世界社、大正15年、102頁)
『暗中隻語』(春秋社、大正15年、411頁)
『人類への宣言』(警醒社書店、昭和3年、511頁)
『殉教の血を承継(うけつ)ぐもの』(日曜世界社、昭和4年、172頁)
そのほか

  吉田源治郎の論文・随筆(説教・翻訳論文を含む)
『雲の柱』寄稿
執筆者リスト掲載分
 吉田摂氏提供のコピーの中のもので、これは松沢資料館で纏めておられる「資料・
「雲の柱」執筆者リスト」ではないかと思われる。1922年1月号から1940年6月ま
での61本にも及ぶ吉田源治郎の論文である。

1史料
史料2
史料3
史料4

  そのほか「雲の柱」へ吉田が寄稿したもの

「米国からの書簡の一部」(「雲の柱」大正14年5月)
「四貫島より」(「雲の柱」昭和2年)
「大阪四貫島セツルメント 工場街の日曜学校」(「雲の柱」昭和4年)
「国産服は新しき言葉を語る」(「雲の柱」昭和4年)
「四貫島のこのごろ―セツルメント運動の近況」(「雲の柱」昭和4年)
「四貫島セツルメント ことしの夏期事業の概況」(「雲の柱」昭和4年)
「四貫島セツルメントの宗教運動の近況―大阪イエス団を中心として」(「雲の柱」
昭和4年)
「大阪雑記」(「雲の柱」昭和13年)2回分

  「基督教家庭新聞」に吉田が掲載した作品

昭和2年分
第20巻第2号(昭和2年2月号)
「母の為の講座-第一講子供の性格の話」
「サモネット:良心の再生」
第20巻第3号(昭和2年3月号)
「サモネット:べテル」
第20巻第4号(昭和2年4月号)
「イースター研究」
「サモネット:新約の福音」
第20巻第5号(昭和2年5月号)
「魂の聖地」
「サモネット:エリヤの外套を持つもの」
第20巻第6号(昭和2年6月号)
「神聖への上進」
第20巻第7号(昭和2年7月号)
「その足跡(チャルス・エム・シェルドン長編宗教小説)」
第20巻第8号(昭和2年8月号)
「その足跡(チャルス・エム・シェルドン長編宗教小説)」
第20巻第9号(昭和2年9月号)
「その足跡(チャルス・エム・シェルドン長編宗教小説)」
第20巻第10号(昭和2年10月号)
「その足跡(チェルス・エム・シェルドン長編宗教小説)」
第20巻第11月号(昭和2年11月号)
「み足のあと(対話)」
第20巻第12月号(昭和2年12月号)
「クリスマス天文「その星」の研究」
「サモネット:世の光の如く」
昭和?年分
第33巻第2号
「ドイツの皿洗ひ女学校に学ぶ」
その他に寄稿した作品
「我心高原にあり」(「校友」第14号、大正2年所収)
「又逢ふ日迄―故吉田なつえの思ひ出」大正6年
「隣保事業の立場からみて」1933年(「朝日新聞社社会事業団 公衆衛生訪問婦
協会第三周年事業報告」昭和9年所収)
「キャンプの歌」1934年(「朝日新聞社社会事業団 公衆衛生訪問婦協会第4周
年事業報告」昭和10年所収)
「ナアセリー・スクール運動を語る」1934年(「朝日新聞社社会事業団 公衆衛生
訪問婦協会第五周年事業報告」昭和11年所収)
「保育に於ける自然研究」(「子供の教養」昭和14年11月号)
「山村に隠れた信仰美談・わが恵汝に足れり」(「キリスト新聞」1958年、「米田純三
牧師召天記念文集・神の愛に生かされて」1995年所収)
「命の木はまだ残されている」1961年(「西宮一麦教会四十年の歩み」1988年所収)
「幸福への招待」1961年(「西宮一麦教会四十年の歩み」1988年所収)
「あのころの明治学院」1966年(「明治学院歴史資料館資料集―第2集」2005年
所収)
「前進する教会」1967年(「西宮一麦教会 五十年の歩み」1998年所収)
「生ける神を慕う―創立25周年記念礼拝説教」(「西宮一麦教会 創立25周年を記念
して」1972年所収)
「”死線を越えて“ゆかりの地に建つ賀川記念館」(「クリスチャン・グラフ」賀川豊彦生誕
九十周年特集 1978年7月号所収)
「祈りはいかにあるべきか」甲子園二葉教会での説教、年代不詳(「甲子園二葉教会・
創立五十周年記念誌」1991年所収)

   (2010年5月6日記す。鳥飼慶陽)(2014年6月7日補正)

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