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KAGAWA GALAXY 吉田源治郎・幸の世界(34)

顔シュバイツァー

     第34回 シュヴァイツァーと吉田源治郎(3)

   高橋功医師のこと

上の写真は、高橋功の名著『シュワイツェルと動物』(法政大学出版部、昭和31年)の表紙に飾られたものである。

高橋は戦時下8年余りのあいだ、各地のジャングルで軍医として働いた体験のある医師であるが、戦後ふとしたきっかけでシュヴァイツァーの働きを知り、彼の著作と関連する多くの著書を取り寄せて読み、丸善の発行する「学鐙」に連載した。
その稿料などを彼の後援会に送金するなどして、シュヴァイツァーの書簡が高橋のもとに届けられるといった関係も深まる中で産まれた好著が、これである。

その後、高橋は1958年から8年間、また妻・武子は6年間、ランバレネの病院で働くことになり、その最初の3年間の生活記録を『シュヴァイツァー博士とともに』(白水社、1961年)として出版した。

高橋とシュバイツァー

上の写真は同書に収められているもので、1960年6月8日の高橋の誕生日に、シュヴァイツァーと共に写したものである。隣は武子夫人。

高橋は、野村実と高井俊夫につぐ3人目の日本人医師として活躍した。この著書には、シュヴァイツァーの友情あふれる「序」も寄せられている。
 
そして本書には、シュヴァイツァーの語った賀川豊彦に関するいくつかの記述があるので、参考までにここに並べて置く。

高橋文章

高橋文章2

はじめの5行(201頁)は、1960年4月23日の賀川豊彦の死去の知らせを受けた時のこと、その後の箇所(210頁)は、高橋の誕生日に語ったシュヴァイツァーのお祝いの言葉である。

ここには、シュヴァイツァーが親しく文通をした最初の日本人は内村鑑三であり、その次は賀川豊彦だった、といったことも話している。また、もう一箇所(257頁)、賀川没後すぐ刊行準備が進められた『賀川豊彦全集』への推薦依頼の執筆のことにも触れたところである。

シュヴァイツァーは1965年9月4日、90歳の生涯を終えた。その10年後、つまりシュヴァイツァー生誕100年の記念の年、高橋は『生命への畏敬-シュワイツァーの人間像』(玉川大学出版部)という良書を書き残している。

     内村鑑三とシュヴァイツァー

これまで何度も取り上げてきた高木謙次の論文「内村鑑三と吉田源治郎」の中で「シュヴァイツァーについて」の項があり、内村鑑三のシュヴァイツァーとの関わりを、年次を追って纏められているので、そのところを次に上げて置きたい。

内村文章1

内村文章2
 
これを見ると、後にすぐ取り上げる予定の、源治郎が米国留学中すでに、シュヴァイツァーの著書『基督教と世界の諸宗教』(英訳の表題)を、著者の了解を得て、『宗教科学より見たる基督教』という書名で刊行すべく翻訳を進めているので、源治郎の方が、シュヴァイツァーとの関係は内村より一歩先を歩んでいたようである。

先の高橋の誕生日祝いの折、日本人で最初に親しく文通をした人は内村鑑三で、次が賀川豊彦であるというシュヴァイツァーの言葉があったが、翻訳という仕事上のこととはいえ、吉田とシュヴァイツァーの何度かの文通は、ひょっとして最も早い日本人となるのかも知れない。

     源治郎「シュヴァイツァー『原生林の片隅にて』を読む」(2)

前回は第1節と第2節を収めたので、第2回目の今回は第3節から第8節の途中までを取り出して置きたい。ゆっくり味読いただければ嬉しい。

翻訳1

翻訳2

翻訳3

翻訳4

翻訳5

翻訳6

翻訳7

 この項、次回に続く。
                
    (2010年7月19日記す。鳥飼慶陽)(2014年7月12日補正)



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