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KAGAWA GALAXY 吉田源治郎・幸の世界(39)

一粒の麦

    第39回 山室軍平と吉田源治郎

先日(2010年7月24日)吉田摂氏より、吉田源治郎の小文「茶臼山の一夜の思い出など」のコピーをお預かりした。
これは昭和40年に山室軍平記念会の発行・発売元となった山室武甫編『民衆の友:山室軍平回想集』に寄稿したものである。幸いなことに昨日、古書店より原本を入手出来た。

上のものはこの古書・上製本の表紙裏、見開きに収められたもので、日本画家の長谷川麦穂氏と坂野英二氏の筆書である。

編者の山室武甫氏のことは、本連載の第20回で取り上げたが、そこでは、同志社予科時代、源治郎との交流もあった大正10年の年末年始、賀川豊彦の元で過ごした日々を「新川貧民窟の二十日」という題で書き残していたものを、「山室軍平と賀川豊彦」のことにもふれておいた。

吉田源治郎がこの『回想集』に寄稿した小文には、ちょうど今取り上げている源治郎の渡米留学の時のことにも少し触れている箇所があるので、今回ここに取り出して置きたいと思う。

この連載ではまだ源治郎の米国留学の時まで辿っているだけで、92年の全生涯のまだ三分の一である。
源治郎は、その生涯を通して、ご自分のことは書き残したり、話したりされなかったらしいのであるが、70歳を越えた昭和40年ごろに記した源治郎のこの「山室軍平への回想」では、明治学院神学部で学んでいた時の回想や1934(昭和9)年の石井十次生誕記念集会の回想も短く含まれており、貴重な記録である。

山室軍平は1940(昭和15)年に生涯を終えているので、本書は没後四半世紀を経て、1965(昭和40)年に刊行された回想集である。

したがってここには、中森幾之進、有賀鉄太郎、高橋虔、浦谷道三、田中芳三といった、私たちのよく知る諸先輩方の文章もあって、興味深い。
120人以上の人々による「回想集」であるが、中には、1955(昭和30)年に書かれた賀川豊彦の「山室先生を偲んで」も、ここには収められている。
そして私の予期しなかったことであるが、本書には武内勝の「先生に学ぶ」という手記も含まれているのである。

ともあれ、今回はこの『民衆の友:山室軍平回想集』の中から、吉田源治郎の「茶臼原の一夜の思い出など」を最初に、そして続いて、武内勝の「先生に学ぶ」、最後に賀川豊彦の「山室先生を偲んで」を読んで置きたいと思う。

   (2010年7月30日記す。鳥飼慶陽)(2014年7月18日補正)

 付記
 連載第20回で、山室武甫の「武甫」は、救世軍の大将・ウイリアム・ブースのブとジョージ・フォックスのフォをとって「武甫」と名づけたとされ、その名付け親は賀川であるという説のあることを紹介した。しかしそれは、賀川と武甫の年齢差から見て、賀川が名付け親になるのは余りに若すぎ、その説は疑わしいのではと指摘いただいた。全くご指摘の通りである。

           吉田源治郎「茶臼原の一夜の思い出ほか」

吉田思い出1

吉田思い出2

吉田思い出3

吉田思い出4

           武内勝「先生に学ぶ」

武内1

武内2
      

         賀川豊彦「山室先生を偲んで」

賀川1

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