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KAGAWA GALAXY 吉田源治郎・幸の世界(134)

1-写真
    晩年のご夫妻

   第134回 「吉田源治郎・吉田幸の世界」最終回

愈々、今回が連載の最終回である。上の写真は、最終回のために残しておいたもので、平成15(2003)年に発行された『甲子園二葉幼稚園・八十年史』に収められているものである。撮影年など不祥であるが、晩年のご夫妻を上手く写し取った見事な一枚である。

ところで、吉田幸の没後1年、平成4(1992)年11月20日に「吉田幸先生記念会」が開かれており、それに出席した田中芳子氏が、吉田摂・洋子夫妻宛てに送られた書簡があるので、先ずそれを以下に紹介させて頂く。

2-手紙1

3-手紙2

4-手紙3

平成6年2月20日には、甲子園二葉教会に於いて「吉田牧師召天10周年記念会」が開かれているが、この最終回では「西宮一麦教会・一麦保育園」「甲子園二葉教会・甲子園二葉幼稚園」「四貫島友隣館」に関連する、その後の事を短く触れて置きたい。

   甲子園二葉教会・甲子園二葉幼稚園

吉田幸の存命中の懸案のひとつに、騒音や排気ガスなどの環境悪化が進んだことで、甲子園二葉幼稚園と教会の移転場所探しという、大きな課題がった。これは、多くの壁をクリアし、平成6(1994)年10月5日には竣工式を迎えており、その後、平成15(2003)年12月2日には、甲子園二葉幼稚園創立80周年記念を迎えた節目には、記念誌『八十年史』が編纂されている。

5-エハガキ

6-エハガキ2幼稚園

7-エハガキ3樹木
甲子園高潮町の「旧園舎とお別れの会記念の絵葉書」の写真
    左・入口    中・懐かしい大きな楠   右・正門

8-エハガキ4庭
  西宮市甲子園三保町に完成した甲子園二葉幼稚園・教会

  西宮一麦教会・一麦保育園

創立51周年記念礼拝が執り行われた平成10(1998)年3月15日に『西宮一麦教会・五十年の歩み』が発行されている。この中から、吉田源治郎の説教と写真、そして「五十年の歩み」の部分の記述は既に掲載済みであるが、平成7(1995)年5月と6月には保育園舎の竣工式並びに教会の献堂式が行われおり、この新しい教会堂の写真は『五十年の歩み』に収められているので、前の頁に収めた。また、平成9(1997)年12月21日のクリスマス礼拝の後で写された写真もこの記念誌あるので、ここに取り出して置きたい。

平成14年6月1日には「一麦保育園創立70周年記念式」があり「おさなごの碑」も完成。室は現在の一麦保育園(ホームページの写真より)

9-エハガキ5一麦協会

10-写真クリスマス

11-保育園写真

  四貫島友隣館・大阪四貫島教会・天使保育園・天使保育園北分館
  ・天使ベビーセンター・(特養)ガーデン天使


12-輝け命表紙

既述の通り、吉田源治郎が大正14(1925)年より打ち込んできた「四貫島セツルメント」は、戦災による壊滅的な事態を乗り越え、現在大きな働き飛躍を遂げている。平成17(2005)年9月、創立80周年を記念して編まれた記念誌『輝け、命』についても連載の中で多くを参照してきたが、ここにはその中の写真の部分と、本年(2010年)11月30日に四貫島友隣館が刊行した大著:小倉襄二著『流域―戦後社会福祉状況をめぐる断章』(高菅出版、620頁)に収められている四貫島友隣館長・小川佐和子氏の文章を掲載させて頂く。

13-四貫島写真

14-四貫島写真2

15-四貫島写真3

次の小川佐和子氏の一文は、本年11月刊行の小倉襄二著『流域―社会福祉と生活設計』(高菅出版)の巻末に収められたものである。機関紙「流域」に長期連載されたもので、「戦後社会福祉状況をめぐる断章」と副題がある620頁に及ぶ上製の大著である。

16-文章1

17-文章2

18-文章3

19-文章4

次の作品は、吉田源治郎牧師への深い信頼と尊敬を持ち続けてきた小林繁という一信徒の方が、平成16(2004)年9月20日に書き記したものである。末尾には、尾西康充氏(三重大学教授)の「まとめ」が付けられている。これは、尾西氏を囲んだ「吉田源治郎を語る会」のような集いの後の資料のひとつかも知れないが、確かめていない。

20-小林1

21-小林2

本年(2010年)5月1日から始めたこの連載「吉田源治郎・幸の世界」は、本日は11月22日であるから、何と7ヶ月近くの長期にわたり、回数も134回にまで延びてしまった。2000枚以上になるようである。

連載のはじめに記したように、このご夫妻のことはほんの少しの事しか存じ上げなかったにもかかわらず、不思議なご縁で、関係資料の蒐集と保存をしてこられた吉田摂氏と梅村貞造氏から、大切な資料をどっさりと託されるハメとなり、取り敢えず年代を追って資料を覗きはじめたのが、事の始まりであった。

昨年は、賀川豊彦・ハル夫妻から武内勝に届けられた120通ほど書簡を含む「武内勝関係資料」を武内祐一氏から託され、「賀川豊彦献身100年記念事業オフィシャルサイト」を立ち上げておられた伴武澄氏のお勧めで、それらの貴重な資料の「お宝」を、「賀川豊彦のお宝発見」と題して、94回にわたり特別にアップして頂いた。

かてて加えて今回も、昨年に引き続き、伴武澄氏の特別のサポートをお受けして、結局ここまで来てしまった。伴氏の変わらぬ激励と友情なしには、特にこの作業は始まらなかった事である。

この間、ほぼ毎日の日課のように、仕上げては伴氏の元へお届けし、その後に神戸の「賀川ミュージアム」の山田洋一氏、そして吉田摂氏並びに梅村貞造氏ほか数名の方々に送信もしくは郵送して来た。

神戸の「賀川ミュージアム」では、本年春にグランドオープンされてからは、資料閲覧室のパソコン上で、昨年の「武内勝関係資料」と共に今回の「吉田源治郎・幸の世界」も、来館者がそれらを自由に見ることのできるサービスもして頂いており、それも大いに励みとなった。

今回の粗雑な資料整理をお届けする度ごとに、電話やメール便で激励やら字句の補正やら、わざわざ閲読の上、的を射た丁寧なコメントやらをお受けして来た。昨年と同様に疲れのない楽しい作業に打ち込むことが出来、大変得難い経験となった。ここに心からの感謝の意を表しておきたい。

今回の作業は保存されていた資料を整える事で「吉田源治郎と幸の世界」を大雑把にでも浮き彫りにして置くこと主眼として、専ら資料整理に徹してきたつもりであるが、本文でも触れたように、まだまだ多くの資料が埋もれている筈である。今後もそれらの発掘収集が求められると共に、吉田源治郎と幸が、多くの同労者たちと共に手がけてきた仕事への、各分野にわたる新たな研究的な広がりと深まりが、今回の資料公開を契機にして新しく生まれてくることを期待している。

これまで「吉田源治郎」に注目して研究的に関わってこられたお二人の方――大阪に於ける福祉分野のご専門で大阪ボランティア協会理事長の岡本栄一氏と「三重の文学」との関連で早くから吉田源治郎の中学時代の資料蒐集にも手がけてこられた三重大学の尾西康充氏――の道案内があった事も、大いに助けになった。連載の途中に両氏ともにお会いして直接に話を聴けた事なども得難い事であった。

昨年の「武内勝所蔵資料」の連載では、多くの方々との思いがけない新たな出会いと対話を経験させて頂くという「余録」があったが、今回も一層豊かな「予期せぬ余録」が備えられるのも、真に不思議な事である。

尚、今回の連載では、所蔵資料の中から出版物も含めて数多くの作品や書簡などを多く取り出して紹介させて頂いている。本来いずれの場合も、必要な許可を得た上での掲載が必要であり、その手順を省いてはならないが、一部を除いて殆どのものをその手順を踏まずに掲載している。一応、連載の中に取り出しても不都合を生じることはないであろうと判断して、その都度判断してアップしている積もりであるが、今回の不行き届きのところは何卒ご容赦いただきたい。

次回から数回、「吉田源治郎・幸の世界」の「補遺」として、未掲載となっている幾つかのものを収めて置く事にする。
     
      (2010年11月22日記す。鳥飼慶陽)(2014年11月1日補正)

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