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KAGAWA GALAXY 吉田源治郎・幸の世界(7)

1写真
  共立女子神学校卒業式 1917(大正6)年6月22日)
  間所幸は前列左より3人目。2人目は賀川ハル

 第7回 間所幸(こう)と賀川ハルーー共立女子神学校時代
 
第5回「明治学院時代の源治郎」で見たように、23歳になっていた源治郎は、1914(大正3)年4月から1918(大正3)年3月までの4年間、明治学院に於ける学徒であった。その間に、愛する妹なつゑの死去という悲しい出来事を経験したことは、前回触れた通りである。

一方、今回取り上げる「間所幸」については、既に第4回で彼女の少女時代のこと等に少し触れ、幼稚園の教師になることを憧れていた彼女は、家庭の経済的な事情のためにその夢は果たせず、「共立女子神学校ならお金がいらない」と教えてくれた「吉田先生」の助言を胸に、この神学校への進学を決意した経緯など記しておいた。

源治郎と幸は、生まれた場所もそれほど離れた場所ではなく、しかも少年少女期から同じ教会に通い、6歳年上の源治郎は日曜学校の教師、幸はその生徒という関係でもあった。

そしてふたりは、ほぼ時を同じくして、伊勢の故郷を後にするのである。源治郎は東京の「明治学院」へ、幸は横浜にある「共立女子神学校」へと希望に燃えて、青春の学びの時を迎える事になった。

2写真
幸の学んだ「共立女子神学校」

ところで、多くの婦人伝道者、牧師夫人を輩出してきたといわれる「共立女子神学校」とはどのような学び舎であったのであろうか。下の写真は、幸が在学していた頃の神学校の寄宿舎である。以下の年表はインターネット情報ではあるが、およそのことは判るであろうか。

1871(明治 4)年 米国婦人一致外国伝道協会より宣教師として派遣されたプライン、クロスビー、ピアソンが来日し、横浜山手48番に学園の前身であるアメリカン・ミッション・ホーム(亜米利加婦人教授所)を創立。女子教育および混血児養育を開始。
1872(明治 5)年 山手212番地(現在地)に移転。校名を日本婦女英学校と改称。
1875(明治 8)年 校名を共立女学校と改称。
1881(明治14)年 ピアソン・偕成伝道女学校を設立。
1907(明治40)年 偕成伝道女学校を共立女子神学校と改称。
1923(大正12)年 関東大震災により共立女学校が全焼。
1931(昭和 6)年 創立60周年。W.ヴォーリズ設計の本校舎(現存)と体育館竣工。

間所幸がここを卒業したのは「第15回卒業」となっているが、上記の年表とうまく符合しない。ともあれ、幸にとってこの学び舎で、その後の生涯を決定付ける大きな出会いが起こるのである。

   賀川ハルと同クラス・寄宿舎も同じ!!

源治郎が明治学院に入学した1914(大正3)年、同じ年に賀川豊彦は米国プリンストン大学へ留学したことは、既に記した通りであるが、周知の如く、豊彦とハルはその1年前(大正2年5月)、神戸の葺合新川の「救霊団」の長屋の一室で、結婚家庭をスタートさせていた。
 
豊彦の3年間の米国留学中、「救霊団」(留学前に「イエス団」と改称)は、武内勝たちに全て任せ、ハルはその間を横浜の神学校での研鑽の時に当てたのである。

1991(平成3)年に緑蔭書房で刊行された『賀川豊彦初期史料集 1905(明治38)年~1914(大正3)年』の中には、表紙に「大正三年 重要日記」と書かれた、原本を縮小した史料がある。2月15日頃までは豊彦が、その後はハルが書くという、大変珍しい「夫婦の日記」で、特にハルにとって、内容的には「祈りの日録」である。

重要日記

この日記は、賀川夫妻の新婚家庭の日記としても面白いものであるが、豊彦が米国留学を決めたこの年は、その資金を自前で準備する必要もあって、『貧民心理学』の執筆にも精力的に打ち込み、ハルがその仕上げに協力している様子も伺われる。この労作はしかし、留学前の刊行には至らず、留学中の1915(大正4)年11月に『貧民心理之研究』と名付けられ警醒社より出版された。

昨年(2009年)、「武内勝関係資料」の閲読の折、『初期史料集』に収められていたこの「重要日記」の原文を読む機会があったが、同年7月には、待望の『賀川ハル資料集』全3巻が『初期史料集』と同じく緑蔭書房より刊行され、その第1巻にこの「重要日記」が活字化されて入り、加えてそこに「横浜共立女子神学校関連資料」も集められていたのである。

「重要日記」には、1914(大正3)年9月5日、共立女子神学校で学ぶため、ハルが神戸を出発、「9月10日 木曜 朝学校に行く。プラット様に会ふた。月曜日からだそうだ」、「9月21日 月曜 共立女子神学校へ来た・・1ノ棟の2階にいく。和田、間所、佐藤、近池姉と話す・・」などと12月30日までの記載がある。
「プラット様」とは、在校当時の校長で、この写真は『賀川ハル史料集』に入れられているものである。

写真女性の顔

同じくこの『資料集』には、彼女たちが学んでいた珍しい「授業風景」の写真(これは『賀川豊彦写真集』にも入っている)と寄宿舎でハルと同室となったという4人の写真も収められている。「授業風景」の説明書きに「後列左端・ハル」とあるが、間所幸はどれであろうか。(前列の左から2人目であろうか?) 

教室風景

4人同室の

写真の説明書きには「寄宿舎の同室の人達(前列左・ハル)大正6年3月10日」とある。前列左がハルであることは誰にでも判るが、同室で学んだといわれる間所幸はどれであろうか。(後列の左の人がそうなのではないかと思われるがどうであろう?)

ところで、下の「第15回卒業生名簿(16名)」は「共立女子聖書学院同窓会(野ゆり会)共立記念誌委員会「横浜山手二二一」1975年」のものを『賀川ハル史料集』に入れたれたもので「旧姓」も添えられている。入学の時はクラスの中ではハルだけが既婚者であったらしい。

名簿卒業生

この名簿の中に「佐藤」の姓が3人あるが、旧姓「浜田」の「佐藤きよ」については、昨年の「賀川豊彦献身100年事業オフィシャルサイト」で「賀川豊彦のお宝発見」として連載した第71回目で「佐藤一郎のパートナー・佐藤きよ」に短く触れることができたので、参照頂ければ有難い。

「佐藤きよ」は山形の出身であるが、この神学校でハルと出会い、神戸におけるハルたちの働きに感銘を受け、新しい天与の生きる道を見出し、卒業後すぐ神戸のイエス団の一員として住み込み、生涯を貫いてこの地域の人々と共に仕えて生きた女性である。

    幸の「共立女子神学校時代の思い出」ふたつ

間所幸は、1917(大正6)年6月、共立女子神学校における3年間の学びを終え、賀川ハルらと共にめでたく卒業の時を迎える。今回の冒頭に掲げた写真が、6月22日の卒業式の記念写真である。

卒業証書を手にして写されたこの美しい晴れ姿は、もちろん間所幸である。

一人写真幸の

追って辿るように、卒業してちょうど2年後の1919(大正8)年6月、彼女は、既に京都伏見東教会の牧師に就任していた吉田源治郎と結婚し、ここからふたりの祝福された「一筋の道」が始まっていくのであるが、吉田幸が最晩年に書き残している「賀川ハル夫人と私」(「火の柱」1987年5月号)と、第4回で取り上げたことのある、1982年2月、西宮一麦教会の礼拝で立証した「思い出」に語られた記録(西宮一麦教会『四十年の歩み』所収)と、貴重なふたつが残されているので、関係する箇所を以下に紹介して置く事にする。


    吉田幸の「共立女子神学校に於けるハル先生との思い出」

幸の想い出の文章1


文章ハルと私
    
続きハルと私文章の

賀川豊彦の米国留学から帰国して神戸に戻るのは1917(大正6)年5月であった。
下の写真も『賀川ハル史料集』にあるもので、「共立女子神学校第15回卒業式を終えて(大正6年講師として出席した豊彦と右はプラット校長。豊彦の前中央・ハル)」と説明書きがある。

賀川卒業式の

豊彦はハルの卒業を祝して横浜に出かけたその機会に、学校側は賀川の帰朝土産の講演を依頼したのであろうか。賀川は颯爽と蝶ネクタイとハイカラーの正装で洒落込んでいる。この時の演題は判らないが、さぞ生気溢れる素晴らしいお話であったに違いない。

      付録:ハルよりアメリカの豊彦宛書簡

最後に『賀川ハル史料集』第1巻「横浜共立女子神学校関係史料」より「ハルよりアメリカの豊彦宛書簡」2通を、付録として収める。ハルの2回生並びに3回生の時のものである。

ハルの賀川への書簡

ハルの賀川への書簡つづき

続くハルの賀川への書簡の続きの

続きの続きの続きハルの賀川への書簡の


 次回、第8回は源治郎と幸の、京都での新しい生活が始まるところを訪ねて見たい。
  
  (2010年5月21日記す。鳥飼慶陽)(2014年6月12日補正)

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