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KAGAWA GALAXY 吉田源治郎・幸の世界(61)

61-1共益社写真

   第61回 四貫島セツルメントと吉田源治郎(19)

上の写真は、「購買組合共益社四貫島支部」。「消費組合協会」の看板も見える。本連載第11回から第17回まで、共益社創立の前から参画してきた吉田幸の弟「間所兼次」について取り上げ、彼は吉田源治郎が米国留学を終え「四貫島セツルメント」の創立以後も緊密な関係を持ち続けたことは既述の通りである。

61-2セツルメント家庭展覧会ぼやけ

上の写真は、四貫島セツルメントを会場に開催した共益社主催の「家庭経済展覧会」と講演会である。もとの写真が薄く、下手なスキャンで一層ぼやけているが、参考までにこのまま収めて置く。

ところで、1933(昭和8)年も下記のような二つの集会―正月5日間の「関西冬季福音学校」と「日本農民福音学校」(1月11日~2月10日)―でスタートしている。いずれも会場は「一麦寮」である。(『雲の柱』昭和7年12月号掲載の予告より)

60-3農民福音学校案内

昭和8年1月、「日本農村ミッション理事:賀川・杉山・吉田」3人連名の訴え「農漁村伝道を支持せよ!」が『雲の柱』3月号に掲載されている。

60-4農村伝道げき

上記の訴えの後「火の柱」第59号(2月号)に次の写真「新築の会館と愛の園園児」が掲載されている。

60-5新築の愛の園児

  「第11回イエスの友夏期修養会並びに全国大会」(昭和8年7月22日~25日:御殿場・高根学園)

61-6イエスの友案内

下は7月23日の「記念撮影」。会の詳しい記録は「火の柱」第65号(8月号)にある。

61-7イエスの友記念撮影

   吉田源治郎の論文の中から(昭和8年発表分)

 『雲の柱』では前年(昭和7年)12月号から4回連載の「キリストと社会」、8月号「アルベルト・シュワイチェル素描」(これは本連載で掲載済み)があるが、ここには6月号の「それは建物ではない―隣保事業と教会運動への一考察」を収める。「四貫島」での働きの興味深い省察である。

61-8吉田論文1

61-7吉田論文2

61-10吉田論文3

61-4吉田論文4

   『四貫島セツルメント創立五十年記念 五十年のあゆみ』より
 
既に標記の『五十年の歩み』の中から「戦前篇」の「(一)四貫島セツルメントの創設期」並びに「(二)昭和初期より終戦まで」の「(1)教会活動と日曜学校」の短い記述を紹介した。ここにはその続きの「(2)北港児童会館、(3)労働学校の開設、(4)室戸台風」の箇所を取り出して置く。

61-1250年の歩み1

61-1350年のあゆみ2

ここまでは凡そ昭和8年までの歩みを、概略追ってきているので、昭和9年に襲来した上記の室戸台風のことなどは、次回以降に触れることになる。

しかし上に挙げられている「労働学校の開設」に関しては、これまで1度も触れて来ていない。この方面の先行研究は多いと思われるが、手元にひとつ井上和子の論文「賀川豊彦とセツルメント運動―大阪における働きを中心として」(松沢資料館発行『雲の柱』7号:1988夏号所収)がある。

本連載で折々参照している岡本栄一・尾西康充両氏と同じく、井上の論文も、直接「四貫島セツルメント」を取り上げたものである。お会いして話を伺う積もりで本年(2010年)4月、大学へ電話を入れたところ、「先生は退職後お亡くなりになった」とのご返事で、残念なことにその希望は適わなかった。

この井上論文によれば、労働者の街に設立された四貫島セツルメントには、設立当初より「宗教部」「教育部」「診療部」「少年少女部」「出版部」「社会教化部」の他に「ホーム部」があり、労働青年寄宿舎(聖マタイホーム)と職業婦人寄宿舎(聖マリアホーム)が設けられていたことが記されている。

そして「労働学校」に関連して、次のような文章が残されている。

「青年労働者達の集会は特に熱気を帯び、1931(昭和6)年には「庶民総合大学」を企画している。(中略)一方、労働組合の拠点としても同館は大きく活用されることになった。賀川はまず「労働学校」開設を提唱、此花の住民であった西尾末広、大矢省三ら労働運動家が労働問題討論会に同館を利用することを奨励した。(中略)1931(昭和6)年に始まった住友製鋼の労働争議の折には、同館に拠点を置いて戦ったこともあった。」(133~134頁)

ところで、下の写真は、写真説明にもあるように「住友争議解決記念」の時のものである。

61-14住友争議写真

尾西康充氏が『大阪社会労働運動史(第2巻)戦前篇・下』(大阪社会運動協会、1989年)1474頁に収められていたものを見つけ、吉田摂氏へ送られていたものである。この写真は「東 久太郎提供」とある。

なお『賀川豊彦写真集』には、大阪労働学校に関連する2枚の写真が入っている。
一枚は、次の昭和9年に建設された大阪労働学校の「大阪労働教育会館」。  写真には「改築記念」と書かれている。改築前の会館と、改築後の歩みなど学んでおく必要がある。

61-15大阪労働学校会館
                   
下の写真は「大正11年 大阪労働学校の講師陣」と説明書きがある。

61-16大阪労働学校講師陣写真

今回はここで一区切り。

     (2010年9月7日記す。鳥飼慶陽)(2014年8月9日補正)

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