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KAGAWA GALAXY 吉田源治郎・幸の世界(36)

シュバイツァーの顔

     第36回 シュヴァイツァーと吉田源治郎(5)

今回は前回予告のとおり、吉田源治郎に宛て送られたシュヴァイツァーの書簡を紹介する。

その前に私的な関わりのことで恐縮であるが、シュヴァイツァーのことで身近に接した二人の先達のことを、短く添えさせて頂きたい。

一人は、「神戸シュヴァイツァーの会」代表の向井正氏、もう一人は「シュヴァイツァー寺住職」の古川泰龍師である。

向井氏は兵庫県庁の近くにお住まいで、1968(昭和43)年春、神戸の下町で「労働牧師」の新しい生活を始めた私たちをご自宅に招いて頂いたこともあったお方で、その折に戴いたのが、上のシュヴァイツァーの写真である。暫くして向井正氏は、自宅近くの横断歩道で交通事故にあわれ、急逝された。

そしてほぼ同じ頃、1961(昭和36)年より死刑囚の再審運動で全国行脚を続けていた熊本県玉名市の立願寺住職・古川泰龍師が、わざわざ狭い我が家を訪ねて来られた。

1969(昭和44)年、古川師は、向井氏からシュヴァイツァーの遺髪を授かり「玉名シュヴァイツァーの会」をつくり、1973(昭和48)年には「生命山シュヴァイツァー寺」を開山。

1985(昭和60)年、イタリア人のフランコ・ソットコルノラ神父との出会いもあって「シュヴァイツァー寺カトリック別院」ができ、「東西宗教交流センター」なども始まった。

折々、古川師からはお便りを頂いたり、1996(平成8)年6月には、玉名のシュヴァイツァー寺をお訪ねし、ご家族ともお会いしたこともあった。

上の写真は、お訪ねした時の「シュヴァイツァー寺」の玄関である。

古川シュバイツァー寺

1994(平成6)年にはイタリアで書展を開かれたりもしたほどの書家として知られているようで、下の書も古川泰龍師の書で、部屋の中に飾られたものを写させて貰ったものである。

マザーテレサ

そしてマザー・テレサとの交流もあったとかで、その時頂いたものである。著された著書も多く『叫びたし寒満月の割れるほど-冤罪死刑囚と歩む半生』(法蔵館、平成3年)などはよく知られている。


古川泰龍師は、2000(平成12)年8月25日、80歳の生涯を終えられた。「シュヴァイツァーと吉田源治郎」に誘われて、改めて師のことを偲ばせて頂いた。古川師のことについては、これまで折々、ブログで触れてきているので、ここではここまでで止めて置く。


      シュヴァイツァーの吉田源治郎宛書簡(一部)

この書簡によれば、源治郎は1925年3月、シュヴァイツァーに宛て、賀川の書簡も同封して届けたようである。賀川はこの時、彼を日本に招いて講演を依頼したようで、この書簡はそれの応答でもある。(実際はこの話は実現しなかったのではないかと思われる。)

またここには、彼の著作『文明の哲学』2巻の翻訳と出版の権利を吉田に与えてもよいといったことや、アフリカにおける彼らの働きの現況について、立ち入った様子を伝える内容となっている。(実際はこの著作の翻訳も吉田の手によっては実現しなかった。)

ともあれ、次回に紹介する翻訳書のために、幾度か二人の間に書簡のやり取りがあった中の、これはそのひとつであったようである。

シュバイツァー文章1

シュバイツァー文章2

シュバイツァー文章3

この項も長くなってしまったが、次回に源治郎の訳書『宗教科学より見たるキリスト教』に触れて次へと進みたい。

   (2010年7月22日記す。鳥飼慶陽)(2014年7月15日補正)


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