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KAGAWA GALAXY 吉田源治郎・幸の世界(78)

78-1甲子園写真

   第78回 今津二葉幼稚園と今津二葉教会(2)

上の写真は「空からの撮っておき:毎日新聞の写真今昔」(1993年3月15日夕刊)にある昭和5年の甲子園球場である。第7回春の大会がこのとき開かれた。
今津二葉幼稚園は、甲子園球場上の甲陽中学の直ぐ左あたりにあったようである。

  今津二葉幼稚園の戦前の園舎(『幼稚園史』17頁18頁)

『幼稚園史』には、昭和9年当時の甲子園球場の写真とその周辺の説明があり、次のような「戦前の園舎」に関する記述がある。

78-2今津幼稚園戦前の園舎文章1

78-3文章のつづき

さて今回は、『教会記念誌』に寄稿されている小泉功の玉稿「今津二葉教会の誕生とその後の推移について」を取り出して置きたい。

78-4小泉の写真

小泉功は、今津二葉幼稚園の創立者であり初代の園長(1923年~1937年)であった「小泉澄(きよし)」(上の写真)のご子息である。小泉功のこの文章は16頁にわたる力作で、内容的にも重要な報告であるが、長文のためここではやむなく、父・小泉澄に関する前半部分を割愛し、後半10頁のみを掲載させて頂く。

   小泉功「今津二葉教会の誕生とその後の推移について」(『教会記念誌』より

78-5小泉の文章1

78-6文章2

78-7文章3

78-8文章4

78-5小泉の文章5

78-6文章6

78-7文章7

78-8文章8

78-9ぶんしょう9最後

この報告の最後のところに、小泉功は数行を用いて、次のように記している。

「時勢は逆行的であり、学校におけるわたしの身辺も危うくなってきましたので、昭和17年3月29日の聖日礼拝を最後として、隠遁のような形で東京へ身を移しました。その日の今津二葉教会のオルガン奏者は、小泉功ではなく、二葉薫(わたしの音楽上のペンネーム)となっております。」(文章を少し省略した)

実は先に『雲の柱』を追っていた時、「二葉薫」は最初「小松栄」の筆名で、昭和14年9月号より「教会音楽物語」の連載を始め、連載途中の第4回(昭和15年1月号)から「二葉薫」に変更して、昭和15年6月号まで第7回の連載を残し、加えて同じ「二葉薫」名で、「教会楽人大中寅二先生」と題する新たな連載を昭和15年3月号から10月号(「終刊号」)まで8回の連載を続けており、終刊がなければ、さらに連載も続く勢いであった。

なぜ「小松栄」は連載途中で「二葉薫」筆名を変えたのか、そのときの『雲の柱』の編集後記の書き方がずっと気に懸かっていたので、小泉の上記の数行で、一応の納得を得ることが出来た。

小泉功が最初「小松栄」のペンネームを「二葉薫」にしたのには「二葉幼稚園」の「二葉」と無関係ではないであろう。『幼稚園史』の「園名の由来」のところには「土曜学校が「二葉子供会」の名称ではじまったことによる」とある。
 
最後に、前回の昭和2年3月の二葉幼稚園卒園写真に続いて、今回は2年後(昭和4年3月)の記念写真を収めて置く。
                     
78-14写真
   (上) 小泉邸の庭 小泉夫妻を真ん中に 右2人目が吉田幸

    (下)卒園式の日に 母の会で全員着物姿 前列左4人目が吉田幸

78-15写真つづき

   (2010年9月21日記す。鳥飼慶陽)(2014年8月26日補正)
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