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KAGAWA GALAXY 吉田源治郎・幸の世界(33)

夫妻の写真

      第33回 シュヴァイツァーと吉田源治郎(2)

上の写真は、ご自宅で撮られた源治郎・幸夫妻の写真である。撮影年月日は判らないが、ノーベル賞受賞の頃のものであろうか、シュヴァイツァーの写真を挟んで、何かの記念の時のものであろう。この写真では、シュヴァイツァーの額の文字も判読できない。
 
      源治郎「シュヴァイツァー『原生林の片隅にて』を読む」(1)

シュヴァイツァーは自伝的な記録として『水と原生林のはざまにて』(1920年、45歳)、『私の幼少年時代』(1924年、49歳)、『わが生活と思想より』(1931年、56歳)などを書き残している。

最初の『水と原生林のはざまにて』は、シュヴァイツァーが1913年から17年までの「第一次ランバレネ滞在」の経験を『ランバレネ通信』を出しているが、その頃の感動的な「アフリカ回想記」として、この著作は忽ち各国語に翻訳されたようである。(野村実『人間シュヴァイツェル』岩波新書、昭和30年、190頁)『水と原生林のはざまにて』は野村実訳もあるが、源治郎はオールボン神学校在学中、1922(大正11)年に刊行された英訳本『原生林の片隅にて』を早々に読み、深い感動を覚えた如くである。

1924年5月、吉田源治郎はオーボルン神学校を目出度く卒業した後、その年10月から半年余りのあいだ、ニューヨーク市ユニオン神学校チャールズカレッジで聖書・宗教教育及び社会事業を専攻して学び始めるまでの寸暇の時を活かして、今回紹介する標記の「シュワイチエル『原生林の片隅にて』を読む」を書き上げているのである。

論稿の末尾には「1924年7月27日夜中、ニューヨーク州アウボルンにて脱稿」とある。(周知のごとくシュヴァイツァーは、1924年には再びランバレネの「第二次滞在」を始めて、病院の拡張など行い、その後も幾たびもこの地での活動を継続するのである。)

米国で書き上げられたこの草稿は、最初に『雲の柱』第3巻第8号(大正13年10月号)に寄稿され、既述のように警醒社書店より大正14年9月にシュヴァイツァーの最初の邦訳書といわれる吉田源治郎訳『宗教科学より見たる基督教』が刊行され、本稿がその付録として収められたのである。

当初ここでは、「『原生林の片隅にて』を読む」の初めと終わりのみ取り出して置く積りであった。しかし、源治郎のこの作品は、シュヴァイツァーのことを、いくらか纏まったかたちで日本に紹介した最初のものかも知れないのと、当時の吉田源治郎を理解するうえでも、そして源治郎のその後の働きを見る上でも、大切なドキュメントのように思われるので、ここではあえてその全文を、これから3回に分けて収めて置きたいと思う。

現在この著書も、古書でも殆ど入手困難でもあるようでもあり、原文のまま掲載する。なお、賀川豊彦の諸著作の読解において時代的・歴史的場を踏まえることが欠かせないのと同じく、シュヴァイツァーの著作や源治郎の表現の仕方にも、読む側の私たちに同様の見識が求められることは言うまでもない。

早速、第1回として第1節と第2節をお目にかける。

翻訳1

翻訳2

翻訳3

翻訳4

翻訳5

翻訳6

 この項は、次回に続く。

     (2010年7月18日記す。鳥飼慶陽)(2014年7月11日補正)

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