スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

KAGAWA GALAXY 吉田源治郎・幸の世界(136)

1-写真

   第136回 「吉田源治郎・吉田幸の世界」補遺(2)

今回の「補遺2」では、前回「悔いなき夫婦」を執筆した小川敬子氏の「手記」と源治郎の米国留学の頃の「写真」などを収める。
一部再掲のものもあるかも知れないが、上の写真は、大正11(1922)年4月に写されたもので、中央が吉田幸、抱かれている子供が2歳5ヶ月の敬子、右は幸の母・間所志免(しめ)、左は源治郎の母・吉田ゆき

次より3枚、年代順に写真を収める。

2-一枚目
大正12(1923)年1月 中央は間所兼次 右は吉田ゆき その前の子供は敬子(3歳2ヶ月)
左は吉田幸 その前の幼子は源治郎の留学中に夭逝した長男・義亜

3-二枚目ゆき70歳
上の写真はその後の昭和13(1938)年のもの 吉田ゆき70歳の祝い(満68歳)甲子園ホテル庭
左から吉田幸、西山志か、吉田ゆき(前)、丸岡あい、子どもは摂、その右は敬子、後は増田みね

4-三枚目四貫島
上の写真は、昭和20(1945)年正月、四貫島春日出町の写真館にて。
写真右から、小川敬子、吉田摂、吉田幸、間所基、西山千代子、吉田恵、天地晶子

3月の空襲で焼け出される。戦争中の為、親が疎開した子供を預かっていた。天地晶子さんは甲子園の家で、間所基は四貫島で中学校、動員で工場へ。西山千代子さんは天使保育園で働いていた。節子も小学校の先生をして四貫島から通っていた。

5-文章1

6-文章2

7-文章3

8-文章4

9-文章5

10-文章6

11-さらに文章7

12-さらに文章8

13-さらに文章9

14-文章10

15-文章11

16-文章12

17-文章13

18-写真丸岡

上の写真は、過日吉田摂氏であったか尾西先生であったか、お預かりしたもので、吉田源治郎と幸の故郷、伊勢の「御師丸岡太夫邸へ通じる・・」を刻む石柱である。詳細は連載で触れた関連の箇所を参照いただくとして、ここに収めて置く。

もう一つ預かった資料の中に、小川敬子氏が幼い頃から親しかった賀川純基氏が、生前に敬子氏に預けた紙袋もあった。紙袋の表書きには「賀川純基氏より小川敬子預かる」とある。

その中には、純基氏が1998年に書かれた「私は年を取った」「わたしの命が天に移されるとき」、1999年の「物と心 法律と精神」といった最晩年の手記が含まれている。そして、純基氏の最後の著作『礼拝って何?―聖書・歌・そして祈り』(キリスト新聞社、1998年)も入っていた。

またこの中には、純基氏の大きなお仕事に関わる一文で、15頁に及ぶ「未完」と記されている「写譜という仕事」という論考もあり、あの有名な指揮者・岩城宏之氏が『週刊金曜日』の1999年11月~12月に連載した「楽(がく)のとき―裏方のおけいこ」で「日本一の写譜家は賀川純基である」ことを、驚きの目で綴った掲載誌のコピーなども含まれている。既に広く知られているものもあると思われるが、いずれそれらはふさわしい場所を得て紹介されていく筈である。 

そしてこの連載の中でも触れ、その中から一部を取り出したことのある、小川敬子氏の美しいエッセイ集『憩いのみぎわ』が、最近少し書き加えられ、新しい版として出版されたようである。この作品は、ご両親:吉田源治郎と幸への追悼として捧げられた作品で、1992年11月に初版が作られている。

次回「補遺3」は、先般、吉田摂氏より、甲子園二葉教会の週報を貼り付けた「スクラップ・ブック―1950年10月8日~1952年6月29日―」をお預かりしたので、その中から幾つかのものを取り出して置きたい。
     
     (2010年11月24日記す。鳥飼慶陽)(2014年11月3日補正)



スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

keiyousan

Author:keiyousan
このブログのほかに同時進行のブログもうまれ全体を検索できる「鳥飼慶陽著作ブログ公開リスト」http://d.hatena.ne.jp/keiyousan+toritori/ も作ってみました。ひとり遊びデス。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。