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KAGAWA GALAXY 吉田源治郎・幸の世界(62)

62-1人形

    第62回 四貫島セツルメントと吉田源治郎(20)

上の写真は、小林恵子著『日本の幼児保育につくした宣教師』下巻(キリスト新聞社、2009年、316頁)に収められているものである。

今回は、吉田源治郎が後年(1961年)「ミス・クックのころ―「石ケ辻」時代のランバスをめぐるメモから」(『聖和八十年史』聖和女子短期大学、昭和36年所収)を寄稿した文章を取り出して置くために、上記の著書を再読していて目に留まったものである。

本書については、既に『肉眼に見える星の研究』の盛岡幼稚園のミセス・タッピングの箇所で少し取り上げているが、神戸の「善隣幼稚園と友愛幼児園」のことはもとより、源治郎と幸にとって大切な常盤幼稚園のミス・ライカーのことなど、詳しい研究が盛り込まれていて貴重な労作である。

以下、この著書の中から、ランバス女学院が大阪「石ケ辻」にあった頃のミス・クックに関連する記述を、源治郎の文章の前に、少し切り貼りさせて頂く。

  小林恵子『日本の幼児保育につくした宣教師』下巻より(314頁~323頁の部分掲載)

62-1小林論文1

62-3小林論文2

62-4小林論文3

62-5小林論文4

   吉田源治郎「ミス・クックのころ」(『聖和八十年史』252頁~256頁)

62-6吉田クック1

62-7吉田クック2

62-8吉田クック3

62-9吉田クック4

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この『聖和八十年史』によれば、吉田源治郎は「1929~1941」まで「社会学」を講じたようである。
因みに、西阪保治は「1926~1941」まで「日曜学校教授法」を、竹内愛二は「1932~1941」まで「社会学」を担当している。(98~99頁)

なお、上記の吉田源治郎の文章のところに、吉田摂氏による次の面白い書き込みがある。オマケに添えて置く。

「あだ名 吉源(よしげん)と生徒に呼ばれ、吉源長女敬子がランバスに入学すると、上級生が3Fの寄宿舎の部屋に現れ、口々に「吉源なんとかして」と苦情を言われた。ノートを取るも黒板の字が読めない、話し方は早口で、とてもノート取りどころではない、という。」

  竹中正夫著『ゆくてはるかに―神戸女子神学校物語』より(教文館)

62-11竹中表紙

本書「第4章―変革期 1930-1941年 ゆかしきみむね」のところには、「神戸女子神学校」の「新しい展開―社会事業科」の項がある。吉田源治郎のことにも触れて、次のような記述があるので、これも部分紹介をさせて頂く。(320頁~327頁)

62-12竹中文章みじかい

62-13竹中文章写真入り

62-14竹中文章つづき

62-15竹中文章つづき

62-16竹中文章つづき

62-17竹中文章写真

62-18竹中文章最後

竹内愛二は、日本にケースワーク理論を最初に紹介した人として知られるが、『雲の柱』にも昭和6年から7年にかけて研究論文を寄稿しており、後に関西学院大学の教授として教鞭を取っている。
 
     (2010年9月8日記す。鳥飼慶陽)(2014年8月10日補正)

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