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KAGAWA GALAXY 吉田源治郎・幸の世界(45)

セツルメントの写真最初

    第45回 四貫島セツルメントと吉田源治郎(5)

 「四貫島セツルメントと吉田源治郎」という項を立て今回5回目である。ご覧の通り全くの手探り状態である。

過日(2010年8月12日)吉田摂氏より、近江八幡のヴォーリズによる「四貫島セツルメント」の設計図ほか関連資料のコピーを送付頂いた。

私も2度ばかり賀川ミュージアムに出向き、当時の「イエスの友会会報」や「火の柱」、そして『雲の柱』にも目を通したりしている。有難いことにそれらは「復刻版」が出来、ミュージアムではそれを手にとって閲読でき、コピーも可能である。

「復刻版」は高価なので手元に持てずにいたが、初めて目を通して見て、この連載を続けるからには不可欠の資料であることを知らされた。

これまで神戸の部落問題解決のために月刊雑誌を30年以上編集してきた経験からしても、雑誌の持つ意味を多少なりとも承知していた積りであったが、改めてそのことを痛感した。

取り敢えずここでは、それらの資料を読みながら、あの激動の時代を歩んだ吉田源治郎たちの仕事ぶりを、一歩一歩辿って行きたいと思う。

   CLMJ通信(大正14年12月)

大正14年10月1日に事業を開始した「四貫島セツルメント」(大阪市此花区旭町1丁目)の初めてのクリスマス計画が「イエスの友会会報」(第19号)に掲載されている。

CL通信最初

   CLMJ通信(大正15年1月)

 「火の柱」第1号(大正15年1月)では「大阪イエス団」の誕生を報じている。

CL通信2回目

   吉田源治郎の論文「産業革命以後の伝道戦術」(「火の柱」第1号)

これは、大正15年1月6日付の小論文である。

吉田論文伝道1


   CLMJ通信(大正15年2月)

大正15年1月16日に開催された大阪府社会事業連盟主催による社会事業研究会に於いて、賀川豊彦は「セツルメント運動の理論と実際―人格交流運動として見たるセツルメント・ウォークの研究」と題する注目すべき講演を行っている。勿論ここで開設したばかりの「四貫島セツルメント」にも言及し、『雲の柱』(大正15年6月号)にそれを収めているが、ここでは取り出すことは出来ない。

なお、源治郎も留学から帰国して早々に、「セツルメント構想」を念頭においた数多くの論文を『雲の柱』に寄稿していたことは、第41回に触れて置いた。(大正14年10月号に「初代基督者の友愛と互助―基督教的兄弟愛運動史の序曲」、12月号と翌年(大正15年)1月号に「旧約聖書の社会思想―基督教社会運動の序論としてみたる―」(一)(ニ)、3月号と4月号に「キリスト愛の浸潤―愛の組合運動としてのキリスト運動史の考察」、6月号に「英国労働運動の宗教的背景―基督愛運動史の一節として考察したる」、9月号に「農村伝道者としてのジャン・フレデリク・オバーリンの歩み―隣人愛に燃ゆる村落牧師の一生」と言うように)

 「火の柱」第2号(大正15年2月)の「CLMJ通信」には、次のレポートが掲載されている。

CL通信3回目


   CLMJ通信(大正15年3月)

 「火の柱」第3号(大正15年3月)に「四貫島セツルメント」の2月の報告がある。

CL通信4回目のはじめ

CL通信4回目のつづき


   「羅府イエスの友・Ⅰ弗運動―四貫島セツルメントの為に」(大正15年4月)

 「火の柱」第4号に掲載。

一弗運動


   CLMJ通信(大正15年4月)

 「火の柱」第4号(大正15年4月)にも「四貫島セツルメントの歩みと「大阪イエスの友通信」がある。「宗教部を大阪イエス団教会と呼ぶことにすること」「摂津の光」と題する月刊雑誌を発行することなどが記されている。

CL通信大正15年4月

 
   「岩上の早天祈祷会」

大正15年4月4日:イースター「火の柱」第5号掲載

岩上の祈祷会一弗運動

    CLMJ通信(大正15年6月)「四貫島セツルメントと出版部の創業」

 「火の柱」第6号(大正15年6月)に「四貫島セツルメントと出版部の創業」並びに「静止映画幻灯天路歴程の夕」報告を掲載。

CL通信15年6月

    CLMJ通信(大正15年7月)「セツルメント・ウオーク十ヶ月」

 「火の柱」第7号(大正15年7月)には「セツルメント・ウオーク十ヶ月」と題して「四貫島セツルメント」の10ヶ月間の働きを纏めており、総主事の吉田源治郎は、村島帰之、森田金之助、伊藤悌二、大田又七、堀井順次、椋橋春子等と共に、次々と困難な諸課題に取り組んでいる様が刻まれている。

CL通信15年7月

CL通信15年7月通信つづき

ここまで大阪の四貫島に於ける創設期の記録を読んできたが、関東大震災の救援・復旧・復興の活動に関わってきた「本所基督教産業青年会」の活発な活動の記録も「火の柱」などに詳しく記されている。時間的には一歩先を進む「本所」と少し後発となった「四貫島」とが競い合うようにして奮闘している様子がよくわかる。
 
以上が、大正15年7月までの「四貫島セツルメントと吉田源治郎」たちの素描である。
 
最後に、吉田源治郎が大正11年夏、神戸港より春洋丸に乗船し、アメリカ留学のために旅立つ時の見送りの写真が一枚残されているので、遅ればせながらここに収めて置く。

写真に書き込みがあるが、妻幸、母ゆき、長女敬子(K)等が写っている。

 (2010年8月15日記す。鳥飼慶陽)(2014年7月24日補正)

見送りの写真

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