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KAGAWA GALAXY 吉田源治郎・幸の世界(77)


77-1高木地図

   第77回 今津二葉幼稚園と今津二葉教会(1)

上の地図の制作年は分からないが、右上の武庫郡瓦木村(一麦寮の建てられた場所)と中央下の武庫郡今津村(今津二葉幼稚園・今津二葉教会と吉田一家のあった場所)とは、近距離にあることが分かる。

既に見てきたように、吉田源治郎は大正14年7月初旬、米国留学と欧州視察を終えて帰国し、ふたりの故郷・伊勢で留守を守り幼稚園で働いていた幸のもとに直行、その後の住居を、上掲今津駅の近くに求めたのであった。源治郎はここから大阪の四貫島セツルメントの設立に奔走することになった。

そこで今回から暫く「今津二葉幼稚園と今津二葉教会」の項を起こして、幼稚園は吉田幸が、教会は吉田源治郎が、共に力を尽くしてきた戦前期の働きを、できるだけ手短に辿って置きたい。昭和20年8月の米軍による空襲で、無残にもこの幼稚園と教会も、四貫島セツルメントと同様、全て灰塵に帰して仕舞うのである。

実は、この幼稚園と教会の戦前期の歩みに関しては、既に二つの行き届いた刊行物が存在する。
一つは、1991(平成3)年3月に作られた『日本基督教団甲子園二葉教会 創立五十周年記念誌―1939年~1989年歩み』(以下『教会記念誌』と記す)であり、もう一つは、2003(平成15)年12月に出版された『甲子園二葉幼稚園八十年史』(以下『幼稚園史』と記す)である。

いずれも新しい刊行物であり、関心をお持ちの方は発行元にお問い合わせの上、現物を一読いただくことを期待して、ここでは、いま手元にお預かりしている写真その他関係資料と、上記二つの刊行物に収められている夫妻の言葉や関係者の証言などのいくつかを紹介して置きたいと思う。

最初に地図がもう1枚あるので収めて置く。冒頭に掲げた地図の年代は明確ではないが、下の地図は明治44年のもので瓦木村と今津村があり前掲の地図より少し古いようである。

77-2本文の地図

   吉田幸「二葉幼稚園と教会のはじまり」について(『教会記念誌』より)

77-3吉田幸の文章1

77-4吉田幸の文章2

77-5吉田幸の文章3

77-6吉田幸の文章4

77-7吉田幸の文章5

77-8吉田幸の文章6

77-9吉田幸の文章7

77-10吉田幸の文章8

77-11吉田幸の文章9

この吉田幸の語りは、ご覧の通り源治郎亡き後、幸の最晩年のものである。聞き上手・語り上手、上手な纏めである。吉田幸という方の人柄がよく伝わってくる語りである。

今回は写真2枚収めて置きたい。薄くて判読困難であるが裏書があるのでそれと共に。

  昭和2年3月 小泉先生の芝生のお庭 小泉園長夫妻 木村てるの 吉田幸

77-12写真裏書

77-13写真

上の写真と同じとき(昭和2年3月)の二葉幼稚園卒業の日の在園生と共に写した写真。これにも裏書があるので、それと共に収めて置く。

77-14追加写真裏書

77-15写真

    (2010年9月21日記す。鳥飼慶陽)(2014年8月25日補正)



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