スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

KAGAWA GALAXY 吉田源治郎・幸の世界(81)

81-1父兄写真

   第81回 今津二葉幼稚園と今津二葉教会(5)

上の写真は、昭和17年3月29日、今津二葉幼稚園を会場にして開催されたキリスト教保育連盟関西部会の講習会に集まった人々で、小泉邸の芝生のある庭での記念写真である。

この時の事は『幼稚園史』に記されているので、その箇所を下に取り出して置く。

81-2文章始めの関西部会

  小泉功の未完の労作「教会音楽物語」と「教会楽人大中寅二先生」

ところで前回、『教会記念誌』の「教会戦前史年表」に関連して少し触れたかも知れないが、今津二葉教会のオルガニストで、幼稚園の音楽教育にも尽くした小泉功は、「小松栄」の筆名で『雲の柱』の昭和14年から昭和15年にかけて「教会音楽物語」を7回にわたって連載し、併せて更に「二葉薫」の筆名に変えて、同じ『雲の柱』の昭和15年3月から終刊号の10月まで8回にわたり「教会楽人大中寅二先生」を連載していた。

「教会音楽物語」は「音楽とは何か」「音楽の歴史性・社会性」「宗教と音楽」「教会音楽と日本音楽」など教会音楽の基礎概論を展開したもので、小泉功にとっては全体構想の「序説」にあたるもので「終刊」のため中断した労作である。

完成した著作として存在しているかも知れないが確認できていない。そもそもこの作品が『雲の柱』に登場することになった経緯は、吉田源治郎からの勧めがあってのものであった。

他方同時並行的に『雲の柱』を飾ったもうひとつの意欲作「教会楽人大中寅二先生」の方は、賀川豊彦の慫慂があってのことであったようである。

一知半解な言葉を綴るより、「二葉薫」が「終刊号」の連載の末尾で「読者の皆様に!」として、昭和15年9月5日付けの文章を残しているので、それを一読頂くことにしたい。

81-3読者の皆様に

81-4文章のつづき

作曲家でありオルガニストとして知られる大中寅二は、明治19年生まれ。初め大阪教会のオルガニストで、同志社大学ではグリークラブのテノールを、そして卒業後結婚してドイツに留学、というあたりまでが、この連載には綴られていたのではないかと思う。

大中は、作曲を山田耕作に学び、島崎藤村の詞に大中寅二が曲をつけた「椰子の実」をはじめ「白百合」「旅愁」など「国民歌謡の作曲者」として広く知られている。

長期間、東京・霊南坂教会のオルガニストとして活躍して教会音楽の発展に尽くし、昭和57年にその生涯を終えている。小泉功に多大な影響を与え人物である。

小泉功が『雲の柱』で連載中、賀川豊彦が「讃歌の音楽者大中寅二に捧ぐ」という小品を昭和15年3月3日に書き上げ、6月号に掲載したものがあるので、次に収める。

81-5賀川の文章讃歌


   メイスン・ハムリン社製 リード・オルガンのこと

 『教会記念誌』所収の小泉功「今津二葉教会の誕生とその後の推移について」を先に取り出した中に、神戸ユニオン・チャーチから四貫島セツルメントに譲渡され、昭和9年の室戸台風で修理不能のまま放置されていた標記のオルガンが、今津二葉教会に引き取られて修理され、昭和12年6月に小泉のオルガンで最初の日曜礼拝が持たれたことなどが、生きいきと記されていた事をご記憶と思う。

81-6オルガン

上の写真は、現在明治学院にある同型のオルガンで、リード・オルガンとしては最大級のものだそうである。残念な事に、今津二葉幼稚園(教会)で用いられたオルガンは、戦争で焼失した時に失われてしまった。

このオルガンに関しては『教会記念誌』所収の今井鎮雄(当時学校法人イエス団理事長)「甲子園二葉教会五十年誌に寄せて」の中に、今津二葉幼稚園がイエス団に移行された経緯と共に、今井は「賀川の日記」として取り出された賀川の言葉があるので、その部分を取り出して見たい。

下の文章81-7オルガン

81-8オルガン下の文章のつづき

ここに「賀川の日記」として引用されているのは、調べてみると『雲の柱』の昭和12年10月号にある賀川豊彦の「武蔵野の森より」の欄に書かれているものの部分引用のようである。

この箇所は『賀川豊彦全集』第24巻に収められている「身辺雑記」のところにも全文があるので、念のためそれを次頁に取り出して置く。

81-9文章さらにつづく

残念ながら、このオルガンの姿は今のところ写真では確認できないようで、『幼稚園史』には昭和16年ごろの幼稚園ホールの珍しい写真として、下のものが収められている。

81-10吉田・ピアノ・絵の或写真

話しているのが吉田幸、幸の後のカーテンの中に大きなオルガンがあるのだそうである。
正面に見えるのはピアノで、ピアノの横に架かっている絵は、長尾己の作品「眠る幼児」の油絵であるようである。
焼失した同型のオルガンを苦労して探し当てられたのが、前掲の明治学院に大切に所蔵されていたあの立派なオルガンであった。

序でにと言えばへんであるが、先程の今井鎮雄の寄稿文にある幼稚園の土地建物のイエス団への移行の件で、吉田源治郎の書き残した面白い文章があるので、ここに挙げて置きたい。

これは「四貫島セツルメントと吉田源治郎」の所で紹介した『百三人の賀川伝』に入っている「タンカを切る賀川」の中の、ひとつのエピソードの部分である。

81-11タンカを切る

昭和15年9月、小泉功は「二葉薫」の名前で作曲集『子供の歌』を日曜世界社より出版した。
これには「大中寅二」の「序」が付いている。

ここではその「序」と著者の「公刊に際して」を収め、3年後の昭和18年2月に刊行された「第弐輯」の中に収められている吉田幸作詞・二葉薫作曲「すずめ(音感教育のため)」の楽譜を、最後に入れて置きたい。

81-12子供の歌表紙

81-13子供の歌の序

81-14公刊に際して

81-15すずめ

今津二葉幼稚園と今津二葉教会に於ける、特に戦前期の活躍振りは、先の「教会史年表」を辿ればおおよそのことが確認できる。

小泉功は、由木康と共に『礼拝と音楽』誌などにもたびたび寄稿したり、賛美歌の編纂にも力を尽くし、現行の『賛美歌21』にも由木康詞・小泉功曲として378(栄光は主にあれ)収められて親しまれている。

なお、手元には持たないが、由木康・小泉功共著『古い歌・新しい歌』(日本基督教団出版局、昭和54年)も刊行されている。

吉田摂氏は、東京・東中野教会に於ける小泉功氏の葬儀に参列されたことを、先日の電話で話しておられた。
    
    (2010年9月25日記す。鳥飼慶陽)(2014年8月29日補正)


スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

keiyousan

Author:keiyousan
このブログのほかに同時進行のブログもうまれ全体を検索できる「鳥飼慶陽著作ブログ公開リスト」http://d.hatena.ne.jp/keiyousan+toritori/ も作ってみました。ひとり遊びデス。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。