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KAGAWA GALAXY 吉田源治郎・幸の世界(12)

     購買組合の写真

  第12回 「間所兼次」と購買組合共益社(2)  
     「大阪毎日新聞」と「産業組合中央会」資料から

上の写真は「購買組合共益社」(吉田摂氏所蔵、年代不詳)である。

前回に続き「間所兼次」の活躍した「共益社」を取り上げるが、大変貴重な資料として大阪毎日新聞が「消費組合巡り」という連載を行い、1931(昭和6)年6月5日より9日までの4回(?)にわたり、池松勝の署名入りで「購買組合共益社」のことが掲載されたものがあった。

「組合の誕生」(大正9年11月)とその後10年余りの大よその経過と現状が記され、組合長の豊彦と専務理事の間所などが、容易ならざる難題に挑んでいる当時の様子が描かれている。

加えて翌年(昭和7年)11月15日、産業組合中央会が発行した「産業組合調査資料50『消費組合経営事例第二輯』に入っていた「有限責任購買組合共益社」のコピーが残されているので、今回はこの二つの資料を紹介して置きたい。

これを見ると、吉田源治郎は「理事」として、西阪保治は「監事」として名を連ねている。(この項、更に次回に続く)  

     (2010年5月28日記す。鳥飼)(2014年6月18日補正)

組合めぐり1

組合めぐり2

組合めぐり3

組合めぐり4

共益社1

補記

今回、大阪毎日新聞の連載記事「消費組合めぐり」(1931年5月20日~7月22日、44回の連載)の第12回以下の一部をスキャンして収めたが、神戸大学付属図書館のネット史料には全体のテキストが閲読可能にされているのを目にしたので、とりあえず今回の第12回以下の数回をここに収めておきたい。大変有益なドキュメントである。


(12) 組合の誕生 労働争議の勃発 購買組合共益社 (A) 

 淡紫の桐の花がほのかに、におう五月が静かに去って紫陽花の玉がくつきり浮かび出る朗かな六月が来た。
 街路樹の若葉の伸びが目立ち、新緑は深緑へと衣を替える。六月の自然。何と気持のよい生命の躍動ではないか。
 だのに、減俸の嵐が漸く静まったかと思う間もなく神戸にはまた煙突男が現れた。朗かな自然に引きかえて鬱陶しい社会ではある。

 「今日の社会不安を除き、減俸騒ぎのようなことを起さない社会、そして、戦争の如き恐ろしいことを防止し、内乱を防ぎ、貧民をなくし、富が一方に集中することを除き、国民平等の社会を作るのは、この簡単な方法(消費組合に加入すること)にあることを自覚して戴いて、台所に立つ主婦も他人のことのように思はないで、自分の社会に自分が尽さねばならぬ使命に目覚め組合に参加する必要があると思います…」

 これは賀川豊彦君が、現に主宰している共益社の機関紙において、婦人に呼びかけた言葉の一部である。

 賀川君は神戸に神戸消費組合を作る一方、殆ど時を同じうして日本のマンチェスター大阪の労働者のために共益社を起している。つまり神戸消費組合と大阪の共益社は双生児的姉妹組合である。しかし環境を異にすれば双生児でも同一な成人振は見せてくれぬ。
 欧洲大戦中および直後の異常の好景気襲来でブルジョア層には成金簇出、一般労働者社会でも今日のような失業群は、目を皿にしてさがしても影も見当らぬ仕事横溢時代ではあったが、一方に物価は鰻上りに昂騰し、労働者一部の生活苦は、依然として社会の一局部に根強くこびりついていた。その爆発が例の大正七年の米騒動である。
 それが大正九年の反動恐慌で尖鋭化し、三年前の血祭騒ぎを再びくりかえさんとする形勢が馴致されて来た。これを憂慮した当時の労働運動界の先覚者達、今は代議士、当時の友愛会主事西尾末広君、向上会長の八木信一君、同会国際部長金子忠吉君、住友伸銅工組合長安藤国松君らが相謀って鋭意消費組合設立の計画を立てた。
 一方殆ど同時に、キリスト教関係の人道主義者賀川豊彦、宮川経輝君一派にも同一目的の同一計画が進められていた。この二者が合流して出来上ったのが、わが共益社である。
 組合員約千名、内半数の五百名が純労働者、四分の一がいわゆる中産階級のサラリーマン、残りの四分の一が市民層の商人で、本部を靱中通に置き、今井嘉幸博士を組合長に戴き、配給を開始したの□□神戸に先立つこと六ヶ月、大正九年十一月の十一日であった。

 明くれば十年の春、花を外に大阪における組織的同盟罷業の嚆矢大電争議が勃発した。続いて火は藤永田造船所に飛び、更に住友伸銅所に延びていった。前に列記した大阪労働運動の重立つリーダー連が共益社の創設者で、しかも理事をつとめていた関係でいつの間にか、靱の事務所の二階が争議の本部となっていたのも別に不思議ではない。住友を舐めた紅蓮の舌は七月更に神戸に一と飛びして、川崎、三菱両造船所に延びた。賀川君が川崎で采配を振ったことは前に述べたとおりである。
 消費組合はもともと、物品の廉価配給を本来の業務としている。すなわち商売が本業である。その商売が引続く戦争に繁昌しよう道理はなく、争議毎に利益は食われさらに十二年(?)砲兵工廠の向上会と純向上会の分裂で、会長の八木信一君(当時組合理事)がほかに純向上会を組織した当時のごとき双方で組合を利用せんとし、組合は細る一方で年々損失を累加していった。(池松勝)(写真は現在の組合本部と西尾氏(右)と八木氏)

(13) 

 創業後大正十三年まで四年間酒井精七(現理事)永井益慶(賀川君の令弟)杉山元治郎(現監事)の諸君が専務理事となって経営の任に当ったが、商売の不馴れと配給設備の不完全、および組合員の無理解で、年々損失を重ねるばかりで、十三年には赤字二万円の苦境に沈滞した。一方で労働運動は漸次積極化し、リーダー格の人々のどちらかといえば消極的な消費組合運動に専念するを許さない情勢となって来た。しかも組合事業の成績は萎靡して振わず、赤字二万円という始末で、一部理事者間には嫌気がさし解散を主張する者さえ現れて来た。

 役員会を開いて見ると解散説が案外有力で、ここに組合は重大な危機に瀕したが遅れ走せに、駈け参じた賀川君がこの空気を見て、今後この二万円の負債を一身に引受けて、自ら全責任を担って立つ旨を声明したので危く解散を免るることを得た。
 そしてこれを機会に、今井博士が顧問に退き、賀川君自ら組合長の椅子につき、西尾君、八木君も手を引いてしまった。一方経営の実権は賀川君の股肱で当時の組合主事、今の専務理事間所兼次君が握ることとなった。かくて神戸に足場を失った賀川君は、ここ大阪を根城に今日まで消費組合運動を続けて来たのである。
 間所君経営の苦心は大正十四年に初まる。十四年末は損失総額約二万四千円に達したが、十五年以後は僅かずつながら剰余金が生じ昨年末までにその三分の二は填補しおえ、十三および四貫島には店舗を有し、組合員数、配給額においても次のような発展を示して来た。(単位円)

[図表あり 省略]

 昭和三年以後組合員が増加しているに拘らず、配給総額の漸減しているのは、物価下落の反映として、主として労働者および安月給取を組合員の中枢として擁する本組合としては、やむを得ぬところであろう。

現在の組合員の内容を見るに

一般サラリーマン階級 九九五
組織労働者 五七五
一般市民層(商人) 三六二
その他雑 五三
合計 一、九八五名

 双生児神戸消費組合が最初ひとしく労働者の手になり、漸次労働者組合員を失って現在では僅に当初の三分の一の、一一九人の労働者より残していないのに比べれば西尾、八木の頭株は手を引いたとはいえ、創立当時の勢力を維持しているのは、労働者中心の消費組合として決して成功とはいえないまでも、全く方向転換した神戸よりも余程労働色が濃厚であるとはいえる。しかし賀川君の抱懐するクリスチャン・ソーシヤリズムの理論と、一般労働運動者の把握している唯物論的社会主義の理論とは、到底一致し得ない本質を備えているので、これが組合の消長に反映しているのも止むを得ぬ。即ち左翼労働者の消費組合が多くモスクワ式経営をなしているに反し共益社は飽くまでもロッチデール式(両者の差異は近く機を見て詳述する)に遵拠し、神戸同様に酒類の取扱いを禁じ、現金売を固守して来たのが、積極的に労働者層に深入りすることの出来なかった主要な原因であろう。

 しかし死線を彷徨する五年間の苦難時代を、最近グングンと勢力を張って来たデパートと、死線を固持する死物狂いの小売商との圧迫とに勇敢に闘いながら、デパートを自由に利用し得る市街地居住者を中心に、とにもかくにも今日の勢力を張り得るに至ったのは間所君その他従事員の真摯な努力の結果に外ならないが、少くとも彼等の努力をして働き甲斐あらしめた二つの力を見のがしてはならぬ。一つは共益社特売の賀川服と称する木綿の洋服の威力であり、他は地方へ散らばって行った労働者組合員の地方からの間接な応援である。(池松勝)

(14) 「瀟洒たる春の装い」「晴れやかなる訪問着」

 一体どこの国の言葉なんだい。月々百円内外の収入のうち、三分一か、四分の一は家賃にとられる。伸び盛りの子供に飯の制限は出来ず、米屋、八百屋、炭屋、肴屋、おっと待った、組合の支払をしてしまうと後に何が残る。電車賃も子供達の学用品代も出るや出ず、家内中に病人でも出ようものなら、大家さんのおなさけにすがらざるを得ない。仕事着も訪問服も一着の洋服…それも裏返しの…以外に出ないんだ。無理に月賦で五十何円也のニュースタイルを新調すれば、その月から家計は赤字だ。
「なに瀟洒たる晴着だ」
 ブルジョアの社会には妙な言葉もあるものだ。

 賀川服は勿論木綿だ。春和綾セル、光輝セル、メンセル等。
 チョッキ抜の背広上下、大の三円七十銭、小の三円三十銭、別にチョッキをつければ大中小を通じて一円三十銭、五円出せば立派な三つ揃いの背広が出来上る。
 中流の下、および労働階級に非常に受けた。浴衣一反五十銭以上に歓迎されたものだ。
 大正九年から十二三年にかけて、大阪で職を失った労働者は、職を求めて水草の旅に続々と出て行ったが、外の土地に出て見ると組合の有がたさが初めて判る。前組合員のゆえをもって北は北海道、南は九州、遠くは朝鮮、満洲辺りから、引っきりなしに共益社に向って賀川服の注文が届いた。組合は忠実にこれらの注文に応じた。それだけではない。組合の廉価配給の味を占めている連中だ、転地先から賀川服の外に石鹸その他の雑貨にまで注文の手を延ばして来た。組合は勿論その要求に応じた。

 何事にまれ、厄介なのは杓子定規の法律だ。産業組合法第一条購買組合の項に
 「産業又ハ経済ラ必要ナル物ヲ買入レ之ニ加工シ若ハ加工セスシテ又ハ之ヲ生産シテ組合員ニ売却スルコト」と規定している。
 しかして共益社の定款には配給区域を大阪市内(現在は新市域を含む)に定めている。
 組合員でも区域外に移住すれば当然組合員の資格を喪失する。明らかに員外者である。
 この員外者たる地方の旧組合員に物品を配給するのはまた明らかに産業組合法違反だ。
 共益社が賀川服その他雑貨の地方配給を行うのは違法行為だというので問題がもち上った。
 そこで別に昭和二年の春、基金一万二千円の匿名組合協会を設立し地方注文を聞くことにした。こうなれば天下御免だ。産業組合法のおせっかいを受ける理由はない。組合と違って税金も堂々と納めているのだ。
 洋服、靴、ワイシャツの生産を積極的にやり出し、洋服の生産だけでも年額約四万着(月六、九二八着の記録もある)ワイシャツが五百ダース、今日では地方の消費組合に対する立派な卸売商となっている。その売上高も、本家の共益社組合を遥に凌駕して来た。即ち次の通り(単位円)

[図表あり 省略]

 しかるとき、ここに一つの疑念が当然起らざるを得ぬ。年三十万円以上の商売をしていれば、当然相当額の利益が挙がらねばならぬ。さてその利益はどこへ行く。(池松勝)

(15) 台所本位に組合の進む道 購買組合共益社 (D)

 キリスト教の伝道、消費組合その他社会改造運動に寧日なき賀川君は、その余暇を利用して、小説を書く、論文を書く、個人雑誌「心の友」を刊行する。鶴見祐輔君以上の多芸多能の士である。こうした彼の余技から流入する金額だけでも、へっぽこ文士の遠くおよぶところではない。
 だが、金は常に羨望と怨府の的となる。そして、とかくいやな噂をも生む。御多分に洩れず賀川君にも最近とかくの非難があるようだが、彼は幸か不幸か当然自己の権利に属する金でも、自己の懐中に入れ得ない性格の持主である。彼の日常生活を知るものには、無用の弁であろうが、彼が名著「死線を越えて」の印税をどうつかったかを見ても、この性格は判明する。
 彼は「死線を越えて」の印税七万円也をつかんだ。
 彼はこの大金をつかんで先ず大阪労働学校を建設した。次に平常の理論を実践に移すはこの時とばかり、東京本所の産業青年会、大阪四貫島セッツルメント、神戸友愛救済所と、次々に三つのセッツルメントを建設したが、なお使いきれず、兵庫県高砂癩病院基金を寄附し、更に日本農民組合の人件費を負担して、やっと七万円也を使いはたした。
 協会の利益もこの調子で消えて行く。記者の調べによると、協会の機関雑誌「消費組合時代」の発刊費用だけで昭和五年までに一四、九八一円、学生消費組合への寄附金一、〇〇〇円、地方への講師派遣費七二八円。こういう風に大部分は消費組合思想の普及、地方の組合設立費に消費されている。その結果今日まで、賀川、杉山、安藤、金子の諸君の指導で組織された地方の組合が本格的のもの四一、これに類した準備会、クラブ式のものを数えると実に一八五まさに二〇〇に垂んとしている。

 協会の本体と利益金の使途が判明した以上、本道の共益社に帰る。
 極端なる左翼化も出来ず、といって姉妹分の神戸ほどの勇敢なる中産階級への転換も、クリスチャン・ソシアリズムの理想が許さぬ共益社は、一体どこへ進むべきであろうか。
 眉目秀麗の青年、間所専務理事は静かに語る。
「大阪全市という広汎な配給区域を持っている関係で、今後は支部中心主義をとり、各支部には店舗を設け、デパートの圧迫に抗争して行くほかありません…
 現在十三と四貫島に支部を設け店舗を張っていますが、近く天下茶屋に新らしく支部を開設する予定です。東京でもそうですが、殊に大阪は地域によって住む人の階級が判然分れています。十三、天下茶屋はサラリーマン、四貫島、玉造、天満、東野田、泉尾方面は組織労働者、市内は一般市民層という風で、地域によって生活程度、文化程度、嗜好等に共通的な差違があります、従ってそれによって幾分ずつ経営の仕方を変えて行かねばなりません…
 サラリーマン地帯は婦人中心です。殊に十三などでは家庭会の活動が最近めきめきと効果をあげて来ました。仕事は灘や、神戸と大同小異、知名の士の経済学や科学の講演、料理や裁縫手芸の講習等ですが、膝を交えての談合は案外効果的のもので、最近二ヶ年で婦人の名による加盟申込が二〇〇名からできて来ました。これによって見ても消費組合は、台所本位に進むべきものだということが判ります…
 現在の計画は、実費治療所の建設で外科、内科、産科に分って、すでに組合中の専門家に承諾を得、近い将来に実現する運びになっています…
 いろいろ理想は抱いていますが、何をいっても先だつものは金ですからね」と。
 彼もまたため息をついた。
 共益社の前途もまだまだ多難である。(池松勝)
【写真は家庭会の料理講習会】




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