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KAGAWA GALAXY 吉田源治郎・幸の世界(90)

90-1四貫島写真
 昭和23年11月13日 大阪四貫島教会再建:平日は保育園として活用

    第90回 四貫島の献堂・一麦保育園舎新築など

前回は「昭和23年の吉田源治郎」として一瞥したが、重要な出来事をひとつ抜かしていた。それは、戦災によって吉田一家の住む自宅も今津二葉教会と幼稚園並びに四貫島セツルメントも全て焼失された源治郎は、一麦寮での避難生活を余儀なくされてしまった後、深い傷跡を残した大阪四貫島教会と四貫島友隣館・保育園の復興を託された小川三男・敬子夫妻は、上の写真に見るように、見事その再建を果たし、昭和23年11月13日には盛大な献堂式が執り行われ、賀川豊彦はその時の記念礼拝の説教を行っている。

今回はそのことを最初に取り出し、昭和24年2月には「神戸イエス団の落成」があり、更に9月には一麦保育園では、老朽した「ヤへ・シバ館」を新園舎に新築する工事も完成させているので、それらを含めて「昭和24年の吉田源治郎」の歩みを辿って置きたいと思う。吉田源治郎一家はこの年まで一麦での長い避難生活を強いられていたようである。

90-2教会の写真

上の写真は、「大阪四貫島教会」の新会堂で、四貫島友隣館の事務所として、また保育園として用いられた。

次の文章は、前掲『四貫島セツルメント創設30年記念:五十年のあゆみ』の中の該当箇所である。

90-3教会のあゆみ

90-4福音学校あんない

上掲のふたつの案内は「火の柱」昭和23年12月号で掲載されたもので、ひとつは恒例の「関西イエスの友関西冬期福音学校」(正月2日から4日まで「熊野神社鳥居前・一麦保育園」に於いて)の「準備委員代表・吉田源治郎」が発信したもの。もうひとつの案内は、「第3回豊島農民福音学校」(1月12日から31日まで)のもので、賀川・杉山・藤崎・吉田の外にも、前回取り上げた船本宇太郎や川瀬勇などが講師陣に入っている。

   神戸イエス団の落成(2月11日) 

戦火で焼失した神戸イエス団も、昭和24年2月11日に漸く「献堂式」に漕ぎ着けた。

90-5神戸イエス団写真
 昭和24年2月11日「献堂式」を迎えた神戸イエス団

この写真は、昨年このサイト「お宝発見」で公開した大岸坦弥・とよの夫妻提供のものである。「火の柱」3月号にはその時の様子が、下のように丁寧に記されている。

90-6火の柱3月号

90-73月号つづき

「火の柱」の同じ号には、吉田源治郎のお馴染みの小品「サモネット」が収められている。いつもながら源治郎の言葉には、静かに響くものがある。

90-8吉田サモネット

また次のように、7月30日より8月1日までの3日間、御殿場・東山荘に於ける「第22回イエスの友夏期修養会並びに全国大会」が開かれている。写真は、その時のものである。

90-9修養会あんない

90-10全国大会写真
「第22回イエスの友夏期修養会・全国大会」(御殿場東山荘、昭和24年)

90-11関西集会あんない

90-12関西集会写真
 「イエスの友関西夏期聖修会」(奈良多武峰・談山神社前、昭和24年8月)

ところで、「火の柱」6月号には、小川・吉田連名による「大阪四貫島教会復興献金募集」(昭和24年7月1日付)が掲載され、10月号には、右の「四貫島セツルメント」の上棟式の記事が入れられている。

90-13献金募集

小さな90-14四貫島セツルメント上棟式記事

今回の冒頭で、昭和23年11月13日の大阪四貫島教会の献堂式と完成した教会の写真を2枚掲載済みであるが、この昭和24年のふたつの記事との関連がよく判らない。『四貫島セツルメント創設50年記念・五十年のあゆみ』には、昭和24年の上棟式云々の言及は見当たらないので、「火の柱」の記事を踏まえて読めば、大阪四貫島教会の献堂式は、昭和24年11月13日なのかも知れない。もしそうであれば、今回冒頭の書き方も変更しなければならないが、ここではペンディングのまま前に進むことにする。

   一麦保育園の新園舎竣工

 『西宮一麦教会・五十年のあゆみ』(1998年)所収「年表」の昭和24年のところには「9月25日 一麦保育園の新園舎竣工(39坪5合、工費60万円) それに伴い、礼拝の場を一麦寮より新園者に移す」と記されている。

(『子供と自然を友として―一麦保育園創立45周年記念』と『一麦のあゆみ―一麦保育園創立50周年記念誌』(1982年)では、1年ずれて昭和25年になっているが、『西宮一麦教会・四十年のあゆみ』(1988年)では補正され、前掲『五十年のあゆみ』では、更なる充実した年表に仕上げられている。)
 
次の写真は、上記「一麦保育園創立50周年記念誌」に収められているもので、写真には「昭和25年頃」と説明書きされている。

90-15保育園写真

    「火の柱」昭和24年10月号より

90-16火の柱10月号

90-1710月号つづき

以上、戦争によって建物も焼失し、復旧・復興の苦労を重ねてきた大阪四貫島の新たな歩みと、神戸イエス団の再建の事と、おして焼失は免れたものの老朽した園舎を、新たに建て替える大仕事に取り組んだ一麦保育園の事を、今回少し取り出して見た。

吉田源治郎と幸にとっては、更なる大仕事を残していた。それは、今津二葉幼稚園と今津二葉教会の再建の課題である。愈々それが具体化して今津二葉教会の献堂式を祝うのは昭和25年10月1日の事である。次回はその昭和25年に進んで見たい。
        
     (2010年10月6日記す。鳥飼慶陽)(2014年9月7日補正)

 追記 
 この度も一麦保育園顧問・梅村貞造氏より次のコメントをメール便でお受けしたので、参考までにここに添付させて頂く。

 1) 第88回 の毎日新聞の「佐藤功二記者」は一麦教会の当時の会員名簿にもなく、私の昭和26年からの記憶にもありませんので、「一麦教会の会員」というのは間違いではないかと思います。
 2) 第89回 の川瀬勇氏の写っている写真は、西宮一麦教会の教会修養会(昭和46年9月23日、宝塚市売布にあるカトリック黙想の家にて)の時のものです。吉田牧師、川瀬氏のほかに後列右から2人目が森彬牧師(担任教師として着任の年)、吉田先生の左2人目が梅村です。
 3) 川瀬勇氏は昭和42年1月1日、吉田牧師から再洗礼を受け、教会員となられました。
    
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