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KAGAWA GALAXY 吉田源治郎・幸の世界(58)

58-1初めの写真
  1930(昭和5)年12月14日 日曜学校の教師と生徒たち

58-2今回ははじめにもう一枚の写真
    1931(昭和6)年1月2日~4日の第4回冬期福音学校

   第58回 四貫島セツルメントと吉田源治郎(16)

冒頭の2枚の写真は、『雲の柱』1931(昭和6)年2月号に吉田源治郎が提供していたものである。上の写真には「四貫島セツルメントの日曜学校の近況」として、下の写真には「第4回冬期福音学校の概況」として、それぞれ次の説明が付けられている。

58-3冒頭の文章日曜学校

58-4上に続いてフ湯の福音学校文章

    吉田源治郎の『雲の柱』掲載論文について(昭和6年のうち)

前回、吉田源治郎が昭和5年のうちに執筆した論文のひとつ「『神の国運動の組織神学』として見たる基督教社会学の史的展望」を収めたが、昭和6年の新年号(『雲の柱』)にはその続きがあり、2月号には「『愛餐』の研究」、3月号には「エリイの基督教社会学点描」、4月号には「アポクリファに於ける愛の輪郭」、6月号には「ラウシェンブッシュとその基督教社会学素描」、そして7月号から12月号まで(9月号は「基督教社会運動の足跡」)「『神の国』の研究」を5回にわたる連載、というように学術論文の執筆に打ち込んでいる。

    第5回農民福音学校(兵庫県武庫郡瓦木村高木)2月11日~3月11日

また、吉田源治郎は、「農民福音学校教務主任」としても継続的に活躍している。 

58-5第5回農民福音学校案内
 
この時の詳しい報告は農民福音学校礼拝主事・金田弘義が『雲の柱』4月号で行っている。その文章の末尾に「来年よりは賀川先生の小説「一粒の麦」が生まれでて結ぶであろう鎮守の森の前の常設福音学校に、我等の楽しい村の生活が持たれるであろう事を楽しみつつ」と書いている。

また同じ号の「トヨヒコ」の「放浪の旅より」の欄には、
「帰り途私は、武庫川のほとり鎮守の森の傍らに帰りつくと、はや、日本農民福音学校の敷地に買い求められた土地には土盛りがなされ、20数種類の果樹が植え付けられてあったのには驚かされた。ようやく我々は、永久の農民福音学校を建設するために、瓦木村に本部を据えることになった」と書き記している。

   賀川豊彦の小説『一粒の麦』刊行(昭和6年2月:大日本雄弁会講談社)
                
賀川は仕事の関係で、昭和4年11月には家族と共に西宮を離れて再び松沢村に戻っているが、丁度その時から「一粒の麦」を雑誌『雄弁』に連載を始め、昭和5年12月号まで続けている。

そして昭和6年2月には大日本雄弁会講談社より374頁の単行本として刊行され、忽ち版を重ねるのである。手元のものを見ると、出版2ヶ月後で「67版発行」とある。

下の広告は『雲の柱』同年4月号にあるものであるが、同誌には毎号各界の人々の読書感想が掲載されている。

58-6一粒の麦の広告

  農民福音学校寮(通称「一麦寮」)の完成(昭和6年秋頃)

既述の『西宮一麦教会:五十年のあゆみ』(1998年)の「年表」(「西宮一麦教会前史」)には、「1931(昭和6)年2月5日賀川先生の小説『一粒の麦』が講談社から出版され、ベストセラーとなる。その印税にて、その秋頃、西宮市高木字南芝781(現在の高木東町11)に300坪の敷地を購入し、2階建ての農民福音学校寮(通称「一麦寮」)が建てられた」と記されている。

賀川豊彦はこの年、村島帰之・小川清澄と共にYMCA世界大会への出席などで5ヶ月余りの北米の旅に出ているが、7月7日に横浜を出帆して帰国するのは11月12日である。賀川と杉山が中心になってこの農民福音学校寮の土地取得と建設の基本設計を行ったのであろうが、賀川が米国の旅から帰国してすぐ、昭和6年12月に書いた「トヨヒコ」の「放浪の旅より」(『雲の柱』昭和7年新年号)には、次のように書かれている。

「武庫川のほとりに立てられた農民福音学校寄宿舎「一麦寮」が出来上がりました。これは私の北米における講演旅行のとき貰った謝礼金を基礎にし、その上に米国の青年たちが醵金してくれた約700ドルの金を入れて造ったものです。諸君が利用して下さるなら幸いです。30人くらいは泊まれるようにしておきます。関西学院及び神戸女学院に行く西宮北口のそばにあるのですから非常に便利です。裏にすぐ大きな森があります。瞑想に適します。」

58-7一麦寮の全景
「一麦寮」全景  鎮守の森のすぐ傍に建つ一麦寮の全景である。

次の写真も「一麦寮」。

58-8これも一麦寮の写真

次の賀川の筆書きと升崎の挿絵も『西宮一麦教会五十年のあゆみ』より。

58-9増﨑と賀川の色紙

     映画:一粒の麦
 
間所兼次が残していた二つのアルバムの内、過日「賀川ミュージアム」でその一つを拝見した。
その中に映画「一粒の麦」の写真が数枚あって、下に収めたものはその1枚である。

58-10映画一粒の麦

兼次の美しい文字で「賀川豊彦原作 一粒の麦 嘉吉と芳江」と書かれている。
この映画も人気を博し、この年賀川が北米の旅の折りも米国で上映した記録もある。この映画は、里見明・歌川絹枝演じる福西ジョージ監督作品のものだろうか。この写真をみても俳優さんの名前も私には分からない。

  吉田源治郎「都市伝道研究断片」     (昭和6年12月19日:『雲の柱』昭和7年新年号及び3月号所収)

58-11吉田論文1

58-12吉田論文2

58-13吉田論文3

58-14吉田論文4

58-15吉田論文5つつく

58-16吉田論文6

   高根学園に於けるイエスの友夏期修養会(昭和6年7月21日から4日間)

吉田源治郎もここで講師のひとりとして参加している。

58-17高値學園修養会写真

以上、1931(昭和6)年に於ける吉田源治郎の仕事の一断面である。
なお、また忘れるところであったが、源治郎の著作のひとつ『心の成長と宗教教育の研究』がこの年の6月に出版されている。次回はこれを短く取り出して置きたい。

   (2010年9月3日記す。鳥飼慶陽)(2014年8月6日補正)

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