スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

KAGAWA GALAXY 吉田源治郎・幸の世界(49)

神の国運動初めに入る

   第49回 四貫島セツルメントと吉田源治郎(9)

前回、賀川と杉山が「兵庫県武庫郡瓦木村高木東口」に住居を定め、そこを拠点にして「農民福音学校」を開設し、吉田も「教務主任」並びに講師の職務を担うことになった事を取り上げた。

杉山元治郎の参画は、賀川にも吉田にも新たな柱を得る出来事でもあった。
杉山は「四貫島セツルメント」の「評議員」として名を連ねると共に、昭和2年3月に「全日本農民組合」の組合長に就き、翌昭和3年5月には「全国農民組合」の中央委員長に選ばれ、賀川はその顧問に就任している。
そして昭和5年3月、杉山は大阪府中河内郡布施町に転居して「杉山歯科診療所」を開設するといった諸経過が、前掲の岩本氏の著書に詳述されている。

今回冒頭に掲げたものは、この年(昭和2年)早々から開始された「四貫島セツルメントハウス」の建築募金袋に書かれたことばで、この取り組みの経緯を今回は辿る予定であるが、その前に「第1回農民福音学校」で学んだ二人の短い手記があるので、それを先ず読んで置く。
いずれも「火の柱」に掲載され、「農民福音学校だより」は第13号に、「農民福音学校の思ひ出」は第16号である。

農民福音学校だより

 「農民福音学校」は、「毎年同時期に1ヶ月開校、15年間続けられた。一麦寮が建てられるまでは定員12名の小塾であったが、その中から百数十名の信徒指導者を全国の農村社会に送り出した」(前掲『西宮一麦教会五十年のあゆみ』年表)。下の募集は、賀川の私宅に於ける「女子農民福音学校生徒募集」である。

農民福音学校生徒募集

   四貫島セツルメントハウスの建築

昭和2年2月27日付:賀川豊彦「武庫川のほとりより」(『雲の柱』昭和2年4月)

さて愈々「四貫島セツルメントハウス」の建設が始まっていく。この建設に関して最初に記したのは、2月27日付けの賀川の次の言葉ではないかと思われる。

武庫川のほとり

  昭和2年3月「火の柱」掲載「全国イエスの友に訴える」

ここには「全国のイエスの友」への訴えがある。また「セツルメントの近況」も面白い。

全国イエスの友に訴える

『雲の柱』の昭和2年分を開いてみると、四貫島セツルメントの「早天礼拝」で語られた賀川の説教「ヨハネ第三書の精神―兄弟愛の福音」(1月9日)を2月号に、「ユダ書の精神―聖戦の福音」(1月16日)と「建国者の精神―アブラハムの選びし道」(前年12月19日)を3月号に、さらに2月11日の農民福音学校開校式講演「フアブルとグルンドウイッヒ」と「主の姿を仰ぎつつ―聖パウロと絶えざる黙示」を4月号に、すべて吉田源治郎の筆記で掲載されていることが分かる。勿論、この筆記は前後継続するのであるが。

これらの筆記は、直ぐに賀川の著作となって、例えば上に挙げた「ヨハネ」と「ユダ」は『人類の宣言』(警醒社、昭和3年)に、「アブラハム」は『神による信仰』(日曜世界社、昭和3年)に、それぞれ収められ、広く愛読されることになる。

   吉田源治郎「武庫川のほとりに賀川氏を見舞ひて」

この時期も源治郎は『雲の柱』の編集に深く関わっていた事を思わせる印として、昭和2年4月号の巻末の編集後記の欄に、吉田源治郎は「四貫島より」と題して、次のように書いている。

吉田の「四貫島より」賀川見舞い

同じ『雲の柱』昭和2年4月号には、次の「訴え」を掲載されている。

四貫島新築訴え

 賀川豊彦の「旅枕より」(『雲の柱』昭和2年6月号) 

この「旅枕より」は3頁にわたっているが、冒頭の数行に「四貫島」に触れた部分だけを張り付て、下に取り出して置く。
賀川の「旅枕より」はいつもの「身辺雑記」であるが、賀川の日々の生活記録としても面白い。そこには「ヘレン・タッピング女史が米国の「カガワ後援会」から送られて、5月2日に神戸港につかれたこと」などが記されている。

賀川旅枕より

   『雲の柱』昭和2年5月号に掲載された新しい訴え

四貫島セツル新しい訴え

上の訴えを見ると、会館を建築する場所が確定し「只今、ヴォ―リズ氏の手に依って設計図が進行中です」とある。

ヴォーリズの顔

上のW・M・ヴォーリズの写真は、大正12年に警醒社で刊行された吉田悦蔵著『近江の兄弟ヴォーリズ等』の扉にあるものであるが、賀川は『雲の柱』(大正12年新年号)にこの書名と同じタイトルの文章を寄せ、本書の「跋」とした。賀川とヴォーリズ並びに吉田悦蔵とは既に親密な仲であった。

ヴォーリズ建築事務所は、大正11年に大阪支所を開設し、大丸百貨店心斎橋店や大同生命ビル、神戸YMCAや大阪基督教女子青年会館なども既に彼の手によって建てられていた。

ヴォーリズは賀川より8歳年上(1880年生まれ)で、賀川より4年長く生きた。1964年没。

四貫島セツルメント設計図(April.12.1927)

過日、吉田摂氏より「一粒社ヴォーリズ建築事務所」より入手された「四貫島セツルメント設計図」のコピーを郵送して頂いた。今回小川敬子氏が、新たに当時を思い起こし、その図面に鉛筆で書き込みをし、そのコピーである。貴重な資料である。
縮小した図面で薄く判読は難しいが、まず全体を上げて置く。都合で縦に収める。

四貫島設計図

前頁の設計図を右半分:一階平面図と左半分:二階平面図を分けて再掲載しる。
          
  右半分:一階平面図

一階平面図

左半分:二階平面図

二階平面図

上記「設計図」と共に、吉田摂氏の封書には、次のコメントを加えた書面があった。

   1 四貫島の設計図は単位が尺になっている。
   2 土地は借地である。
   3 それぞれの部屋の役割は図面に記入。
     なお、
     ・2棟の建物の前の部分は、授産事業、診療、共益社など時代によって変わっている。
      時にはストライキの本部など。
     ・後の建物は、天使保育学校、教会、ホールとして多目的にも使用。
     ・建物は市電通りに面していた。裏は建物が立て込んでいる。  

今回は、ここまでとする。
     
    (2010年8月21日記す。鳥飼慶陽)(2014年7月28日補正)



スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

keiyousan

Author:keiyousan
このブログのほかに同時進行のブログもうまれ全体を検索できる「鳥飼慶陽著作ブログ公開リスト」http://d.hatena.ne.jp/keiyousan+toritori/ も作ってみました。ひとり遊びデス。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。