スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

KAGAWA GALAXY 吉田源治郎・幸の世界(70)

70-1結核保養

   第70回 四貫島セツルメントと吉田源治郎(27)

上の記事は「火の柱」第112号(昭和13年12月)に掲載されているものである。その次の号(昭和14年1月)には、賀川ハルが小川清澄・河合義一両氏と共に、初めて「豊島」を訪ねた記事が入り、上の訴えに応えて全国からの献金が寄せられ、毎号のように「奥座生」の「豊島便り」が連載されている。

「奥座生」とは「奥座克己牧師」のことで、昭和13年春から留子夫人と共に「豊島」に来て、賀川の「豊島に於ける保養農園づくり」に関わっていた方のようである。

その詳しい経緯は、当時(昭和13年夏)結核療養のため豊島で生活を始めた緒方彰氏の著書『鷲のように羽ばたく―ある労働行政マンの半生』(キリスト新聞社、1983年)の「豊島の神愛保養農園」の項に記されている。この「保養農園(神愛館)」は地元の反対で昭和14年に閉鎖されるのであるが、その経緯も本書に詳しい。
 
ところで、吉田源治郎も昭和14年5月8日、升崎外彦と共に「豊島」を訪ねている。その報告が『雲の柱』6月号にあるので、次に取り出して置く。後にここで「豊島農民福音学校・立体農業研究所」を続ける藤崎盛一の報告も、途中までであるが併せて収める。

70-2吉田の豊島報告

70-3吉田の豊島報告2

  『四貫島セツルメント:五十年のあゆみ』に見る昭和14年の動き(14頁~16頁) 
  この年の働きを取り出す前に、先ずいつものように、下記の記録を読んで置く。

70-450年のあゆみ1

70-550年のあゆみ2

70-6つづいて統計記録

ここには、「大阪イエス団教会」の「昭和13年末現在」の会員数や礼拝出席数、日曜学校や献金額、さらには所属していた「日本基督教会浪速中会58教会中の順位」までが記載されている。

別の関係資料によれば、「昭和2年、浪速中会出張伝道地・試補教師・吉田源治郎」とあり、「大阪イエス団教会・大阪市此花区四貫島大通3丁目7・昭和2年12月18日設立」となっている。

また、貴重な統計記録もあるので、先ず下に昭和16年に「日本基督教団」に属するまでのものを収めて置く。 なお、昭和10年より「北港児童会館」(大阪市此花区秀野町43)に於いて「大阪イエス団教会の北港伝道所」として、活発な働きを重ねている。記録によれば、「大阪イエス団教会」は前記の通り、昭和2年12月18日が創立年月日になっていて、昭和15年3月30日が「教会設立認可年月日」と記されている。

また前掲『四貫島セツルメント創立80周年:輝け、命』(2005年)の「四貫島セツルメントの歩み」(年表17頁)によれば、「日本基督教団」への加入と「大阪四貫島教会」への名称変更などに関して、次のように記されている。

「1941(昭和16)年6月 大阪イエス団教会は1940年施行の宗教団体法による教会合同により日本基督教団に加入し、大阪四貫島教会となった。前後して四貫島セツルメントは「友隣館」に、天使保育学校は「天使保育園」と改称。」
「1945(昭和20)年8月 終戦。大阪は瓦礫の巷と化し、すべての事業が休止状態となった。」
「1945(昭和20)年9月 吉田源治郎館長・牧師退任」
 
前に「大阪イエス団教会」の時までの統計資料を上げてあるが、「日本基督教団・大阪四貫島教会」以後のメモもあるので、ここに取り出して置きたい。

70-7大阪四貫島教会の記録

さて、これまで年毎に、年頭の二つの「福音学校」の「案内」を掲げてきたが、昭和14年も同様に「一麦寮」を会場にして、盛会の内に開催されているので、ここに収めて置く。なお、この年の正月2日から4日までの福音学校は、名称を「イエスの友関西冬期福音生活学校」として、新たに「生活」という言葉を挿入している。

70-8イエスの友冬季学校案内

70-9つづいて農民福音学校案内

  吉田源治郎「将来社会事業としての精神衛生社会事業の任務」
          (『雲の柱』昭和14年3月号)

70-10吉田論文1

70-11吉田論文2

70-12吉田論文3

70-13吉田論文4

70-15吉田論文5

70-15吉田論文6

   吉田源治郎「大阪雑記」(『雲の柱』昭和14年4月号)

70-16大阪雑記1

70-17大阪雑記2

今回も頁が増えてしまったが、最後に「新川伝道30年・イエスの友20年記念夏期修養会」が、奈良の朝日屋旅館で開かれ、その案内が「火の柱」119号(昭和14年7月)にあるので、それを次に収めて置く。

70-18火の柱イエスの友

なお、昭和4年1月からであったか「Kingdom of God Weekly」「神の国新聞」が刊行されており、その復刻版も出ている。

前に触れたことのある「基督教家庭新聞」と同様、吉田源治郎の寄稿作品も多いのではないかとバックナンバーを捲って見たが、昭和13年までは殆ど登場することはなく、なぜか昭和14年から16年までに吉田作品は集中している。
「新聞」なので短い作品ばかりであるが、埋もれている所にお宝もある筈なので、次回はそれを取り出せるように、早速これからその準備をして見たい。                    

  「火の柱」第120号(昭和14年8月)に掲載された夏期修養会参加者

70-19日の柱イエスの友つづき

      (2010年9月16日記す。鳥飼慶陽)(2014年8月18日補正)


スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

keiyousan

Author:keiyousan
このブログのほかに同時進行のブログもうまれ全体を検索できる「鳥飼慶陽著作ブログ公開リスト」http://d.hatena.ne.jp/keiyousan+toritori/ も作ってみました。ひとり遊びデス。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。