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KAGAWA GALAXY 吉田源治郎・幸の世界(17)

旅写真1

  第17回 「間所兼次と共益社」お宝写真(3)

前回には「共益社」社員の労働現場と慰安旅行の写真を収めたが、もう1枚冒頭のものが残されていた。これには「京都日活を見学」と書かれている。俳優さんが沢山加わっているようである。

ポスター賀川服

上のポスターは一部欠けているが「消費組合協会」が作った「賀川服」を宣伝したものである。「社会人よ 黄金の夢より醒めよ 然して此の意義ある国産主義運動に参加せよ! 民衆運動の先駆者 賀川豊彦氏創案 賀川服」と書かれている。日の丸を掲げた「国産主義運動」というのはどういうものであったのだろうか。

ポスター国民服を

「賀川服」は当初大正10年の暮れには「購買組合共益社」で発売を始めていたようであるが、「共益社」は「購買組合」として地域が限定されていたため全国展開は困難であった。

しかし、新しく作られた「消費組合協会」は全国を視野に組合運動の展開が可能であったことから、右の写真にあるように「消費組合製品」として、「国民服を一着せよ」との売込みで、この「賀川服」は、国内ばかりでなく国外からも注文が相次いだといわれ、「ツラヌキ純石鹸」や「神の国石鹸」なども人気があったようである。

賀川と役者
   「死線を越えて」上演・澤田正二郎と賀川    

1920(大正9)年10月に賀川の小説「死線を越えて」の出版が爆発な人気を博し、翌年11月には東京でも関西でも舞台化された。上の写真は、名優澤田正二郎と賀川豊彦。(この写真は「ALBUM」にあったのではなく、吉田摂氏所蔵の資料のなかにあった。)

間所兼次の「ALBUM」には、大阪の写真館「Y.IMAI OSAKA」が写した澤田正二郎の立派な写真がある。
この写真に兼次は「昭和2年 澤田正二郎 賀川服を着せてパチリ 道頓堀 浪速座にて 間所と一問一答を試みる」と記している。なかなかの商売上手である。

沢田正二郎

既述のように「国民服、別名賀川服、ヨルダン石鹸、ツラヌキ石鹸、神の国石鹸等、その名称はすべて間所兼次の命名に関はる」(吉田源治郎の前掲論文)ものであったが、商業学校で学んだ兼次の商才も大阪商人の魂と呼応し中々のものである。

もう1枚、下の写真も「賀川服」の宣伝用であろう。「賀川服を着込んだ日活人気俳優 ?岡?夫」 名前が判読できないが、同時代の方には懐かしい顔であろう。

写真人気俳優

上の写真は今回の冒頭に収めた写真は「京都日活の俳優たち」と写したものであるが、同じ頃のものであろう。

賀川と夫人家庭会
昭和2年7月20日 消費組合協会主催「家庭会序備委員会の晩餐」(大阪中央公会堂)
上の大阪中央公会堂での「家庭会」の会議には、間所の他に賀川の顔も見える。

下の写真は「家庭会の料理講習会」 当時では新しい試みのひとつであったのであろう。

料理教室

下の写真の裏には「購買組合共益社・消費組合協会主催 家庭経済展覧会」と書かれている。ご覧のようにこの場所は「四貫島セツルメント」である。

家庭形財四貫島セツルメント

吉田源治郎を中心に大阪市此花区四貫島に「日本労働者伝道会社・四貫島セツルメント」を始めたのは1925(大正14)年10月1日とされているが、源治郎の「間所兼次と消費生活協同組合運動」には次のような記述がある。

 「昭和8年消費組合協会を生活改造協会と改称して、四貫島セツルメントにその事務所を移した。兼次は昭和15年大阪府産業組合中央会購買組合指導事務嘱託となり、大阪府下の消費組合の指導に尽力した。同18年川崎重工株式会社泉州工場労務課付主事として共益社の責任をもつ傍ら同会社のために力を尽くし、かつ旭乾燥機製造株式会社の創設に協力するところがあった。共益社は昭和6・7年及16・7年の候2回に亘り非常な不振に落入ったが、その頃の兼次の苦心には惨憺たるものがあった。」(「賀川研究」第2冊、昭和23年、37~38頁)

共益社本部人有

共益社本部自転車と荷車

共益社本部自転車

この3枚の写真には日付はないが、「消費協同組合」が「生活改造協会」に名称変更する前とすれば、昭和8年より前になるようである。「購買組合共益社本部」の看板があり、三角の看板には「有限責任購買組合 共益社」、そして「消費組合協会」の立て看板が見える。この建物をバックにした「共益社」の写真は第13回目に収めたが、『賀川豊彦写真集』に入っていてよく知られているものである。なお、上の写真之1枚には「昭和14年秋 江戸堀に移転 豊臣時代の格子戸を美粧する」と添え書きがある。
 
集合写真店の前の

上の写真には「昭和15年」と裏書されている。兼次、賀川等と共に。左上の挿入写真のお顔は田中俊介氏のようである。

最後に、200名近くの人達が写っている下の写真には「大正8年12月 本社と社員」と裏書されているが、果たして「共益社」のものかどうか判らない。参考までに収めておく。

大勢の集合写真

 (2010年6月7日記す。鳥飼慶陽)(2014年6月24日補正)
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