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KAGAWA GALAXY 吉田源治郎・幸の世界(106)

1-記念写真
  昭和37年11月10日 今津二葉幼稚園創立40周年記念式

   第106回 昭和37年~39年の吉田源治郎と幸

昭和37年1月も「関西新春聖集会」(恒例の「関西冬期福音学校」)が開催されている筈であるが、内容は今未確認である。上の写真は、今津二葉幼稚園の創立40周年記念式。ご覧の通り会場は満杯である。

園児の母・庭屋信子作詞作曲の「40周年おめでとう」というお祝いの歌が母親たちによって歌われるなど、次にあるような記念の「式次第」のもとで「礼拝」「祝会」そして「講演」が行われている。 (『幼稚園八十年史』より)

2-記念式写真

3-記念式次第

4-昭和38年教師達写真
   昭和38年3月 今津二葉幼稚園の教師たちと共に

    C・A・ローガン著『詩篇霊歌抄』(ともしび社、昭和38年2月) 

5-ローガンの本

本年(2010年)7月1日、一麦保育園に於いて、西宮一麦教会の牧師として働かれた森彬牧師から「吉田源治郎の思い出」をお聴きする機会があった。森牧師は、昭和46年3月より長くここで牧会を続け、晩年の吉田源次郎の姿を身近に見てこられ、「吉田源治郎牧師の最も良き理解者」として知られている方である。

そのお話の中に、次のことがあった。それは、吉田源治郎牧師が80歳の誕生日(昭和46年10月2日)を迎えられた時、標記のローガン先生の著書『詩篇霊歌抄』を吉田牧師から贈られた事があり、その著書の表紙見開きのところに次の短歌が添えられていて、森牧師は今もその歌を記憶しておられる。その短歌というのは、
                 
 今さらに
 振りかえり 見れば
 山坂を
 越えては 越えて
 来つるものかな

という歌だったと、お話になった。

6-今更にの歌自筆

早速別れ際に、森牧師にその著書を一度拝見したい旨依頼したところ、直ぐに先生から書簡を添えてこの著書をお送り頂いた。その書簡には、「この歌の後に、左隅のご出生の年月日と80歳のお誕生日となる年月日を並べておられます。このローガンの著書を戴いたのは、そのお誕生日の約1週間前の1971年9月26日であります。「あとがき」によると、この本の刊行はローガン博士夫人と吉田先生のご慫慂によるもので、翻訳は多分、斉藤敏夫先生でありましょう。7,8頁に吉田先生による著者の紹介があります。」と記されていた。

本書は、上に取り出した表紙にもあるように「交読用33篇を解説する」もので、カット入りの131頁の大変読み易い作品で、1部コピーして一読したが学ぶ所の多い好著である。ここでは、ローガン博士一家と長期間に亘って交流を深めてきた吉田源治郎の文章の他に、「徳島時代のローガン先生」という一文を記した酒枝義旗の箇所、並びに斉藤敏夫の「あとがき」を取り出して置く。

7-ローガン紹介分

8-つづき

9-徳島時代のローガン

10-つづき

11-つづき

12-あとがき

13-ローガン写真

14-昭和39年1月イエスの友
  昭和39(1964)年1月2日 イエスの友会新春聖修会 賀川記念館

吉田源治郎は2列目中ほどに、杉山元治郎や武内勝などと並んで写っている。杉山はこの年の10月11日にその生涯を終えている。「新春聖修会」は1日だけだったのだろうか。

   源治郎の「琉球伝道」

昭和39年7月21日から28日まで、吉田源治郎は「琉球伝道」を試みている。
次は、「琉球郵便」のはがきに書かれた源治郎の「投稿」の草稿である。タイプは自分で打っていたのだろうか。

15-琉球伝道はがき

これを読むと、「沖縄本島の殆どを巡回」とあるので、本島の諸教会を訪問したのであろう。どこかに詳しいレポートを残している筈であるが、この旅の写真が10数枚まとめて残されている。説明書きが何もないので撮影場所など分からないが、ここに数枚取り出して置きたい。

下の写真は、首里教会かどこかで講じた後のものであろう。黒板に源治郎の筆跡が見える。

16-首里教会での写真

17-つづく写真

下の写真の看板を見ると、23日から24日まで「金武幼稚園」を会場にして開催された「沖縄キリスト教保育連盟主催」の「キリスト教幼児教育講習会」のようである。吉田源治郎はここでのゲスト講師の一人であったのかも知れない。

18-幼児教育講習会写真

下の写真は、この研修会に参加した人達と共に、幼稚園の庭か宿舎のホテルの庭で写されたものであろうか。

19-ホテルの庭で写真

次の写真は、沖縄の何処の大学の教育学部であろうか。

21-教育学部写真

次右の写真の看板は、文字が隠れていてよく判らないが、「ハンセン氏病相談」と書かれているのだろうか。

20-ハンセン写真

下の写真はプロの写真で「南部戦跡巡拝記念」と書かれている。観光バスで出掛けたようである。この場所も何処であろうか。尚、上に掲げた写真は、沖縄首里の調氏が写され、源治郎の元へ届けられ、その時の手紙には、源治郎の沖縄訪問の後、沖縄キリスト教保育連盟は日本キリスト教保育連盟への加盟が実現し、その御礼が言葉が認められている。
蛇足ながら調氏の手紙には「お忘れ物の上着は、○○氏にことづけました」とも記されている。沖縄はやはり暑かったのであろう。              

22-南部戦責巡礼写真

ところで、『甲子園二葉幼稚園八十年史』の昭和39(1964)年の「年表」を見ると、「幼稚園前の第二阪神国道(現43号線)に陸橋完成。8月4日 町名変更:今津高潮町→甲子園高潮町 9月5日 園名変更:今津二葉幼稚園→甲子園二葉幼稚園」と記されている。

他方『日本基督教団甲子園二葉教会・創立五十周年記念誌―1939年~1989年の歩み』(1991年)の「年表」には、何故か「1961(昭和36)年3月~1966年12月まで記録不明」とあって、この期間が欠落している。従って、教会の「年表」では「今津二葉教会」が「甲子園二葉教会」に変更・認可された日付が判らない。

今回の最後に、昭和39年3月の今津二葉幼稚園卒園児と共に写された写真を収める。「今津二葉幼稚園卒園児」とされるのは、これが最後になる。

23-卒園写真

今回は結局、昭和37年から昭和39年までを辿る事になった。次回は、昭和40年以降に進む。
       
      (2010年10月25日記す。鳥飼慶陽)(2014年9月26日補正)

補充
2010年12月13日、吉田摂氏より、次の写真をお預かりした。昭和37年8月21日~御殿場・東山荘の集まりの小さな写真3枚と、賀川ハルの自宅での写真と思われる1枚と。

24-補充写真
  前列中央に賀川ハル、その隣は吉田幸、ひとりおいて吉村静枝

25-続き《吉田とハル)
     吉田源治郎と賀川ハル

26-最後の写真
 右端が吉田源治郎、その隣は賀川ハル? 前頁はこの時の写真?

27-ハルの写真
賀川ハル(撮影日と場所不祥)


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