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KAGAWA GALAXY 吉田源治郎・幸の世界(52)

52-1福音学校案内

   第52回 四貫島セツルメントと吉田源治郎(11)

上の「イエスの友冬季福音学校」開催案内は『雲の柱』昭和2年12月号に掲載されたものである。
新館完成を実現した「四貫島セツルメント」を会場にした第1回目の福音学校で定員100名、昭和3年正月の元日から4日間という熱の入れ方である。

この時の写真は見つからないが「火の柱」第16号(昭和3年2月号)に、林幸金牧師による熱の籠った記録が残されている。その雰囲気を感じ取るために一部を紹介して見たい。記事の組み方が横流しであるが、ここでは組み替えて収める。四貫島セツルメントに集まった人々の4日間の様子が、小さい活字で埋め込まれている。

52-2ああ感激

52-3福音学校報告のつづき

52-4福音学校のつづき3枚目

52-5福音学校のつづき4枚目

吉田源治郎の米国留学からの帰国を待って、1925(大正14)年10月1日に始められた「四貫島セツルメント」が、丁度満2年後となる1927(昭和2年)10月1日に新たな「セツルメント・ハウス」の竣工を迎え、こうして1928(昭和3)年正月の幕開けを「第1回福音学校」をもってスタートさせたのである。

神戸の「イエス団」から東京の「本所基督教産業青年会」へ、そして大阪の「四貫島セツルメント」へと、主要な活動拠点が形成されて行く様子が、鮮やかに見えてくる。

昨年「武内勝関係資料」を「賀川豊彦のお宝発見」として本サイトで連載した中に、「昭和2年8月から昭和4年6月」までの「武内勝日記」を活字化して紹介したが、武内のあの証言は、神戸に於ける職業紹介所の開拓的な仕事の中で、多数の労働者が次々と解雇され、身近な者もブラジル移民に送るなどある、この時代の苦悩を刻むものであった。

    吉田源治郎「四貫島セツルメントの近況」(『雲の柱』昭和3年1月)

52-6吉田セツルメント

52-7吉田セツルメント2枚目

    「火の柱」第17号(昭和3年3月)

ところで、先にこの四貫島セツルメントに於ける第1回イエスの友冬季福音学校の写真は見つからないことを記したが、いま「火の柱」第17号(昭和3年3月)を見ると、小さな写真であるが、新館の前で写されたこの時の記念写真が残されていた。ここに拡大して収めて見る。見開きに半分ずつ分けられているが張り合わせて収めて置く。

52-8日の柱社真

これでは人の特定も出来ないが、2階の窓から顔を出す人々のいることは分かる。

この号には、次のような賀川豊彦の「百万人運動実行プログラム」という、15項目の提起をはじめ、吉田源治郎の「その後の四貫島セツルメント」その他の記事があるので並べて置く。

52-9百万人運動

52-10吉田四貫島セツルメント

52-11吉田セツルメントのつづき

52-12吉田セツルメント3枚目

     四貫島セツルメントに於ける出版部の事業展開

セツルメント活動の多彩な働きの中でも注目させるのが出版部の働きである。
しかしまだ機関誌『摂津の光』も、またこの号に広告されている右の月刊リーフレット「神聖」も現物をまだ見ていない。これには毎号「賀川の宗教座談1篇と吉田のサモネット掲載」とある。
また、賀川のリーフレットも次々と出版されているようである。

52-13リーフレット広告神聖

そして本連載の第11回から第17回で取り上げた「間所兼次と購買組合共益社」で、未見のものとして取り上げた「消費組合協会」の機関誌『消費組合時代』の広告などもここには掲載されている。
参考までにそれらも最後に取り出して置きたい。これらの出版物もどこかに残されている筈である。

52-14賀川の顔の入った広告組合の使命

(2010年8月25日記す。鳥飼慶陽)(2014年7月31日補正)



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