KAGAWA GALAXY 吉田源治郎・幸の世界(64)
第64回 四貫島セツルメントと吉田源治郎(22)
上の写真は、説明にあるように昭和9年の室戸台風の時の四貫島である(『四貫島セツルメント創立80周年・輝け命』23頁より)。
9月21日に西日本を襲ったこの台風は、大阪と神戸の間に上陸し、死者は不明を合わせて3000人余り、負傷者は1万5千人を数える甚大な被害を与え、四貫島セツルメントも当然大変な損害を受けることになった。
既に第61回で『四貫島セツルメント創設五十年記念:五十年のあゆみ』に記されていた「室戸台風」の項を取り出しているが、改めて次に再掲して置く。またそれに加えて、賀川豊彦が『雲の柱』11月号の「旅から旅へ」に於いて、この時の取り組みの一端を書き記しているので、それも続けて収めて置きたい。
賀川はそこで「吉田源治郎氏が9月21日以後殆ど家に帰らないで、同志と一緒に救済事業に努力してくれられた事はほんたうに嬉しかった」と書いている。
昭和9年の最大の出来事は、何といってもこの台風による街と人の被害と救援・復旧の取り組みにある。
『四貫島・五十年のあゆみ』と『雲の柱』11月号「旅より旅へ」より
吉田源治郎「タンカを切る賀川 何じゃい、大住友が」
(『百三人の賀川伝』キリスト新聞社、昭和35年、250頁~251頁)より。
ここまで昭和9年の最も大きな出来事であった9月21日の「室戸台風」に関わる事を取り上げてきた。
ところで取り上げ方が前後するが、昭和9年も1月2日から5日間の「イエスの友関西冬期福音学校」を「一麦寮」を会場にして開催し、年の始めのスタートをしている。
そしてこれも恒例の「第8回日本農民福音学校」も1月11日から2月10日までの1ヶ月間、杉山・賀川・吉田・藤崎・升崎・マヤス・村島・遊佐・中島・岩崎・山本ほか豪家な講師陣で開催し、勿論会場は同じ「一麦寮」である。
さらにこの年も、7月6日から29日まで「第12回イエスの友夏期修養会と全国大会」が御殿場町・高根学園で開催され、吉田源治郎も「兄弟愛史上に輝く三大明星」と題して講演を試みている。「火の柱」第77号(昭和9年8月)には、「吉田先生の「人形芝居」が秀逸であった」とあるが、どんなものであったのであろう。
下の写真は、同じ紙面に「感激と瞑想の四日間」の見出しの修養会の模様の囲み記事の中に小さく収められていたもので、拡大しても顔も特定出来ないものなので、このまま収めて置く。
吉田源治郎の論文「母性教育についての一考察―成人教育の一面としての」(『雲の柱』昭和9年6月号所収)
この年の吉田源治郎の論文をひとつ取り出して置きたい。
今回の最後に、「昭和9年頃、西宮市今津高潮町の吉田源治郎先生宅にて四貫島教会日曜学校教師のクリスマス・スキヤキ会」と記される写真を収める。
前列左2人目は吉田源治郎、その右の子供は3男摂(たすく)、その隣は母・吉田幸、その右隣は次男恵(めぐむ)、その隣は源治郎の母・吉田ゆき。吉田幸の真後ろが長女・敬子。
補記
吉田源治郎は、昭和9年に「夏期聖書学校の研究」という論文か著書を「基督教宗教教育講座」のひとつとして基督教出版社というところから刊行しているのではないかと思われるが、この著作は未確認である。
(2010年9月10日記す。鳥飼慶陽)(2014年8月12日補正)
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