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KAGAWA GALAXY 吉田源治郎・幸の世界(113)

1-写真
 一麦保育園の埴生操園長と園児たち(昭和52年)

   第113回 昭和50~52年の吉田源治郎と幸

既に触れてきたように、昭和7年4月に一麦保育園が創設され、翌昭和8年4月より主任として抜擢され、長く「いちばくのはにゅうせんせい」として親しまれて、先進的な保育実践を積み重ねてきた「埴生操と園児たち」の写真が、冒頭のも   
のである。

2-埴生先生
       埴生 操 

昭和52年11月に発行された埴生操編著『一麦保育園創立45周年記念誌:子供と自然を友として』(一麦保育園発行)のことについても、またその中に収められていた南野武衛ほかの文章なども前に紹介済みであるが、ここでは、本書の「序」の部分と第1部の最初にある埴生操の作品「幼児と自然環境」、そしてもうひとつ、賀川豊彦を追悼する『神はわが牧者』に寄せた埴生の文章「ある夜のひととき」を取り出して見る。

3-文章1

4-文章2

5-文章3

6-文章4

7-文章5

8-文章6

9-文章7

10-文章8

11-文章9

12-文章10

13-文章11

14-文章12

15-文章13

以上ここまで一麦保育園45周年記念誌を中心に一部取り出して見たが、今回は「昭和50年~52年の吉田源治郎と幸」としているので、少しだけ昭和50年以降のところを記して置きたい。

昭和50年の「新春聖修会」は1月2日に一麦保育園で開催され、嶋田啓一郎と吉野丈夫が講師を務め、4月21日の大阪朝祷会では、升崎外彦が賀川を記念して奨励を行っている。

そして昭和51年の「新春聖修会」も1月3日に一麦保育園で開催され、吉村静枝が講演を行い、7月12日には徳島市徳島簡易保養センターに於いて「全国聖修会」が開催され、畑実夫と武藤富男が講演している。

翌昭和52年は「新春聖修会」の記録がない。

甲子園二葉教会の『創立五十周年記念誌』の年表には「9月 この頃より、吉田牧師の健康上の理由のため、近隣諸教会の教職の応援を仰ぐことになった。特に吉野丈夫牧師(神戸再度筋教会)には当初は毎月の応援、その後ほぼ隔週においでいただく等、絶大なご協力をいただいた」という記述がでてくる。

その目で年表を振り返ってみると、昭和49年6月30日には「この週より、吉田牧師病気入院のため、9月頃まで他教会教職の応援並びに信徒により講壇奉仕がなされる」と記され、『西宮一麦教会五十年の歩み』の年表にも「6月30日 吉田源治郎牧師、病気入院(9月まで)」と書かれている。

またこの『五十年の歩み』の年表には、昭和51年12月に同教会の森彬伝道師が日本基督教団正教師となり、昭和52年5月には西宮一麦教会主任担任教師に就任、吉田源治郎は名誉牧師となることが記されている。

今回の最後に、この頃の2枚の写真(1枚は下の写真、もう1枚は園児たちとの写真を終わりに)と、昭和50年9月14日に記した吉田源治郎の一文(『四貫島セツルメント・五十年の歩み』の巻末に収められた「記念文集」)を取り出して置く。

16-吉田ら3人の写真

この写真は、昭和52年、日本基督教団兵庫教区の教師研修会の時のもので、右より芹野俊郎・吉田源治郎・森彬

17-文章1

18-文章2

19-卒園式
  昭和52年3月 甲子園二葉幼稚園卒園児たちと共に

次回は、昭和53年以降に進んで見たい。
        
       (2010年11月3日記す。鳥飼慶陽)(2014年10月3日補正)
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