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KAGAWA GALAXY 吉田源治郎・幸の世界(67)

67-1卒園式

   第67回 四貫島セツルメントと吉田源治郎(25)
 
上の写真は、昭和12年3月に撮影された「第10回天使保育学校終了記念」である。
これまで見てきたように、四貫島セツルメントは1925(大正14)年10月1日、大阪市此花区四貫島旭町1丁目に開設された。そして1927(昭和2)年10月には「天使会館」を新築し、四貫島大通3丁目6に「天使保育学校」は開園する。
毎回こうした修了記念写真は残されている筈であるが、とりあえず手元にあるこの1枚をここに挙げて置く。
吉田源治郎の両脇のふたり教師はどなたであろう? 

67-2本文はじめにクリスマス写真

上の写真は、「昭和12年:中等科ページェント」と裏書されたものである。 

   昭和12年の四貫島の動き (『四貫島セツルメント・五十年のあゆみ』12頁~14頁)

67-3昭和12年50年のあゆみ1

67-450年のあゆみ2

上に記されているように、昭和12年の始まりも「一麦寮」に於ける「関西冬期福音学校」と「日本農民福音学校」であった。
『雲の柱』に掲載された「案内」を記録として、次に収めて置く。

   関西冬期福音学校(昭和12年1月2日~4日・一麦寮)

67-5関西冬季福音学校案内

  第11回日本農民福音学校(昭和12年1月7日~2月6日・一麦寮)

67-6農民福音学校案内

吉田源治郎は、「四貫島セツルメント」とほぼ時を同じくして、昭和2年に賀川豊彦宅に於いて杉山元治郎らと始めた「日本農民福音学校」やその後、宿泊寮として建てられた「一麦寮」が完成する昭和6年以降の「関西冬期福音学校」などの関わりの中から、次々と四貫島以外にも、新たな保育園や教会形成に参画してきている。

賀川は『雲の柱』昭和12年3月号の「武蔵野の森より」に、「大和の馬見村」「大阪生野聖浄会館」のことなどに触れて、次のように書いているので、先ずそれを挙げて置く。

67-7武蔵野の森より

この「武蔵野の森より」の後半に触れられている「生野聖浄会館」と吉田源治郎の関係については、既に前回少し取り出しているが、この会館の建設は下の「上棟式」の写真のように(『雲の柱』昭和12年2月号)順調に進み、予定通り、昭和12年1月末には落成している。

67-8生野会館上棟式写真

完成した建物の写真も、『賀川豊彦写真集』に収められ、「ボストン館」と呼ばれていたようである。

 落成した生野聖浄会館

67-9完成した生野会館写真

そしてまた、賀川の「武蔵野の森より」のはじめに書かれている「大和の馬見村」についても、吉田源治郎との関係は深かったが、賀川はこに次のように書いている。

「2月1日、私は大和の馬見村の労祷学園の献堂講演会に行った。村としては珍しい立派な会館が出来たので、何よりも嬉しいと私は感謝している。毎日五十人位の村の子供を保育し時々農民福音学校を開催し、大和に於いて珍しい、キリスト教文化を、ここより放射してゐる。その中心人物は堀江夫人であるが、彼女の謙遜な努力を我々は永久に忘れてはならぬと思ふ。」

「2月1日」に献堂講演会の行ったという、その時の記念写真が、松沢資料館の『雲の柱』4号(1985年)のグラビアに収められている。下の写真がそれである。
 
67-10馬見の大和農民福音学校写真

   『馬見労祷教会:創立五十周年記念誌:恵みの旅路』(1999年)より
     (現在地:奈良県北葛城郡広陵町平尾546)巻末の「年表」の一部

67-11馬見記念誌年表1

この教会は保育園からスタートしているが、戦後1947(昭和22)年5月に日本基督教団の教会として認可され、吉田源治郎が初代の牧師として就任している。西宮一麦教会と今津二葉教会を兼務しながら、長期に渡ってその働きを担い続けたことがわかる。

この『記念誌』には、40数人の「所感集」が集められ、源治郎に纏わるエピソードが溢れている。ここにあるのは「戦後の吉田源治郎」の思い出であるが、後任の板橋満男牧師と大山浩作氏の文章を、ここに取り出させて頂く。

67-12板橋文章1

67-13板橋文章2

67-14板橋文章3

なお、前掲の松沢資料館『雲の柱』4号には、昭和60年に収録した座談会「馬見に集まった人々」が残されている。

今回の最後に、いつも吉田源治郎は主催者の講師のひとりとして参加している、恒例の夏の集い「イエスの友第14回夏期修養会及び全国大会」(昭和12年7月23日~25日・箱根堂ヶ島、大和屋旅館)を挙げて置く。

67-15イエスの友修養かい案内

この年の修養会の主題は「敬虔・労働・純潔・平和・奉仕の実践大系」である。

「イエスの友会」の、特に吉田源治郎らが専ら実験を重ねてきた活動の検証の場となっており、「全国大会」の議事に於いても、議事録をみると吉田源治郎が議長を、間所兼次が書記をつとめ、「看護婦ミッション」「麻薬中毒者救済」「結核予防促進案」「水上生活者伝道」など活発な質疑が行われている。

下の写真は『賀川豊彦写真集』に収められているものである。写真説明には「昭和11年 第14回夏期修養会 14th Summer Retreat in 1936」とあるが、「昭和12年」「1937」の誤りである。

67-16修養会の写真

 付記
 昨日(2010年9月13日)は、この連載を見て頂いている梅村貞造・吉田摂両氏からお電話をいただき、第60回の3頁目に掲載した「第4回関西イエスの友夏期修養会」の写真を四貫島に於ける記念写真として説明している箇所について、あれは「四貫島」ではなく、「一麦寮」が建てられる以前の、賀川豊彦と杉山元治郎の宅のある武庫郡瓦木村高木東ノ口ではないかと、過日地元の方に直接あの写真を見て頂いて確認されたところ、その通りであると話されたそうである。
また、同じくその7頁目に収めた間所兼次が写っている「第4回関西イエスの友夏期修養会」の横幕の入った写真も、間違いなく「東ノ口」の場所の写真である、ということであった。
これまでの連載分の中には、こうした間違いが少なくない筈であるが、このようにしてご覧頂いている方々によって補正されていくための、ひとつの資料紹介ということでもあるので、お気づきのことは、お手数ながらご教示頂ければ有り難い。

     (2010年9月14日記す。鳥飼慶陽)(2014年8月15日補正)


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