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KAGAWA GALAXY 吉田源治郎・幸の世界(74)

74-1豊島の賀川

   第74回 四貫島セツルメントと吉田源治郎(29) 

上の記事は「火の柱」第134号(昭和15年10月)にあるものであるが、既に前号にも触れ、この記事にもあるように、賀川豊彦は逮捕・拘留・釈放のあと「直ちに豊島へ」渡っている。

昭和15年の歩みの前半については既述の通りであるが、この年の大事件はこの出来事であった。
予告の通り今回は、急遽「終刊号」となった『雲の柱』10月号を取り上げ、そこに収められた四貫島セツルメントと消費組合大阪共益社の事業概要を収める。

74-2四貫島のセツルメント

74-3セツルメントつづき

74-4さらにセツルメントとつづk

74-5さらにセツルメントtづき

74-6さらにつづく

74-7さらにつづく(これで終わり)

ここに収めることの出来た吉田源治郎と間所兼次の報告が「終刊号」に収められていたことは、本当に有り難い事である。

吉田源治郎の昭和15年9月13日に記した「四貫島セツルメント」は、書き始めのところに「武内勝」のことが取り上げられているのを読んで、心を熱くさせられてしまった。昨年このサイトで「武内勝」をずっと追い続けて「苦労人・武内勝」の物語が蘇って来たからである。

ともあれ、吉田源治郎自らが綴った「四貫島セツルメント」の働きがこの雑誌に記録されていたことは重ね重ね有り難い事である。

この報告によれば、昭和15年9月下旬には「15周年記念」の催しが準備されている。賀川豊彦は瀬戸内の「豊島」へ渡っているので、これには出席できていないであろうが、今のところこの時の記録や写真など確認できていない。

なお、吉田源治郎のこの報告には、昭和12年に西宮市今津高潮町の今津二葉幼稚園の経営に任ぜられたこと、また同幼稚園内に今津二葉教会を創設したことなども記されている。

たびたびお断りしているが、本連載を「吉田源治郎・幸の世界」としながら、「吉田幸」のことをいつも後回しにし、「四貫島セツルメントと吉田源治郎」を追う形になっている。間もなく一区切りがつくので、あと暫しお待ちあれ。

この報告の最後のところには、昭和15年現在の職員も挙げられている。
館長が吉田源治郎、副館長が間所兼次、保母に吉田敬子。そして今津二葉幼稚園の主任保母は吉田幸の名がある。

吉田源治郎の「四貫島セツルメント」の報告のあとに、間所兼次による「消費組合共益社」のものもここに収めた。
本連載の第11回から第17回まで「共益社と間所兼次」のことを取り上げて見たが、この報告は、大正9年から昭和15年までの20数年間にわたる激動の「共益社」を、間所兼次自らの諸経験を交えて、簡潔に綴った、これまた貴重な記録である。

なお、この「終刊号」には「生野聖浄会館」「馬見労祷学園」などの報告もあるが割愛した。賀川豊彦の巻頭説教「エレミヤ哀歌に学ぶ」、村島帰之の「雲の柱十九年私史」など収めて大きな節目とした。

『雲の柱』は、賀川豊彦主筆の個人雑誌として刊行され続けてきたが、これまで取り出してきたように、吉田源治郎の場合だけを見ても、重要な学術的論文を自由に寄稿できる場となり、KAGAWA GALAXYの大切な「ひろば」となってきた、稀有な雑誌であった。

「四貫島セツルメントと吉田源治郎」を綴る上でも、基礎資料の少ない中で、この雑誌に度々登場してきた吉田論文の存在が、やはり大きな柱になっているように思われる。

昨年「武内勝所蔵資料」を閲読する折、不揃いながら『雲の柱』のバックナンバーが多く残されており、今回その原本をそのままスキャンして活用する事が出来たのも幸いした。そして不揃い分は「賀川ミュージアム」にある『雲の柱:復刻版』を全巻少しずつお借りして関係箇所をコピーし、ここに掲載してきたが、はじめて今回この雑誌を一通り、ざっとではあるが、眺め通す機会となった。

従ってこの後の昭和16年以降は、イエスの友会の機関紙「火の柱」が頼りになる。
幸いこれも「復刻版」が「賀川ミュージアム」にあるので、これまで通りそれをお借りしてコピーし、必要な箇所をスキャンして埋めていこうと思っている。

    四貫島の地図

今回の最後に「四貫島の地図」を掲げて置く。
これは先日(2010年9月16日)、吉田摂氏から郵送して頂いたものである。書面には「小川先生から送られた地図(四貫島セツルメント周辺)戦前戦後のものです」と記されている。「小川先生」は、「四貫島友隣館館長・(特養)ガーデン天使園長」の小川佐知子氏で、この連載にも力添えを頂いている方である。この連載をスタートしたあと、わたしは一度お訪ねしただけで、「四貫島周辺」のことはいうまでもなく、大阪という街は、まったく不案内である。

お送り頂いた地図を見てもよくわからないままに、今から適当(?)にコピーをして、以下に紹介して置きたい。
現在の地図と重ねて見て貰えれば、分かり易いかもしれない。

   「昭和12年2月調べ 最新の此花区」より「区政一覧」

74-8区政一覧

「昭和12年2月調べ 最新の此花区」より

74-9最近の此花区地図

    昭和7年の四貫島セツルメント周辺

74-10セツルメント周辺の地図

    戦後の地図であるが年代不明(国道43号線はまだ開通していない)

74-11戦後の地図年代不詳
        
     昭和10年~18年ごろの千鳥橋筋

74-12昭和10年ごろの千鳥橋

    昭和10年~18年ごろの此花公園(現区役所)付近

74-13昭和10年ごろのこの花公園

 次回は昭和16年以降に進む。

     (2010年9月18日記す。鳥飼慶陽)(2014年8月22日補正)





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