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KAGAWA GALAXY 吉田源治郎・幸の世界(105)

1-写真
新築なった西宮一麦教会での最初の礼拝(昭和35年12月18日)

   第105回 昭和36の吉田源治郎と幸

昭和36年1月15日、西宮一麦教会の献堂式が、下記のように執り行われている。上の写真は献堂式前の、新築なった教会での最初の礼拝の時のものである。
  
2-教会式
 
次の写真は、撮影年不祥であるが、それまで礼拝が行われていた一麦保育園の旧園舎で説教をする吉田源治郎。(昭和24年10月~昭和35年12月)

3-吉田写真

次の写真は、昭和35年10月22日、新会堂建設の定礎式。バックに写るのは「一麦寮」(昭和48年に作られた西宮一麦教会『創立25周年を記念して』より)

4-定礎式

次の写真は、昭和35年12月に完成した新会堂の全景(『五十年の歩み』より)

5-教会完成

ところで、賀川豊彦亡き後の最初の年も、恒例の関西冬期福音学校は、新しく建てられたこの西宮一麦教会に於いて開催されていたようである。 「いたようである」という曖昧な言い方になるのは、これまでイエスの友会の機関誌「火の柱」の復刻版を頼りに、恒例となっていた諸集会の記事をここに掲載してきたが、その後の機関紙が手元にないため、これまでのような取り出し方が出来なくなっているためである。

神戸の賀川ミュージアムでも、その後の「火の柱」の綴りを閲読できず、手元にも昭和63年以降のものしか持ち合わせていない。従って、この機関紙で確認できたイエスの友会の大凡の経緯も、また頻度は少なくなっているとはいえ、そこに登場する吉田源治郎の文章や消息なども取り出すことができない。

「冬期福音学校」に限って一つの手がかりになるのは、このサイトで昨年連載した武内勝の昭和36年の「日誌」である(「賀川豊彦のお宝発見」の第55回~第58回)。改めてその第55回のはじめには、次のように書かれているのである。

1月2日 
一麦寮に於ける修養会に出席した。
出席者は108名であったが、青年の多数であったことは頼もしく嬉しかった。
________________________________________
1月3日 
前日に引き続き修養会に出席し、午後は15分間の奨励をした。
賀川の弟子になって何をしたかと題し、賀川先生の指導を受け、愛の奉仕の真似で、三公の幽霊話と労働保険組合の組織に就いて、宮本兵太郎の負傷と財団法人イエス団の基本金五千万円積み立て、毛利金五郎にだまされて得たこと。
以上に就いて述べた。

 「修養会」とあるので、これまで通りの「冬期福音学校」という名称であったかどうか、また恒例であれば正月2日から4日までの3日間であるが、武内が参加できたのは2日間のようである。何処から取り出したのか判らない手元のメモには「昭和36年1月 関西新春聖集会 賀川ハル」としているが、確かなことではない。因みに、西宮一麦教会と今津二葉教会双方の記念誌に纏められた年表には、この年から「イエスの友」関連の恒例の集会の記述は消えている。

今回は、新会堂で礼拝説教を行う吉田源治郎の姿と、『西宮一麦教会・四十年の歩み』(昭和63年)に収められている源治郎の二つの説教(昭和36年1月1日の新年礼拝と1月15日の礼拝)を取り出して置きたい。

6-説教する吉田

7-説教1

8-説教2

9-説教3

10-説教4

11-説教5

12-説教6

13-説教7

14-卒園式
  昭和36年3月 今津二葉幼稚園卒園児たちと共に

15-イエス団関係者
  昭和36年11月3日 イエス団関係者修養会 賀川ハルらと共に

今回はここまでで終え、昭和37年以降のことを次回は探して見たい。
        
         (2010年10月24日記す。鳥飼慶陽)(2014年9月25日補正)


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